──2day
昨日と同じ午後から蒼に呼び出されたのは街にひとつだけある図書館だった。
(今日も……緊張するな)
ここには何度も本を読みながら小説を書きに来ていたのに、蒼と入り口で待ち合わせると思うだけでさっきから何度深呼吸しただろうか。私はスマホでもう一度時間を確認してから図書館の自動ドアの前に立つ。自動ドアが開けばすぐに長身の青い髪が見えた。
「……あ、ごめんね」
今日は蒼よりも少し早めに到着しようと思い待ち合わせより10分前にきたがまた蒼の方が先だった。
「謝んなくていいって。昨日言ったじゃん、俺暇だからっ、てことで中はいろ」
蒼はいつもより小さな声で私の耳元に顔を寄せた。図書館だからだろう。それでも耳元から蒼の吐息と一緒に少し高めの甘い声が響いてくると顔が紅潮するのが分かった。
「ふっ……なんか月瀬にそうゆう顔されるとデートっぽいな」
「え?あの……」
「ま、デートか」
蒼が笑った。
そして図書館の二階に上がり、窓辺に面した一番奥の席を蒼が指差した。
「此処にしよっか」
「うん」
蒼が座ってから私も隣に腰掛けた。
「静かだな、誰も居ないじゃん」
春休みにわざわざ図書館に来る人は少ないのだろう。一階の児童書や園芸関連のコーナーには子供連れや年配の方がちらほら居たが二階の文芸、辞典・漢詩コーナーは今は私と蒼の二人だけだ。
「……あの」
「何?」
「蒼くん……どうして図書館で待ち合わせなの?」
「月瀬、蒼でいいって」
「あ、慣れなくて」
蒼が机に頬杖をつくとじっと私を見た。
「なぁ、今日で恋愛ごっこ2日目だろ?俺たち……期間限定な訳だし、時間に限りあるからさ」
「うん」
初めての恋人に舞い上がっている自分がどこかにいたのだろう。時間に限りがある関係だということを私も忘れてはいけない。
「でさ、恋人ってさお互いのこと知ってるの前提だし……今日はお互いの好きなことと好きなとこ話したいなって思って、ここにした」
「え?好きなこと、と好きなとこ?」
目を丸くした私を見ながら蒼が唇を持ち上げた。
「月瀬の好きなことって、小説書くことだろ?」
「あ、うん……」
「てことは本が好きなんだろうなって」
「あ、だから蒼、今日私を図書館に誘ったの?」
「そゆこと。俺の好きなことはどこでもできるし」
「ん?蒼の好きなことって音楽だよね?」
「正解」
蒼はワイヤレスイヤホンをポケットから取り出して見せるとすぐにまたポケットに仕舞った。
「あとで俺の好きな曲教えるから、先に月瀬の好きな本教えてよ。あ、なんならここで小説書いてみせてくれてもいいしさ」
「小説っ、そんなすぐに無理だよ……えとじゃあ私の……好きな本でもいい?」
「勿論、なんでも月瀬のこと知りたいから」
私のことを知りたいと言ってくれる蒼の言葉が素直に嬉しくて蒼といると心臓がすぐに騒がしくなる。
「取っておいでよ」
蒼がにっと笑った。
私が迷わず本棚から選んだのはグリム童話の『灰かぶり姫』だった。手に取り席に戻るとすぐに蒼が覗き込む。
「灰、かぶり?姫?」
「うん、シンデレラって言った方がわかりやすいかも。灰かぶり姫はグリム童話で、灰かぶり姫を易しく子供向けにしたのがシンデレラなんだけどね」
何ももっていない女の子が王子様に見染められ、いつまでも幸せに暮らすお話は、何度読んでも幸せな気持ちにさせてくれる。だって現実世界ではどうせ私には起こり得ない話だから。せめて本の世界では幸せな気持ちに浸りたい。何もない現実世界から目を逸らしたい。
「成程な、女の子は好きだな、王子様がいつか迎えにきてくれるってやつ」
王子様みたいに綺麗な顔をしている蒼に言われると途端に恥ずかしくなった。
「てことで……もういいかな?」
開いていた本を閉じて小さく呟いた私に蒼が肩をすくめた。
「あー、ごめん。茶化した訳じゃなくて……その……」
「蒼?」
「女の子らしくて……可愛いなって思っただけ……」
「あ、えっと……」
蒼の言葉に言葉が詰まった私は蒼から視線を逸らすと、中庭の桜の樹を眺めた。見れば可愛らしい桜がちらほら咲きはじめている。
「えと桜……綺麗だねっ」
どうしていいか分からなくて話題を変えた私を見ながら蒼がケラケラ笑った。
「どんな話題の変え方だよっ、結局俺が恥ずいだけだったし」
「ごめんね、慣れてなくて……」
今まで自作の小説の中では、『好きだ』とか『可愛い』と言った台詞を使って書いたりしていたが現実世界で自分に向かって言われると気恥ずかしくて、でも嫌じゃなくて、こんな浮ついた感情になることを今初めて知った。
「俺、月瀬の好きなとこ見つけたかも」
「え?」
蒼はいつも唐突だ。
「恋愛ごっこ始めてから2日しか経ってないけどさ、俺凄くない?もう3つも見つけた」
「えと……ある?私に?」
私は自分が好きじゃない。好きじゃないどころか嫌いに近い。何も取り柄がなくて、感情はいつだって灰色でいつも前に進めずにひたすら同じ場所で蹲っている。
「いいところがない人間なんていないしさ、月瀬は自分のことだから、わかんないかもだけど、俺にはあるよ。月瀬の好きなところ」
蒼が形の良い唇を引き上げる。そして人差し指を立てた。
「まず気遣いできるとこかな、待ち合わせで俺より早く来ようとしただろ?つまり俺を待たせるのが悪いって思ったわけで。あと2つ目は、寂しいをちゃんと知ってて他人に寄り添えること。最後が……」
蒼が3本目の指を立てる。
(心臓……飛び出ちゃいそう……)
それにもうすでに私の顔は燃えているんじゃないかと思うほどに熱くて堪らない。ふいに蒼の掌が私の頬に触れると蒼の瞳と視線が合うよう持ち上げた。
「蒼……私……恥ずかしい」
「俺も恥ずかしいって。でも最後まで聞いて」
「う、ん……」
「……笑うと可愛いところ。以上」
蒼は大きな掌をするりと離すと青い髪をガシガシと掻いた。
「……ありがとう……」
「どういたしまして」
蒼と私は顔を見合わせて笑った。
そのあと、蒼がせっかく来たから読書してもいいよと言ってくれた為、私は久しぶりに『灰かぶり姫』を一読し、別の本取りに行こうと立ち上がれば隣の蒼はスマホを握りしめながら、いつのまにか机に頭を預けて眠ってしまっている。
(子供みたいな寝顔だな……)
私と同い年の蒼だが、年上の女の人と付き合ったりしているせいか大人びて見える。でも初めてみる寝顔は幼く見えた。
(あれ?)
さっきまで蒼が触ってスマホは開きっぱなしになっていて画面には、ギターの弦が表示されている。
(……もしかして作曲アプリ?)
蒼のスマホを覗き込もうとして、蒼がパチリと瞳を開けた。
「わっ」
思わず大きな声が出て両手で口を抑えた私を見ながら蒼がクククッと笑った。
「もう、蒼、寝たフリしてたの?」
蒼が体を起こすと、うんと伸びをした。
「寝たフリって言うか冥想だな、なんかちょこちょこ音落ちてきたから、忘れないうちに入力してたり、寝てたり」
「もうっ、やっぱり寝てたんじゃん」
「まあな」
「ねぇ、蒼のそれ、ギターの弦だよね?アプリで作曲できるの?」
「うん、弦が表示されてるからそれタップしていくと音源っていうか、下書きできるからさ、ギター持ってないときとか、授業中とか?これやるんだ」
「授業聞いてないじゃない」
「あはは、バレた?勉強興味ねぇからな」
蒼が子供みたいにふざけながら舌を出した。
図書館の窓辺にオレンジ色のまあるい夕陽が差し込み始めてから私達は図書館をあとにした。
「いやー、よく寝たな」
あのあと私は、夏目漱石集を読破したが、隣の蒼は目を開けたり閉じたりしながら、ギターのアプリをずっといじっていたように見えた。
「時々目開いてたから作曲してたのかと思ってた」
「さぁ、どうでしょうか?月瀬、手出して」
「え?」
蒼がポケットに手を突っ込むとワイヤレスイヤホンを取り出して一つを私の掌に乗せた。
蒼が左耳につけるのを見ながら私はなんとなく右耳にイヤホンをつけた。
「俺の一番好きなことは作曲。で、これが今俺が一番好きな曲」
蒼がスマホを操作するとすぐに右耳から音が流れてくる。歌詞はない。低くくもなく高くもない音の羅列がゆっくり踊りながら、音のひとつずつと手を繋ぐように優しさを見に纏いながら耳の奥へと流れていく。
「……優しい……音」
私はテレビも見ないし音楽も全く聴かない。知識のない私は、この曲が音楽的に良いのか悪いのかは分からない。ただ一つ確かなのは。
「蒼、私この曲好きだな」
いつも私の目を真っ直ぐにみて話をしてくれる蒼に、私もしっかり視線を合わせて微笑んだ。
「そっか。良かった」
蒼が嬉しそうに笑った。そして右耳に流れ込んでいた音は急にプツンと途切れて蒼がイヤホンを耳から取り出した。
「長い曲だから、また続きは今度な」
「うん、分かった」
差し出された蒼の大きな掌に私がイヤホンを渡そうとすれば蒼が私の掌を包み込んだ。
「手ちっちゃ」
「えと……」
「手繋がせて」
「もう、繋いでるじゃない……」
「あ、確かに事後報告だな」
恥ずかしくて俯いていたから蒼がどんな顔してるのかは分からない。でも初めて繋いだ男の子の掌は、大きくてあったかくて、なんだか私のことを守ってくれるようなほっとする感触だった。
私達は手を繋いで自転車置き場へと向かっていく。いつもより蒼がゆっくり歩いているのは気のせいだろうか。
(言うなら……今しかないよね……)
私は蒼を見上げた。
「月瀬?どした?」
「……あのね、私も蒼の好きなとこ3つ見つけたから言ってもいい?」
「お、おう……」
少し驚いた顔をしながら蒼が立ち止まると私をじっと見つめた。
「えとね、一つ目は……優しいところ。シャツ貸してくれたり、口下手な私のことわかってくれてフォローしてくれたり……」
「うん……」
「二つ目は、私の目を見て話してくれること。蒼がちゃんと私自身をみて私の事を理解しようとしてくれてるみたいで、その嬉しいの……あと最後は……」
恥ずかしさから段々声が震えてくる。蒼が繋いでいる掌をぎゅっと握りしめた。
「……ちゃんと聞くから」
私は一つ深呼吸した。
「……蒼が……よく笑うところ」
蒼が笑うといつの間にか私も笑ってる。私は蒼と出会ってからこの短い期間に蒼の笑顔にいつも元気をもらっている。思わず自分自身も笑顔になってしまうほどに。
「好きなとこ、おそろいじゃん」
蒼が白い歯を見せて笑った。その満面の笑みを見ながら私も自然と微笑み返していた。
海辺に夕焼けが沈むのを眺めながら私と蒼は自転車で並んで走っていく。私の家のすぐ近くの急な坂道に差し掛かって私は自転車にブレーキをかけた。
「蒼、送ってくれてありがとう。もうこの坂道登ったら家だから」
私は坂の上に見えている緑の瓦屋屋根の二階建ての戸建を指差した。
「一応恋人同士なんだし、彼女送るのって普通だろ?家帰っても暇だし玄関まで送る」
蒼も自転車をおりると私の隣に並んだ。
「でもこの坂道結構キツイよ?」
「あー、確かにな、腹筋にくるな。気紛らわせるのに、しりとりでもする?」
「あはは。じゃあせっかくだから簡単な質問し合いっこは?」
蒼がすぐに唇を持ち上げた。
「あ、それいいな。じゃあ俺からな。月瀬の血液型は?」
「B型」
「え?マジかA型かと思った」
「蒼は?」
「え?俺AB」
「嘘!意外っ」
「なんだよ、意外って」
たわいない蒼との会話はいつも俯きながら登る坂道さえも魔法をかけられたお姫様みたいに心が踊る。
「じゃあ次は私ね、うんと、誕生日は?」
蒼の切長の瞳が大きくなった。
「あ、誕生日……な」
青がふいに顔を逸らした。
「ごめん、えっと聞かれたくないことだったなら……」
「あー、違うって。その……」
「蒼?」
「俺の誕生日さ、明日なんだよね」
蒼が私を見ると困ったように肩をすくめた。
「え!蒼、明日が誕生日なの?!」
「うん。毎年家帰んないから明日もその……暇なんだけどさ……月瀬がなんとなく気を遣うかなって思って……そのなんだ、恋愛ごっこな訳だから普通の恋人同士と違ってプレゼントとかもいらないし、その……要は気にすんなって言いたいんだけど」
「えと、でも聞いちゃったからには……」
「そうやって……月瀬困らせたくないから、言いにくかったんだけど」
私は夕陽が沈み切って、仄かな藍色を纏い始めた水平線を眺めた。
「じゃあ、蒼のお誕生日会しよ?プレゼントは間に合わないけど……行きたいとこない?私で良かったら……その一緒に行くし、お祝いさせてもらえたら……」
暫く蒼は黙ったままだった。
そしてようやく坂道を登り切ると蒼が私の方をじっと見た。
(どうしよう……迷惑だったかな……)
もしかしたら毎年家で過ごしたくないくらいだ。誕生日くらい一人で好きなことをしながら過ごしたいのかもしれない。
「なぁ……夜、出てこれる?勿論迎えにくるから」
「え?夜?」
蒼が人差し指を空に向けた。
「俺の毎年誕生日の夜、海に星見に来てんだよね。毎年一人だけど、今年は月瀬と一緒に見れたらなって……でも夜だから家大丈夫かなって」
「行けるよっ」
なんだか涙が出そうになる。
蒼に誕生日だからと明日は会うのを断られたらどうしようかと思ったから。
「じゃあ、約束な」
泣きそうになった私に気づいたのか蒼が私の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
昨日と同じ午後から蒼に呼び出されたのは街にひとつだけある図書館だった。
(今日も……緊張するな)
ここには何度も本を読みながら小説を書きに来ていたのに、蒼と入り口で待ち合わせると思うだけでさっきから何度深呼吸しただろうか。私はスマホでもう一度時間を確認してから図書館の自動ドアの前に立つ。自動ドアが開けばすぐに長身の青い髪が見えた。
「……あ、ごめんね」
今日は蒼よりも少し早めに到着しようと思い待ち合わせより10分前にきたがまた蒼の方が先だった。
「謝んなくていいって。昨日言ったじゃん、俺暇だからっ、てことで中はいろ」
蒼はいつもより小さな声で私の耳元に顔を寄せた。図書館だからだろう。それでも耳元から蒼の吐息と一緒に少し高めの甘い声が響いてくると顔が紅潮するのが分かった。
「ふっ……なんか月瀬にそうゆう顔されるとデートっぽいな」
「え?あの……」
「ま、デートか」
蒼が笑った。
そして図書館の二階に上がり、窓辺に面した一番奥の席を蒼が指差した。
「此処にしよっか」
「うん」
蒼が座ってから私も隣に腰掛けた。
「静かだな、誰も居ないじゃん」
春休みにわざわざ図書館に来る人は少ないのだろう。一階の児童書や園芸関連のコーナーには子供連れや年配の方がちらほら居たが二階の文芸、辞典・漢詩コーナーは今は私と蒼の二人だけだ。
「……あの」
「何?」
「蒼くん……どうして図書館で待ち合わせなの?」
「月瀬、蒼でいいって」
「あ、慣れなくて」
蒼が机に頬杖をつくとじっと私を見た。
「なぁ、今日で恋愛ごっこ2日目だろ?俺たち……期間限定な訳だし、時間に限りあるからさ」
「うん」
初めての恋人に舞い上がっている自分がどこかにいたのだろう。時間に限りがある関係だということを私も忘れてはいけない。
「でさ、恋人ってさお互いのこと知ってるの前提だし……今日はお互いの好きなことと好きなとこ話したいなって思って、ここにした」
「え?好きなこと、と好きなとこ?」
目を丸くした私を見ながら蒼が唇を持ち上げた。
「月瀬の好きなことって、小説書くことだろ?」
「あ、うん……」
「てことは本が好きなんだろうなって」
「あ、だから蒼、今日私を図書館に誘ったの?」
「そゆこと。俺の好きなことはどこでもできるし」
「ん?蒼の好きなことって音楽だよね?」
「正解」
蒼はワイヤレスイヤホンをポケットから取り出して見せるとすぐにまたポケットに仕舞った。
「あとで俺の好きな曲教えるから、先に月瀬の好きな本教えてよ。あ、なんならここで小説書いてみせてくれてもいいしさ」
「小説っ、そんなすぐに無理だよ……えとじゃあ私の……好きな本でもいい?」
「勿論、なんでも月瀬のこと知りたいから」
私のことを知りたいと言ってくれる蒼の言葉が素直に嬉しくて蒼といると心臓がすぐに騒がしくなる。
「取っておいでよ」
蒼がにっと笑った。
私が迷わず本棚から選んだのはグリム童話の『灰かぶり姫』だった。手に取り席に戻るとすぐに蒼が覗き込む。
「灰、かぶり?姫?」
「うん、シンデレラって言った方がわかりやすいかも。灰かぶり姫はグリム童話で、灰かぶり姫を易しく子供向けにしたのがシンデレラなんだけどね」
何ももっていない女の子が王子様に見染められ、いつまでも幸せに暮らすお話は、何度読んでも幸せな気持ちにさせてくれる。だって現実世界ではどうせ私には起こり得ない話だから。せめて本の世界では幸せな気持ちに浸りたい。何もない現実世界から目を逸らしたい。
「成程な、女の子は好きだな、王子様がいつか迎えにきてくれるってやつ」
王子様みたいに綺麗な顔をしている蒼に言われると途端に恥ずかしくなった。
「てことで……もういいかな?」
開いていた本を閉じて小さく呟いた私に蒼が肩をすくめた。
「あー、ごめん。茶化した訳じゃなくて……その……」
「蒼?」
「女の子らしくて……可愛いなって思っただけ……」
「あ、えっと……」
蒼の言葉に言葉が詰まった私は蒼から視線を逸らすと、中庭の桜の樹を眺めた。見れば可愛らしい桜がちらほら咲きはじめている。
「えと桜……綺麗だねっ」
どうしていいか分からなくて話題を変えた私を見ながら蒼がケラケラ笑った。
「どんな話題の変え方だよっ、結局俺が恥ずいだけだったし」
「ごめんね、慣れてなくて……」
今まで自作の小説の中では、『好きだ』とか『可愛い』と言った台詞を使って書いたりしていたが現実世界で自分に向かって言われると気恥ずかしくて、でも嫌じゃなくて、こんな浮ついた感情になることを今初めて知った。
「俺、月瀬の好きなとこ見つけたかも」
「え?」
蒼はいつも唐突だ。
「恋愛ごっこ始めてから2日しか経ってないけどさ、俺凄くない?もう3つも見つけた」
「えと……ある?私に?」
私は自分が好きじゃない。好きじゃないどころか嫌いに近い。何も取り柄がなくて、感情はいつだって灰色でいつも前に進めずにひたすら同じ場所で蹲っている。
「いいところがない人間なんていないしさ、月瀬は自分のことだから、わかんないかもだけど、俺にはあるよ。月瀬の好きなところ」
蒼が形の良い唇を引き上げる。そして人差し指を立てた。
「まず気遣いできるとこかな、待ち合わせで俺より早く来ようとしただろ?つまり俺を待たせるのが悪いって思ったわけで。あと2つ目は、寂しいをちゃんと知ってて他人に寄り添えること。最後が……」
蒼が3本目の指を立てる。
(心臓……飛び出ちゃいそう……)
それにもうすでに私の顔は燃えているんじゃないかと思うほどに熱くて堪らない。ふいに蒼の掌が私の頬に触れると蒼の瞳と視線が合うよう持ち上げた。
「蒼……私……恥ずかしい」
「俺も恥ずかしいって。でも最後まで聞いて」
「う、ん……」
「……笑うと可愛いところ。以上」
蒼は大きな掌をするりと離すと青い髪をガシガシと掻いた。
「……ありがとう……」
「どういたしまして」
蒼と私は顔を見合わせて笑った。
そのあと、蒼がせっかく来たから読書してもいいよと言ってくれた為、私は久しぶりに『灰かぶり姫』を一読し、別の本取りに行こうと立ち上がれば隣の蒼はスマホを握りしめながら、いつのまにか机に頭を預けて眠ってしまっている。
(子供みたいな寝顔だな……)
私と同い年の蒼だが、年上の女の人と付き合ったりしているせいか大人びて見える。でも初めてみる寝顔は幼く見えた。
(あれ?)
さっきまで蒼が触ってスマホは開きっぱなしになっていて画面には、ギターの弦が表示されている。
(……もしかして作曲アプリ?)
蒼のスマホを覗き込もうとして、蒼がパチリと瞳を開けた。
「わっ」
思わず大きな声が出て両手で口を抑えた私を見ながら蒼がクククッと笑った。
「もう、蒼、寝たフリしてたの?」
蒼が体を起こすと、うんと伸びをした。
「寝たフリって言うか冥想だな、なんかちょこちょこ音落ちてきたから、忘れないうちに入力してたり、寝てたり」
「もうっ、やっぱり寝てたんじゃん」
「まあな」
「ねぇ、蒼のそれ、ギターの弦だよね?アプリで作曲できるの?」
「うん、弦が表示されてるからそれタップしていくと音源っていうか、下書きできるからさ、ギター持ってないときとか、授業中とか?これやるんだ」
「授業聞いてないじゃない」
「あはは、バレた?勉強興味ねぇからな」
蒼が子供みたいにふざけながら舌を出した。
図書館の窓辺にオレンジ色のまあるい夕陽が差し込み始めてから私達は図書館をあとにした。
「いやー、よく寝たな」
あのあと私は、夏目漱石集を読破したが、隣の蒼は目を開けたり閉じたりしながら、ギターのアプリをずっといじっていたように見えた。
「時々目開いてたから作曲してたのかと思ってた」
「さぁ、どうでしょうか?月瀬、手出して」
「え?」
蒼がポケットに手を突っ込むとワイヤレスイヤホンを取り出して一つを私の掌に乗せた。
蒼が左耳につけるのを見ながら私はなんとなく右耳にイヤホンをつけた。
「俺の一番好きなことは作曲。で、これが今俺が一番好きな曲」
蒼がスマホを操作するとすぐに右耳から音が流れてくる。歌詞はない。低くくもなく高くもない音の羅列がゆっくり踊りながら、音のひとつずつと手を繋ぐように優しさを見に纏いながら耳の奥へと流れていく。
「……優しい……音」
私はテレビも見ないし音楽も全く聴かない。知識のない私は、この曲が音楽的に良いのか悪いのかは分からない。ただ一つ確かなのは。
「蒼、私この曲好きだな」
いつも私の目を真っ直ぐにみて話をしてくれる蒼に、私もしっかり視線を合わせて微笑んだ。
「そっか。良かった」
蒼が嬉しそうに笑った。そして右耳に流れ込んでいた音は急にプツンと途切れて蒼がイヤホンを耳から取り出した。
「長い曲だから、また続きは今度な」
「うん、分かった」
差し出された蒼の大きな掌に私がイヤホンを渡そうとすれば蒼が私の掌を包み込んだ。
「手ちっちゃ」
「えと……」
「手繋がせて」
「もう、繋いでるじゃない……」
「あ、確かに事後報告だな」
恥ずかしくて俯いていたから蒼がどんな顔してるのかは分からない。でも初めて繋いだ男の子の掌は、大きくてあったかくて、なんだか私のことを守ってくれるようなほっとする感触だった。
私達は手を繋いで自転車置き場へと向かっていく。いつもより蒼がゆっくり歩いているのは気のせいだろうか。
(言うなら……今しかないよね……)
私は蒼を見上げた。
「月瀬?どした?」
「……あのね、私も蒼の好きなとこ3つ見つけたから言ってもいい?」
「お、おう……」
少し驚いた顔をしながら蒼が立ち止まると私をじっと見つめた。
「えとね、一つ目は……優しいところ。シャツ貸してくれたり、口下手な私のことわかってくれてフォローしてくれたり……」
「うん……」
「二つ目は、私の目を見て話してくれること。蒼がちゃんと私自身をみて私の事を理解しようとしてくれてるみたいで、その嬉しいの……あと最後は……」
恥ずかしさから段々声が震えてくる。蒼が繋いでいる掌をぎゅっと握りしめた。
「……ちゃんと聞くから」
私は一つ深呼吸した。
「……蒼が……よく笑うところ」
蒼が笑うといつの間にか私も笑ってる。私は蒼と出会ってからこの短い期間に蒼の笑顔にいつも元気をもらっている。思わず自分自身も笑顔になってしまうほどに。
「好きなとこ、おそろいじゃん」
蒼が白い歯を見せて笑った。その満面の笑みを見ながら私も自然と微笑み返していた。
海辺に夕焼けが沈むのを眺めながら私と蒼は自転車で並んで走っていく。私の家のすぐ近くの急な坂道に差し掛かって私は自転車にブレーキをかけた。
「蒼、送ってくれてありがとう。もうこの坂道登ったら家だから」
私は坂の上に見えている緑の瓦屋屋根の二階建ての戸建を指差した。
「一応恋人同士なんだし、彼女送るのって普通だろ?家帰っても暇だし玄関まで送る」
蒼も自転車をおりると私の隣に並んだ。
「でもこの坂道結構キツイよ?」
「あー、確かにな、腹筋にくるな。気紛らわせるのに、しりとりでもする?」
「あはは。じゃあせっかくだから簡単な質問し合いっこは?」
蒼がすぐに唇を持ち上げた。
「あ、それいいな。じゃあ俺からな。月瀬の血液型は?」
「B型」
「え?マジかA型かと思った」
「蒼は?」
「え?俺AB」
「嘘!意外っ」
「なんだよ、意外って」
たわいない蒼との会話はいつも俯きながら登る坂道さえも魔法をかけられたお姫様みたいに心が踊る。
「じゃあ次は私ね、うんと、誕生日は?」
蒼の切長の瞳が大きくなった。
「あ、誕生日……な」
青がふいに顔を逸らした。
「ごめん、えっと聞かれたくないことだったなら……」
「あー、違うって。その……」
「蒼?」
「俺の誕生日さ、明日なんだよね」
蒼が私を見ると困ったように肩をすくめた。
「え!蒼、明日が誕生日なの?!」
「うん。毎年家帰んないから明日もその……暇なんだけどさ……月瀬がなんとなく気を遣うかなって思って……そのなんだ、恋愛ごっこな訳だから普通の恋人同士と違ってプレゼントとかもいらないし、その……要は気にすんなって言いたいんだけど」
「えと、でも聞いちゃったからには……」
「そうやって……月瀬困らせたくないから、言いにくかったんだけど」
私は夕陽が沈み切って、仄かな藍色を纏い始めた水平線を眺めた。
「じゃあ、蒼のお誕生日会しよ?プレゼントは間に合わないけど……行きたいとこない?私で良かったら……その一緒に行くし、お祝いさせてもらえたら……」
暫く蒼は黙ったままだった。
そしてようやく坂道を登り切ると蒼が私の方をじっと見た。
(どうしよう……迷惑だったかな……)
もしかしたら毎年家で過ごしたくないくらいだ。誕生日くらい一人で好きなことをしながら過ごしたいのかもしれない。
「なぁ……夜、出てこれる?勿論迎えにくるから」
「え?夜?」
蒼が人差し指を空に向けた。
「俺の毎年誕生日の夜、海に星見に来てんだよね。毎年一人だけど、今年は月瀬と一緒に見れたらなって……でも夜だから家大丈夫かなって」
「行けるよっ」
なんだか涙が出そうになる。
蒼に誕生日だからと明日は会うのを断られたらどうしようかと思ったから。
「じゃあ、約束な」
泣きそうになった私に気づいたのか蒼が私の頭をくしゃくしゃっと撫でた。