「失礼します」
進路相談室の扉をノックして入ると、担任の鈴木先生がマグカップを片手に椅子に座って私を待っていた。
湯気がまだ立っているマグカップを一口すすり、いつものように私にこう聞いた。
「待ってたよ。それで、書けた?進路調査票」
「実は…」
進路相談室をノックした時の十分の一ぐらいの声の大きさで返答し、私は名前以外何も書かれていない進路調査票を鈴木先生に申し訳なさそうに渡した。そう、申し訳なさそうに。実際に毎回白紙の進路調査票を渡すたびに申し訳なく思っている。
前回と変わらず名前しか書かれていない進路調査票を見ると、鈴木先生は小さくため息をついてから困ったように私の顔を見た。
「内田の成績ならだいたいのところにいけるだろう」
そう言われても…と喉の辺りまで言葉が出かけたが飲み込んだ。
鈴木先生を困らせているのは事実であり、何度も自分の進路相談のために時間を取ってもらい申し訳ないと思っているからだ。
私、内田桜は自分で言うのは恥ずかしいが、成績優秀、スポーツもそこそこでき友達も多い世間一般で言う「優等生」だ。
よく勉強しなさいと親が言ってきてうるさいと友達は言っているが、私は両親から言われたことがない。
言われないことはありがたいが疑問に思ったこともあり昔、どうして私に勉強しなさいと言わないのかお母さんに聞いたことがあった。
「勉強しなさいって言ってやるならいくらでも言うけど、言ってもやらないでしょ?それに桜は自分で勝手にやってるから別に私たちが言う必要ないもの」
なるほど。どうやら両親から見ても私は手がかからない子供だったようだ。
確かに自分で必要だと思うことはやってきたし、私のそんな姿を見てか両親もああしなさい、こうしなさいと言ってくることはなかった。
人に迷惑をかけなければやりたいようにやりなさい。
これが両親の子育てのポリシーらしい。
だから私は、いろいろと好きなようにやらせてもらってたし、やりたくないことでも自分が必要だと思うことはコツコツ地道にやってきた。
そんな感じでほっといてもやらなければいけないことはしっかりやっており、特に問題を起こすこともなかったため先生方からも「手のかからない生徒」として認識されていたらしい。
しかし、進路の話となると別問題だ。私は手のかからない生徒から手のかかる生徒に変わる。
私にはやりたいことがないのだ。
勉強もスポーツもそこそこできるし、友達にも恵まれている。
やらなきゃいけないこともそれなりにこなすことができ、きっと学生としてならだいたいのことはできるだろう。
でもやりたいことがない。
鈴木先生は私の成績を見てどこでもいけるだろうと言ってくれている。私自身、進路に困らないようにと勉強してきた部分もあった。しかし、勉強してきた反面、自分が何をやりたのかは分からないままであった。
ありがたいことに、両親は学費のことは心配せずに行きたいところに行きなさいと言ってくれている。そのためにちゃんと貯金もしていると。
しかし、どこでもいいからと適当に選んで目的もなく大学に通うのでは、授業料を払ってくれる両親に申し訳ない。
それに適当に選んで四年間通ったとしても、また就職活動の時に同じことで悩むだろう。
そんな風に考えていたら余計に自分がどうしたいのかが分からなくなり、ずるずると鈴木先生との進路相談の回数だけが増えていった。
「内田なら大学に行ってからいろいろ学んで、何かしらやりたいことを見つけられると思うんだけどなぁ。まぁ、もう少し考えてみようか」
鈴木先生のその一声で、もう何回目か分からない私と鈴木先生の進路相談は終わった。
相変わらず私が右手に持つ進路調査票は名前以外真っ白のままだった。
名前以外真っ白な進路調査票をリュックに入れて、部活動をしている生徒を横目に私は校門を出た。
少し前までは私も部活をしている側の人間だったのに、かなり昔の様に感じる。
いつもは自転車で通っているが、今日は雨が降るかもしれないと久しぶりに歩いてきた。しかし、そんな日に限って結局雨は降らず、帰りは良く晴れているということが多い。歩いてきたことがちょっと損した気分になる。
自転車で十分、歩いて二十分の通学路を今日はビニール傘を片手に歩いて帰る。
次に進路相談をするまでには何かしらやりたいことや行きたい大学を決めなきゃなぁと考えながら歩いていると、握る力が弱まったのか右手から傘が抜け落ちた。
「おっと」
カタンッと音をたてコンクリートの道に傘が転がった。
傘を拾うために私は一瞬顔を下に向けた。
確かに一瞬だったはずだ。
傘を拾い顔を上げると、顔を下に向ける前まではいなかった2人の女性が立っていた。
「えっ?」
さっきまで姿さえ見えなかった二人が一瞬にして目の前に現れたため、驚いて思わず声が漏れた。
「こんにちは」
片方の女性が声をかけてきたため、私も挨拶を返した。
二人とも二十代後半ぐらいで、背格好が同じだった。片方は茶髪の顎下ボブの髪型でグレーがかった水色のパーカーとネイビーのデニムスタイルに白いスニーカーのカジュアルな服装をしていた。もう片方は肩までの黒髪をハーフアップにしており、ミントグリーンの膝下丈のワンピースに茶色のローファーと白い靴下を合わせていた。
服装の系統は違うが二人の雰囲気はとても良く似ている。顔もよく似ている。
一卵性の双子なのだろうか?そう思ったが、私は少し違和感を覚えた。
よく似ている双子だと思ったが違う。
似ているというよりもこの二人は同じだ。
二人は髪型や服装こそ違うが顔が全く同じだった。右目の下にあるほくろの位置まで同じ双子なんて見たことない。まるで鏡を見ているかのようだ。
「私たちは双子じゃないよ」
ボブの女性が言った。心の声が漏れていたのかと思いドキッとした。私の顔にでも書いてあったのだろうか。
「私たちは同じだけど違うの」
今度はハーフアップの女性が微笑みながら言った。
同じだけど違う――どういうことだろう?
「それってどういうことですか?同じだけど違う…?」
私はいつの間にか、初対面の不思議な二人のことが気になっていた。
一瞬にして私の目の前に現れ、顔が全く同じなこの二人は一体何者なのだろうか?
うーん…そうだなぁと考えながら二人は口元に手をあてた。目を閉じ上手く説明するのが難しいといった顔をしている。
顔が同じだけではなく仕草まで同じだ。
「私たちはあなたのことを誰よりも知っていて同じ存在って言えばいいかな?内田桜ちゃん」
「えっ…」
名乗ってもいないのに今度はハーフアップの女性が私の名前を口にした。
驚いて私は目が丸くなったと同時に、急に目の前に現れた二人に恐怖を感じた。
一瞬にして目の前に現れて、どうして名乗ってもいないのに私の名前を知っている?
それと同時に私はひとつの予想が浮かんだ。
ありえないけど、もしかして――。
「もしかして幽霊!?私視えない人なのに!!」
思わず大きな声が出ると、二人は一瞬沈黙してから顔を見合わせ声を出して笑った。
「あはははは。幽霊だって。高校生の私はずいぶんかわいい考えの持ち主だね」
「そりゃあ、私にだってピュアなハートを持ってた時ぐらいあるよ」
二人は一通り笑い終わった後、改めて私の方を見た。
「私たちは十年後――。つまり二十八歳のあなた、内田桜なの」
ハーフアップの女性がイェイと右手をピースして私に向けた。ボブの女性は「あぁ、おかしい」と言いながら笑いすぎて出てきた涙を指で拭っていた。
「十年後の私…?嘘だ!そんなの信じられないよ!幽霊じゃなくて不審者!?」
不審者ねぇ…とくっくっくっと笑いをこらえきれない様子で、十年後の私だというボブの女性が言った。
「本当に昔の私って面白い発想するね。よく見て、髪型とかは違うけど私たち顔が同じでしょ?」
二人が近寄って私に顔を見せた。何度見てもこの二人は同じ顔だ。右目の下にあるほくろの位置まで同じだ。
今度は十年後の私だというハーフアップの女性がワンピースのポケットから手鏡を出し、私の顔を映した。
私の右目の下にもこの二人と同じ位置にほくろがある。
「でもでも!未来から来た私ですって言われても信じられないよ!やっぱり不審者だよ!」
「確かにそうか」と二人は言い、再び腕を組んで渋い顔をして考えている。
急に「私たちは十年後の未来から来たあなたです」と言われて信じろと言われても信じられるはずがない。
残念ながら私はそんなユーモア溢れる人間ではない。どちらかというと現実主義な方だ。
「うーん、そうだなぁ…。どうすれば信じてもらえるかな?」
「んーと…分かった!昔の私はこの時期進路に迷ってる時でしょ?やりたいことがないとかで」
「そっか、そんな時もあったね」
十年後の私だと名乗る二人は顔を見合わせながら話している。
まさに私は進路の悩みに直面中だが、この二人には一言も話していない。
まさかこの二人は本当に未来の私なのだろうか――?いや、そんなことってありえる?
そうだ!と、十年後の私だと名乗るボブの女性が何かを思い出したようで手をポンと叩いた。
「これ誰にも言ってないから私しか知らないはず。小六の時、同じクラスの渡辺君のことが好きでバレンタインに下駄箱にチョコ入れたのに自分の名前書き忘れちゃって、渡辺君に気づいてもらえなくて泣いたことがあったはず!」
「頑張って勇気出したんだけどねぇ。結局、そのあとちゃんと名前を書いてチョコを下駄箱に入れたゆいちゃんと渡辺君が付き合うことになって、一人で大泣きしたんだよね」
二人は懐かしそうに話しているが、私は恥ずかしさで顔が真っ赤になって熱い。
これは本当の話で、誰にも話したことがない。つまり知っているのは私だけ。
じゃあ、この二人は本当に――。
「本当に十年後の私なの…?」
そうでーすと二人は楽しそうに笑ってから、「やっと信じてくれた」と若干呆れ顔で私を見た。
信じられないし信じたくもないが、私以外知らない話を知っているため、私はこの二人が十年後の私だということを信じることにした。それと同時にひとつの疑問が浮かんだ。
「でもどうして十年後の私がここにいるの?しかも二人。髪型だって服装も違うし」
聞きたいことがありすぎて私は早口で二人に聞いた。
どうして十年後の私が二人いて、私の目の前に現れたのだろうか。
「私たちと出会うことが過去の私の分岐点になるからじゃないかな?」
ハーフアップの十年後の私が答える横で、ボブの十年後の私がうんうんと頷いていた。
「分岐点?」
そう!と二人の十年後の私は声を合わせて言った。
「私たちは違う選択肢を選んだ十年後の内田桜なの。えーと、私たちみんな内田桜なんだけど、これから説明する時に同じ名前だから話が分かりづらいね…。呼び方変えようか」
ボブの十年後の私が提案した。確かにここにいる三人ともみんな「内田桜」だ。
「分かればいいんだから何でもいいでしょ?そしたら、私がさくらちゃんでもう一人の十年後の私がさくちゃんでどう?高校生の私はそのまま高校生の私でいいでしょ?」
ハーフアップの十年後の私がボブの十年後の私と自分を交互に指さしながら言った。「何でもいいよ」とボブの十年後の私も賛成した。二人の呼び方が決まり、「決定~」と言うハーフアップの十年後の私に合わせて、三人でパチパチと拍手をした。
整理すると、ボブの十年後の私はさくちゃん、ハーフアップの十年後の私はさくらちゃん、私は高校生の私と呼ぶことになった。
「話を戻すけど、私とさくちゃんは十年後のあなたなの。選択肢が違っただけで「内田桜」という人間は同じ」
「選択肢が違う?」
「そう。どういえば分かりやすいかな…?」
さくちゃんが小さな石を三つ拾ってきて、逆三角形に並べた。
「この下にある石が高校生の私で上の二つの石がさくちゃんと私、さくらちゃんね。高校生の私が現在でさくちゃんと私が未来って考えて」
さくらちゃんが言い終わると、今度はさくちゃんが石を指さしながら説明しはじめた。
「ざっくり言うと、さくらちゃんと私は別の選択肢を選んだ十年後の高校生の私。例えば、高校生の私がAという選択肢を選んだらさくらちゃんルートを。Bという選択肢を選んだら私、さくちゃんルートになるのかな」
「別の選択肢…?」
「そう。こっちを選んで失敗したなぁ…もしあっちを選んでたらどうなってたんだろう…って考えたことない?」
さくちゃんとさくらちゃんが別の選択肢を選んだ十年後の私と言うなら、確かに同じ顔で私しか知らないことを知っているのに納得がいく。
「髪型も服装もお互い違うし、話を聞いたら二人とも全然違う人生を歩んでたからびっくりしちゃった」
さくらちゃんがそう言うと、さくちゃんもうんうんと頷いていた。
「二人がどんな人生を送っているか知りたい!そしたら私も何かやりたいことがみつかるかも!二人も知ってると思うけど、進路に悩んでて…やりたいことがないの」
さくちゃんとさくらちゃんは少し考えてから、さくちゃんがこう言った。
「漫画とかだと未来を変えちゃうことは過去でしちゃだめってよく聞くけど、そもそも私とさくらちゃんで別の未来になってるからあんまり関係ないのかな?まぁ、話しちゃいけないことがあれば何かしら起こるだろうからいいや。そしたら、高校生の私が十年後どんな風になってるか話そうかな」
まずは私、さくちゃんルートの話をするね――。
高校生の私は今、やりたいことがなくて進路にだいぶ迷っているみたいだけど、私は大学の資料を見たりオープンキャンパスとかに行ってみて、よさそうだなと思った大学をとりあえず決めて受験したの。
大学受験は無事に合格。
友達もたくさんできたし、サークルとかにもいろいろ参加してみたりもした。四年間毎日楽しかったなぁ。
まぁ、テストは大変だったけどちゃんと勉強はしてたから成績もそこそこ上位にいたはずだし。
私ってほら、必要なことはちゃんとやる人じゃん?
でもやりたいことは結局分からないまま就職活動をすることになってさ。
勉強もちゃんとしてたし成績もよかったはずなんだけど、就活はそんなに甘くなかった…。
筆記試験は受かるの。筆記はね。ちゃんと勉強して点数を取れば受かるから。
でもいつも面接で落ちちゃって…。
そりゃそうだよね。だって何がやりたいか分からないまま就活してるんだから、志望動機を聞かれてもありふれたことしか答えられないし、ここじゃなくて他の場所でもできるよねってなるから見事に惨敗…。
当たり前と言えば当たり前なんだけど、周りの友達が次々内定もらっていく中で自分だけ取り残されたような気になって、落ち込んでた。あの時は辛かったなぁ…。
それで、ストレス発散目的で絵を描いてSNSに上げてたの。本当はそんなことしてる場合じゃなかったんだろうけど、絵を描いている時はすごく楽しかったし、SNSでコメントをもらったりしてとっても嬉しかった。私の絵が好きって言ってくれる人もいれば、私の絵を見ることを楽しみにしてくれる人もいてさ。
もっと上手くなりたい。もっといろんな人に楽しんでもらいたいと思って絵を描き続けたら、気づいたの。
私は絵を描くのが好きで、私の絵を楽しんでくれる人のために絵を描きたいって。
それで、お父さんとお母さんに少しの間就活を辞めて本気で絵を描きたいって伝えたの。高校生の私なら二人がどんな人か知ってるでしょう?やりたいようにやりなさいって言ってくれた。だから私は本気で絵を描いた。アルバイトをしながらある程度期限をつけてね。
そんな感じで絵を描き続けて、ありがたいことにSNSがきっかけで絵のお仕事をもらえたの。
それで私は今、新人のイラストレーターとしてスタートに立ったの。
これが私、さくちゃんルート。
さくちゃんの話を聞いて私は驚いた。まさか自分がイラストレーターになるとは思ってもみなかった。会社員として企業に勤めている自分しか想像つかなかったからだ。絵を描くことは好きだが、好きというだけで上手いわけではない。きっとさくちゃんはたくさんの努力をしてきたのだろう。
「就活の時は本当にしんどかったけど、人生辛いことばかりじゃないよ。逆に私は就活で苦労しなければ絵を描くことはなかっただろうし、イラストレーターになっていなかったと思うし」
さくちゃんはにっこりと笑った。
「じゃあ、次は私のお話をしようかな」
さくらちゃんが右手を小さく上げて微笑んだ。
次は私、さくらちゃんルートを話すね――。
さっきさくちゃんは資料とかオープンキャンパスとかに行ってよさそうな大学を受験したって言ってたけど、私はちゃんと行きたい大学と勉強したいことがはっきり決まって受験したんだ。
この大学で頑張りたい!こんなことを勉強したい!って思ってやっとやりたいことができたの。絶対に合格するんだ!って意気込んで勉強も今まで以上に頑張ったし、そのかいあって模試の結果もずっと合格圏内だったの。だけど、試験当日にマークシートが一つずつずれちゃってて…。気が付いたのが試験終了三分前。残念ながら受験に失敗しちゃった…。
結局、別の大学に合格してたからそこで頑張ろうと思って別の大学に進学したの。でもやっぱり第一志望のところに行きたかったし、マークシートがずれてなければたぶん合格してから、余計に勉強のモチベーションが下がっちゃって…。
そんなんだから朝は起きれなくて単位はギリギリ。
さらに運悪く体調を崩しちゃってさ、短い期間だけど入院することになって…。本当に最悪って思ったよ!
体は丈夫な方だったからはじめての入院ですっごい不安だったし。でもね、この入院が私の人生を変えたの!そこで素敵な看護師さんに出会ったんだ。仕事もてきぱきやってて、私の話をちゃんと聞いてくれてさ。そのおかげで、入院の不安もなくなったしその看護師さんと話すことが楽しみになってた。
それでね、私もそんな人になりたい!って思ったの。それで大学を辞めたの。
私が通ってた大学だと看護師にはなれないから。
それで専門学校に入り直して今は看護師として働いてるの。大変だけど、毎日とてもやりがいを感じてる。
さくらちゃんは誇らしげに話し終えた。
さくちゃんとさくらちゃん。どちらも十年後の未来の私だが、別々の人生を送っていた。
イラストレーターと看護師。ジャンルも違えば仕事内容も全く異なる。
別々の人生、全く違う仕事に就いている二人だが、話を聞いていると二人はとても楽しそうだった。
「きっと、高校生の私はやりたいことが分からなくて、でも進路を決めなきゃいけなくていろいろ大変かもしれないけど、意外と未来はどうとでもなるよ」
さくちゃんがそう言うと、さくらちゃんもうんうんと頷いた。
「何がやりたいかなんてその時にならないと分からないものだし、頑張りたいって思う気持ちがあるならあとはそれに向かって行くだけ。私もさくちゃんも大学に行ったけど、ちょっとしたきっかけで自分では思ってもいなかった仕事をしているしね」
「ちょっとしたきっかけ…」
そう!と二人は言った。
「人生いいこともあれば嫌なこともある。順調すぎる人生はつまらないでしょ?辛いことや苦しい経験をすることで初めて分かることだってあるし、小さな幸せが大きな幸せになることだってある」
さくちゃんが続けてこう言った。
「何でもいいから少しでも興味があればやってみる、調べてみる。それが大切!そこからやりたいことが見つかるかもしれないし、見つからなくてもそれが何かにつながる可能性が十分あるから」
確かに私は「やりたいことがない」と言ってばかりで、自分から物事に興味を持ったり調べたりすること自体やっていなかった。毎日同じことしかやらず、同じようにしか過ごしていない。そんな代り映えのない日々を送っていれば私が変わるための「きっかけ」すら起こらない。
「未来は変えられるけど、過去は変えられないよ。あなたはこれから二十八歳の私たちになることができるけど、私たちは十八歳のあなたにはもう戻れないの。だから、今しかできないことを大切にね」
さくらちゃんがそう言い終えると、さくらちゃんとさくらちゃんは私の手を優しく握った。二人の手の体温が伝わってくる。
突然のことだったため私が驚いて二人の顔を見ると、二人は優しく微笑んでいた。
「私はどっちの人生を歩むんだろう?」
二人の微笑む顔を見て思わずポツリと言葉がこぼれた。
二人が私の十年後だとしたら、私はどちらの人生を歩むのだろう?そんな疑問が浮かんだ。
突然の私の発言に二人はきょとんとしていた。
「私たちのどっちかの人生かもしれないし、もしかしたら全然違う人生を歩むかもしれないし、それは高校生の私…あなた次第だよ」
この二人が十年後の別の選択肢を選んだ私ならば、私がさくちゃんとさくらちゃん以外の選択肢を選んで全く違う人生を歩む可能性があるということか…。その選択肢を選んだ私は楽しく過ごしているのだろうか。少し不安になった。
それを察したのかさくちゃんが私の背中をぽんぽんと優しく叩いた。
「私もさくらちゃんも辛い時期もあったけど、その経験を得て今は自分がやりたいように毎日楽しく過ごしてるから、きっとあなたも大丈夫」
「「大丈夫。私は変われるよ」」
二人が声をそろえて言った。
「あなたが頑張れるってことは私たちが一番よく知ってるんだから」
さくちゃんがそう言い、二人が勇気づけるように私のぽんと背中を押した。
その勢いで私は一歩前に押し出された。
「「頑張れ」」
後ろから二人の声が聞こえ振り返ると、振り返った先には誰もいなかった。
「あれ?」
きょろきょろと辺りを見渡すが誰もいない。
さっきまでの出来事は夢だったのだろうか――?
ベタだが自分の頬をつねってみた。ちゃんと痛い。
二人が握ってくれた手の体温、背中を押された感覚――あれは夢なんかじゃない。
ふとコンクリートに逆三角形に並べられた石が目に入った。
これはそうだーー人がパラレルワールドの説明をしてくれた時に使った石だ。
やはり夢じゃなかったんだ。
私は十年後の…それぞれ別の選択肢を選んだ十年後の私に会ったんだ。
ありえないけど本当に未来の私に会ったんだ。
大丈夫、私は変われる。やりたいことだってきっと見つかる。
そんな決意を胸に、私は次に鈴木先生と進路相談するまで少しでも興味があることをやってみたり調べてみることにした。
いつ私が変わる「きっかけ」が起こるか分からないから。
本当に些細な小さなことかもしれない。だけど、そのきっかけを私は逃したくない。
そんなありえない出会いを私は今、小説として書いている。
あの日の出来事をきっかけに、私は日記をつけるようになった。
日記をつけているうちに、楽しかったこと、嬉しかったことは誰かと共有したいし、私は文章を書くことが好きだということに気が付いた。そして、もしこの選択をしたら今頃自分はどうなっていたのだろう、こんな世界があったら面白いだろうなと思うようになった。
そんな出来事を得て二十八歳となった私は今、イラストレーターでも看護師でもなく小説家になり日々物語を考えている。
人が変わるきっかけはいつ起こるか分からない。もしかしたらやりたいことはすでにあるのに、気がついていないだけかもしれない。ちょっとした選択の違いで全く別の人生を送っていく。
別の選択肢を選んだ私へ。
私は今、やりたいことが見つかりましたか。
進路相談室の扉をノックして入ると、担任の鈴木先生がマグカップを片手に椅子に座って私を待っていた。
湯気がまだ立っているマグカップを一口すすり、いつものように私にこう聞いた。
「待ってたよ。それで、書けた?進路調査票」
「実は…」
進路相談室をノックした時の十分の一ぐらいの声の大きさで返答し、私は名前以外何も書かれていない進路調査票を鈴木先生に申し訳なさそうに渡した。そう、申し訳なさそうに。実際に毎回白紙の進路調査票を渡すたびに申し訳なく思っている。
前回と変わらず名前しか書かれていない進路調査票を見ると、鈴木先生は小さくため息をついてから困ったように私の顔を見た。
「内田の成績ならだいたいのところにいけるだろう」
そう言われても…と喉の辺りまで言葉が出かけたが飲み込んだ。
鈴木先生を困らせているのは事実であり、何度も自分の進路相談のために時間を取ってもらい申し訳ないと思っているからだ。
私、内田桜は自分で言うのは恥ずかしいが、成績優秀、スポーツもそこそこでき友達も多い世間一般で言う「優等生」だ。
よく勉強しなさいと親が言ってきてうるさいと友達は言っているが、私は両親から言われたことがない。
言われないことはありがたいが疑問に思ったこともあり昔、どうして私に勉強しなさいと言わないのかお母さんに聞いたことがあった。
「勉強しなさいって言ってやるならいくらでも言うけど、言ってもやらないでしょ?それに桜は自分で勝手にやってるから別に私たちが言う必要ないもの」
なるほど。どうやら両親から見ても私は手がかからない子供だったようだ。
確かに自分で必要だと思うことはやってきたし、私のそんな姿を見てか両親もああしなさい、こうしなさいと言ってくることはなかった。
人に迷惑をかけなければやりたいようにやりなさい。
これが両親の子育てのポリシーらしい。
だから私は、いろいろと好きなようにやらせてもらってたし、やりたくないことでも自分が必要だと思うことはコツコツ地道にやってきた。
そんな感じでほっといてもやらなければいけないことはしっかりやっており、特に問題を起こすこともなかったため先生方からも「手のかからない生徒」として認識されていたらしい。
しかし、進路の話となると別問題だ。私は手のかからない生徒から手のかかる生徒に変わる。
私にはやりたいことがないのだ。
勉強もスポーツもそこそこできるし、友達にも恵まれている。
やらなきゃいけないこともそれなりにこなすことができ、きっと学生としてならだいたいのことはできるだろう。
でもやりたいことがない。
鈴木先生は私の成績を見てどこでもいけるだろうと言ってくれている。私自身、進路に困らないようにと勉強してきた部分もあった。しかし、勉強してきた反面、自分が何をやりたのかは分からないままであった。
ありがたいことに、両親は学費のことは心配せずに行きたいところに行きなさいと言ってくれている。そのためにちゃんと貯金もしていると。
しかし、どこでもいいからと適当に選んで目的もなく大学に通うのでは、授業料を払ってくれる両親に申し訳ない。
それに適当に選んで四年間通ったとしても、また就職活動の時に同じことで悩むだろう。
そんな風に考えていたら余計に自分がどうしたいのかが分からなくなり、ずるずると鈴木先生との進路相談の回数だけが増えていった。
「内田なら大学に行ってからいろいろ学んで、何かしらやりたいことを見つけられると思うんだけどなぁ。まぁ、もう少し考えてみようか」
鈴木先生のその一声で、もう何回目か分からない私と鈴木先生の進路相談は終わった。
相変わらず私が右手に持つ進路調査票は名前以外真っ白のままだった。
名前以外真っ白な進路調査票をリュックに入れて、部活動をしている生徒を横目に私は校門を出た。
少し前までは私も部活をしている側の人間だったのに、かなり昔の様に感じる。
いつもは自転車で通っているが、今日は雨が降るかもしれないと久しぶりに歩いてきた。しかし、そんな日に限って結局雨は降らず、帰りは良く晴れているということが多い。歩いてきたことがちょっと損した気分になる。
自転車で十分、歩いて二十分の通学路を今日はビニール傘を片手に歩いて帰る。
次に進路相談をするまでには何かしらやりたいことや行きたい大学を決めなきゃなぁと考えながら歩いていると、握る力が弱まったのか右手から傘が抜け落ちた。
「おっと」
カタンッと音をたてコンクリートの道に傘が転がった。
傘を拾うために私は一瞬顔を下に向けた。
確かに一瞬だったはずだ。
傘を拾い顔を上げると、顔を下に向ける前まではいなかった2人の女性が立っていた。
「えっ?」
さっきまで姿さえ見えなかった二人が一瞬にして目の前に現れたため、驚いて思わず声が漏れた。
「こんにちは」
片方の女性が声をかけてきたため、私も挨拶を返した。
二人とも二十代後半ぐらいで、背格好が同じだった。片方は茶髪の顎下ボブの髪型でグレーがかった水色のパーカーとネイビーのデニムスタイルに白いスニーカーのカジュアルな服装をしていた。もう片方は肩までの黒髪をハーフアップにしており、ミントグリーンの膝下丈のワンピースに茶色のローファーと白い靴下を合わせていた。
服装の系統は違うが二人の雰囲気はとても良く似ている。顔もよく似ている。
一卵性の双子なのだろうか?そう思ったが、私は少し違和感を覚えた。
よく似ている双子だと思ったが違う。
似ているというよりもこの二人は同じだ。
二人は髪型や服装こそ違うが顔が全く同じだった。右目の下にあるほくろの位置まで同じ双子なんて見たことない。まるで鏡を見ているかのようだ。
「私たちは双子じゃないよ」
ボブの女性が言った。心の声が漏れていたのかと思いドキッとした。私の顔にでも書いてあったのだろうか。
「私たちは同じだけど違うの」
今度はハーフアップの女性が微笑みながら言った。
同じだけど違う――どういうことだろう?
「それってどういうことですか?同じだけど違う…?」
私はいつの間にか、初対面の不思議な二人のことが気になっていた。
一瞬にして私の目の前に現れ、顔が全く同じなこの二人は一体何者なのだろうか?
うーん…そうだなぁと考えながら二人は口元に手をあてた。目を閉じ上手く説明するのが難しいといった顔をしている。
顔が同じだけではなく仕草まで同じだ。
「私たちはあなたのことを誰よりも知っていて同じ存在って言えばいいかな?内田桜ちゃん」
「えっ…」
名乗ってもいないのに今度はハーフアップの女性が私の名前を口にした。
驚いて私は目が丸くなったと同時に、急に目の前に現れた二人に恐怖を感じた。
一瞬にして目の前に現れて、どうして名乗ってもいないのに私の名前を知っている?
それと同時に私はひとつの予想が浮かんだ。
ありえないけど、もしかして――。
「もしかして幽霊!?私視えない人なのに!!」
思わず大きな声が出ると、二人は一瞬沈黙してから顔を見合わせ声を出して笑った。
「あはははは。幽霊だって。高校生の私はずいぶんかわいい考えの持ち主だね」
「そりゃあ、私にだってピュアなハートを持ってた時ぐらいあるよ」
二人は一通り笑い終わった後、改めて私の方を見た。
「私たちは十年後――。つまり二十八歳のあなた、内田桜なの」
ハーフアップの女性がイェイと右手をピースして私に向けた。ボブの女性は「あぁ、おかしい」と言いながら笑いすぎて出てきた涙を指で拭っていた。
「十年後の私…?嘘だ!そんなの信じられないよ!幽霊じゃなくて不審者!?」
不審者ねぇ…とくっくっくっと笑いをこらえきれない様子で、十年後の私だというボブの女性が言った。
「本当に昔の私って面白い発想するね。よく見て、髪型とかは違うけど私たち顔が同じでしょ?」
二人が近寄って私に顔を見せた。何度見てもこの二人は同じ顔だ。右目の下にあるほくろの位置まで同じだ。
今度は十年後の私だというハーフアップの女性がワンピースのポケットから手鏡を出し、私の顔を映した。
私の右目の下にもこの二人と同じ位置にほくろがある。
「でもでも!未来から来た私ですって言われても信じられないよ!やっぱり不審者だよ!」
「確かにそうか」と二人は言い、再び腕を組んで渋い顔をして考えている。
急に「私たちは十年後の未来から来たあなたです」と言われて信じろと言われても信じられるはずがない。
残念ながら私はそんなユーモア溢れる人間ではない。どちらかというと現実主義な方だ。
「うーん、そうだなぁ…。どうすれば信じてもらえるかな?」
「んーと…分かった!昔の私はこの時期進路に迷ってる時でしょ?やりたいことがないとかで」
「そっか、そんな時もあったね」
十年後の私だと名乗る二人は顔を見合わせながら話している。
まさに私は進路の悩みに直面中だが、この二人には一言も話していない。
まさかこの二人は本当に未来の私なのだろうか――?いや、そんなことってありえる?
そうだ!と、十年後の私だと名乗るボブの女性が何かを思い出したようで手をポンと叩いた。
「これ誰にも言ってないから私しか知らないはず。小六の時、同じクラスの渡辺君のことが好きでバレンタインに下駄箱にチョコ入れたのに自分の名前書き忘れちゃって、渡辺君に気づいてもらえなくて泣いたことがあったはず!」
「頑張って勇気出したんだけどねぇ。結局、そのあとちゃんと名前を書いてチョコを下駄箱に入れたゆいちゃんと渡辺君が付き合うことになって、一人で大泣きしたんだよね」
二人は懐かしそうに話しているが、私は恥ずかしさで顔が真っ赤になって熱い。
これは本当の話で、誰にも話したことがない。つまり知っているのは私だけ。
じゃあ、この二人は本当に――。
「本当に十年後の私なの…?」
そうでーすと二人は楽しそうに笑ってから、「やっと信じてくれた」と若干呆れ顔で私を見た。
信じられないし信じたくもないが、私以外知らない話を知っているため、私はこの二人が十年後の私だということを信じることにした。それと同時にひとつの疑問が浮かんだ。
「でもどうして十年後の私がここにいるの?しかも二人。髪型だって服装も違うし」
聞きたいことがありすぎて私は早口で二人に聞いた。
どうして十年後の私が二人いて、私の目の前に現れたのだろうか。
「私たちと出会うことが過去の私の分岐点になるからじゃないかな?」
ハーフアップの十年後の私が答える横で、ボブの十年後の私がうんうんと頷いていた。
「分岐点?」
そう!と二人の十年後の私は声を合わせて言った。
「私たちは違う選択肢を選んだ十年後の内田桜なの。えーと、私たちみんな内田桜なんだけど、これから説明する時に同じ名前だから話が分かりづらいね…。呼び方変えようか」
ボブの十年後の私が提案した。確かにここにいる三人ともみんな「内田桜」だ。
「分かればいいんだから何でもいいでしょ?そしたら、私がさくらちゃんでもう一人の十年後の私がさくちゃんでどう?高校生の私はそのまま高校生の私でいいでしょ?」
ハーフアップの十年後の私がボブの十年後の私と自分を交互に指さしながら言った。「何でもいいよ」とボブの十年後の私も賛成した。二人の呼び方が決まり、「決定~」と言うハーフアップの十年後の私に合わせて、三人でパチパチと拍手をした。
整理すると、ボブの十年後の私はさくちゃん、ハーフアップの十年後の私はさくらちゃん、私は高校生の私と呼ぶことになった。
「話を戻すけど、私とさくちゃんは十年後のあなたなの。選択肢が違っただけで「内田桜」という人間は同じ」
「選択肢が違う?」
「そう。どういえば分かりやすいかな…?」
さくちゃんが小さな石を三つ拾ってきて、逆三角形に並べた。
「この下にある石が高校生の私で上の二つの石がさくちゃんと私、さくらちゃんね。高校生の私が現在でさくちゃんと私が未来って考えて」
さくらちゃんが言い終わると、今度はさくちゃんが石を指さしながら説明しはじめた。
「ざっくり言うと、さくらちゃんと私は別の選択肢を選んだ十年後の高校生の私。例えば、高校生の私がAという選択肢を選んだらさくらちゃんルートを。Bという選択肢を選んだら私、さくちゃんルートになるのかな」
「別の選択肢…?」
「そう。こっちを選んで失敗したなぁ…もしあっちを選んでたらどうなってたんだろう…って考えたことない?」
さくちゃんとさくらちゃんが別の選択肢を選んだ十年後の私と言うなら、確かに同じ顔で私しか知らないことを知っているのに納得がいく。
「髪型も服装もお互い違うし、話を聞いたら二人とも全然違う人生を歩んでたからびっくりしちゃった」
さくらちゃんがそう言うと、さくちゃんもうんうんと頷いていた。
「二人がどんな人生を送っているか知りたい!そしたら私も何かやりたいことがみつかるかも!二人も知ってると思うけど、進路に悩んでて…やりたいことがないの」
さくちゃんとさくらちゃんは少し考えてから、さくちゃんがこう言った。
「漫画とかだと未来を変えちゃうことは過去でしちゃだめってよく聞くけど、そもそも私とさくらちゃんで別の未来になってるからあんまり関係ないのかな?まぁ、話しちゃいけないことがあれば何かしら起こるだろうからいいや。そしたら、高校生の私が十年後どんな風になってるか話そうかな」
まずは私、さくちゃんルートの話をするね――。
高校生の私は今、やりたいことがなくて進路にだいぶ迷っているみたいだけど、私は大学の資料を見たりオープンキャンパスとかに行ってみて、よさそうだなと思った大学をとりあえず決めて受験したの。
大学受験は無事に合格。
友達もたくさんできたし、サークルとかにもいろいろ参加してみたりもした。四年間毎日楽しかったなぁ。
まぁ、テストは大変だったけどちゃんと勉強はしてたから成績もそこそこ上位にいたはずだし。
私ってほら、必要なことはちゃんとやる人じゃん?
でもやりたいことは結局分からないまま就職活動をすることになってさ。
勉強もちゃんとしてたし成績もよかったはずなんだけど、就活はそんなに甘くなかった…。
筆記試験は受かるの。筆記はね。ちゃんと勉強して点数を取れば受かるから。
でもいつも面接で落ちちゃって…。
そりゃそうだよね。だって何がやりたいか分からないまま就活してるんだから、志望動機を聞かれてもありふれたことしか答えられないし、ここじゃなくて他の場所でもできるよねってなるから見事に惨敗…。
当たり前と言えば当たり前なんだけど、周りの友達が次々内定もらっていく中で自分だけ取り残されたような気になって、落ち込んでた。あの時は辛かったなぁ…。
それで、ストレス発散目的で絵を描いてSNSに上げてたの。本当はそんなことしてる場合じゃなかったんだろうけど、絵を描いている時はすごく楽しかったし、SNSでコメントをもらったりしてとっても嬉しかった。私の絵が好きって言ってくれる人もいれば、私の絵を見ることを楽しみにしてくれる人もいてさ。
もっと上手くなりたい。もっといろんな人に楽しんでもらいたいと思って絵を描き続けたら、気づいたの。
私は絵を描くのが好きで、私の絵を楽しんでくれる人のために絵を描きたいって。
それで、お父さんとお母さんに少しの間就活を辞めて本気で絵を描きたいって伝えたの。高校生の私なら二人がどんな人か知ってるでしょう?やりたいようにやりなさいって言ってくれた。だから私は本気で絵を描いた。アルバイトをしながらある程度期限をつけてね。
そんな感じで絵を描き続けて、ありがたいことにSNSがきっかけで絵のお仕事をもらえたの。
それで私は今、新人のイラストレーターとしてスタートに立ったの。
これが私、さくちゃんルート。
さくちゃんの話を聞いて私は驚いた。まさか自分がイラストレーターになるとは思ってもみなかった。会社員として企業に勤めている自分しか想像つかなかったからだ。絵を描くことは好きだが、好きというだけで上手いわけではない。きっとさくちゃんはたくさんの努力をしてきたのだろう。
「就活の時は本当にしんどかったけど、人生辛いことばかりじゃないよ。逆に私は就活で苦労しなければ絵を描くことはなかっただろうし、イラストレーターになっていなかったと思うし」
さくちゃんはにっこりと笑った。
「じゃあ、次は私のお話をしようかな」
さくらちゃんが右手を小さく上げて微笑んだ。
次は私、さくらちゃんルートを話すね――。
さっきさくちゃんは資料とかオープンキャンパスとかに行ってよさそうな大学を受験したって言ってたけど、私はちゃんと行きたい大学と勉強したいことがはっきり決まって受験したんだ。
この大学で頑張りたい!こんなことを勉強したい!って思ってやっとやりたいことができたの。絶対に合格するんだ!って意気込んで勉強も今まで以上に頑張ったし、そのかいあって模試の結果もずっと合格圏内だったの。だけど、試験当日にマークシートが一つずつずれちゃってて…。気が付いたのが試験終了三分前。残念ながら受験に失敗しちゃった…。
結局、別の大学に合格してたからそこで頑張ろうと思って別の大学に進学したの。でもやっぱり第一志望のところに行きたかったし、マークシートがずれてなければたぶん合格してから、余計に勉強のモチベーションが下がっちゃって…。
そんなんだから朝は起きれなくて単位はギリギリ。
さらに運悪く体調を崩しちゃってさ、短い期間だけど入院することになって…。本当に最悪って思ったよ!
体は丈夫な方だったからはじめての入院ですっごい不安だったし。でもね、この入院が私の人生を変えたの!そこで素敵な看護師さんに出会ったんだ。仕事もてきぱきやってて、私の話をちゃんと聞いてくれてさ。そのおかげで、入院の不安もなくなったしその看護師さんと話すことが楽しみになってた。
それでね、私もそんな人になりたい!って思ったの。それで大学を辞めたの。
私が通ってた大学だと看護師にはなれないから。
それで専門学校に入り直して今は看護師として働いてるの。大変だけど、毎日とてもやりがいを感じてる。
さくらちゃんは誇らしげに話し終えた。
さくちゃんとさくらちゃん。どちらも十年後の未来の私だが、別々の人生を送っていた。
イラストレーターと看護師。ジャンルも違えば仕事内容も全く異なる。
別々の人生、全く違う仕事に就いている二人だが、話を聞いていると二人はとても楽しそうだった。
「きっと、高校生の私はやりたいことが分からなくて、でも進路を決めなきゃいけなくていろいろ大変かもしれないけど、意外と未来はどうとでもなるよ」
さくちゃんがそう言うと、さくらちゃんもうんうんと頷いた。
「何がやりたいかなんてその時にならないと分からないものだし、頑張りたいって思う気持ちがあるならあとはそれに向かって行くだけ。私もさくちゃんも大学に行ったけど、ちょっとしたきっかけで自分では思ってもいなかった仕事をしているしね」
「ちょっとしたきっかけ…」
そう!と二人は言った。
「人生いいこともあれば嫌なこともある。順調すぎる人生はつまらないでしょ?辛いことや苦しい経験をすることで初めて分かることだってあるし、小さな幸せが大きな幸せになることだってある」
さくちゃんが続けてこう言った。
「何でもいいから少しでも興味があればやってみる、調べてみる。それが大切!そこからやりたいことが見つかるかもしれないし、見つからなくてもそれが何かにつながる可能性が十分あるから」
確かに私は「やりたいことがない」と言ってばかりで、自分から物事に興味を持ったり調べたりすること自体やっていなかった。毎日同じことしかやらず、同じようにしか過ごしていない。そんな代り映えのない日々を送っていれば私が変わるための「きっかけ」すら起こらない。
「未来は変えられるけど、過去は変えられないよ。あなたはこれから二十八歳の私たちになることができるけど、私たちは十八歳のあなたにはもう戻れないの。だから、今しかできないことを大切にね」
さくらちゃんがそう言い終えると、さくらちゃんとさくらちゃんは私の手を優しく握った。二人の手の体温が伝わってくる。
突然のことだったため私が驚いて二人の顔を見ると、二人は優しく微笑んでいた。
「私はどっちの人生を歩むんだろう?」
二人の微笑む顔を見て思わずポツリと言葉がこぼれた。
二人が私の十年後だとしたら、私はどちらの人生を歩むのだろう?そんな疑問が浮かんだ。
突然の私の発言に二人はきょとんとしていた。
「私たちのどっちかの人生かもしれないし、もしかしたら全然違う人生を歩むかもしれないし、それは高校生の私…あなた次第だよ」
この二人が十年後の別の選択肢を選んだ私ならば、私がさくちゃんとさくらちゃん以外の選択肢を選んで全く違う人生を歩む可能性があるということか…。その選択肢を選んだ私は楽しく過ごしているのだろうか。少し不安になった。
それを察したのかさくちゃんが私の背中をぽんぽんと優しく叩いた。
「私もさくらちゃんも辛い時期もあったけど、その経験を得て今は自分がやりたいように毎日楽しく過ごしてるから、きっとあなたも大丈夫」
「「大丈夫。私は変われるよ」」
二人が声をそろえて言った。
「あなたが頑張れるってことは私たちが一番よく知ってるんだから」
さくちゃんがそう言い、二人が勇気づけるように私のぽんと背中を押した。
その勢いで私は一歩前に押し出された。
「「頑張れ」」
後ろから二人の声が聞こえ振り返ると、振り返った先には誰もいなかった。
「あれ?」
きょろきょろと辺りを見渡すが誰もいない。
さっきまでの出来事は夢だったのだろうか――?
ベタだが自分の頬をつねってみた。ちゃんと痛い。
二人が握ってくれた手の体温、背中を押された感覚――あれは夢なんかじゃない。
ふとコンクリートに逆三角形に並べられた石が目に入った。
これはそうだーー人がパラレルワールドの説明をしてくれた時に使った石だ。
やはり夢じゃなかったんだ。
私は十年後の…それぞれ別の選択肢を選んだ十年後の私に会ったんだ。
ありえないけど本当に未来の私に会ったんだ。
大丈夫、私は変われる。やりたいことだってきっと見つかる。
そんな決意を胸に、私は次に鈴木先生と進路相談するまで少しでも興味があることをやってみたり調べてみることにした。
いつ私が変わる「きっかけ」が起こるか分からないから。
本当に些細な小さなことかもしれない。だけど、そのきっかけを私は逃したくない。
そんなありえない出会いを私は今、小説として書いている。
あの日の出来事をきっかけに、私は日記をつけるようになった。
日記をつけているうちに、楽しかったこと、嬉しかったことは誰かと共有したいし、私は文章を書くことが好きだということに気が付いた。そして、もしこの選択をしたら今頃自分はどうなっていたのだろう、こんな世界があったら面白いだろうなと思うようになった。
そんな出来事を得て二十八歳となった私は今、イラストレーターでも看護師でもなく小説家になり日々物語を考えている。
人が変わるきっかけはいつ起こるか分からない。もしかしたらやりたいことはすでにあるのに、気がついていないだけかもしれない。ちょっとした選択の違いで全く別の人生を送っていく。
別の選択肢を選んだ私へ。
私は今、やりたいことが見つかりましたか。