キッチンで料理を作る郁江さんはオーダーを作るのに手一杯のため、一ノ瀬さんがオーダーを取ったり、料理の提供をしたりしてお店を回すことになった。
負傷した誠司さんは少しでも戦力になろうと、出入り口にあるレジカウンターに椅子を置き、お会計を担当する。それでなんとかお店が回っている状態だった。
騒ぎを知っているほとんどのお客さんはオーダーが遅れてしまうことは寛容な対応をしてくれたが、一部の人間は、普段より時間のかかることを許容できなかったのか、無言で退店していく人もいた。
片付けを終えた僕はカウンター席に戻り、忘れ去られた一ノ瀬さんの鞄を見張ることだ。役割はもうそれくらいしか残されていない。
手持ち無沙汰になってスマホを確認すると、かもめ書店からの着信履歴があった。ちょうど床掃除をしている時に、着信があったみたいだ。
『お電話ありがとうございます。かもめ書店です』
「お疲れ様です。高倉です」
名前を告げると、電話の向こうで松田さんはすぐに事務仕様の話し方を解く。
『高倉くん。大友ちゃんから連絡があったよ』
必要以上に落ち着いた声は一体何を意味しているのだろう。
僕は恐々と訊いてみる。
「大友さんはどこにいるんですか」
『病院にいるみたい。昨日の夜、救急車で運ばれたみたいなの』
一瞬、時が止まった。
額のあたりから徐々に血液が下がっていくのがわかった。血の気が引くって、こういうことを言うんだ。
スマホを耳に当てながら店内に目を配る。一ノ瀬さんは慌ただしく料理を運んでいる。彼女にこれ以上の負担はさせたくないと思ったから、静かに視線をテーブルの上に戻す。
「どういうことですか」
『夕方頃に本人から直接連絡が来たんだけど、入院しているからしばらくお休みをくださいとしか言わないのよ。なんとか病院の名前は聞き出せたけど、ちょっと遠すて、本当かどうか疑ってるのよね』
「大友さんのお婆さんに連絡はしているんですか?」
『正直どうしようか迷ってるの。変に手がかりが掴めないまま連絡して余計な心配させるわけにもいかないし。ほら、大友さんのお婆ちゃん、ちょっと特殊な考えをしている人だし』
「特殊?」
『ええと、こんなことを言うのは失礼かもしれないけど、偏った信仰をしていて、ちょっと変わったことを言う人なの。ほら、お店にもたまに来るじゃない。そういう感じのお客さん』
「なんとなくわかります」
偏見かもしれないが、宗教関係やスピリチュアル系の本を買うお客さんの中には、疑心を抱きながら接さないといけない人もいた。
市場に出回っていない本を探してくれと言うこともあったり、こちらが出版社に問い合わせて調べた情報が間違っていると言ってきたり。
一概には言えないが、様々なお客さんを相手にする経験からして、目に見えないものを心の拠り所にしている人間は、妙に高い自己肯定感を持ち、あたかも自分が正しいかのように押し切ろうとするから他人と揉めやすい。
多分、大友さんのお婆さんはそういう類の人間なのだろう。
話しにくそうにする松田さんの手を煩わせるわけにはいかない。
「とにかく、大友さんの安否がわかっただけでもよかったです。今一ノ瀬さんと大友さんの行きそうなところを探しているので、家への連絡はもう少しだけ先延ばしにしてもいいかもしれません。何かあったら、連絡したほうがいいですか」
確認を取るような言い方をしたのは、仕事ではない連絡をするのに抵抗があったから。松田さんのことだから、そんなことを言う必要はなかったのかもしれない。
『ありがとう。お願いね』
ほら。
もし大友さんのいなくなったお母さんの後継者をあげられるとするのなら、間違いなく松田さんを推すだろう。そんな失礼なことを思った。
電話を切り、徐にメッセージアプリを開く。2段目にある大友さんとのトーク画面には、一方的に羅列されているこちらのメッセージにはしっかりと既読が付けられている状態だった。
返事のない相手の安否を確認するために作られた機能がこんなに役立つとは思わなかった。
無駄だと思いながら、わかりやすい本の栞のアイコンをタップし、通話ボタンを押す。
コール音が3回鳴る。
呼び出し中の文字が消えた。
負傷した誠司さんは少しでも戦力になろうと、出入り口にあるレジカウンターに椅子を置き、お会計を担当する。それでなんとかお店が回っている状態だった。
騒ぎを知っているほとんどのお客さんはオーダーが遅れてしまうことは寛容な対応をしてくれたが、一部の人間は、普段より時間のかかることを許容できなかったのか、無言で退店していく人もいた。
片付けを終えた僕はカウンター席に戻り、忘れ去られた一ノ瀬さんの鞄を見張ることだ。役割はもうそれくらいしか残されていない。
手持ち無沙汰になってスマホを確認すると、かもめ書店からの着信履歴があった。ちょうど床掃除をしている時に、着信があったみたいだ。
『お電話ありがとうございます。かもめ書店です』
「お疲れ様です。高倉です」
名前を告げると、電話の向こうで松田さんはすぐに事務仕様の話し方を解く。
『高倉くん。大友ちゃんから連絡があったよ』
必要以上に落ち着いた声は一体何を意味しているのだろう。
僕は恐々と訊いてみる。
「大友さんはどこにいるんですか」
『病院にいるみたい。昨日の夜、救急車で運ばれたみたいなの』
一瞬、時が止まった。
額のあたりから徐々に血液が下がっていくのがわかった。血の気が引くって、こういうことを言うんだ。
スマホを耳に当てながら店内に目を配る。一ノ瀬さんは慌ただしく料理を運んでいる。彼女にこれ以上の負担はさせたくないと思ったから、静かに視線をテーブルの上に戻す。
「どういうことですか」
『夕方頃に本人から直接連絡が来たんだけど、入院しているからしばらくお休みをくださいとしか言わないのよ。なんとか病院の名前は聞き出せたけど、ちょっと遠すて、本当かどうか疑ってるのよね』
「大友さんのお婆さんに連絡はしているんですか?」
『正直どうしようか迷ってるの。変に手がかりが掴めないまま連絡して余計な心配させるわけにもいかないし。ほら、大友さんのお婆ちゃん、ちょっと特殊な考えをしている人だし』
「特殊?」
『ええと、こんなことを言うのは失礼かもしれないけど、偏った信仰をしていて、ちょっと変わったことを言う人なの。ほら、お店にもたまに来るじゃない。そういう感じのお客さん』
「なんとなくわかります」
偏見かもしれないが、宗教関係やスピリチュアル系の本を買うお客さんの中には、疑心を抱きながら接さないといけない人もいた。
市場に出回っていない本を探してくれと言うこともあったり、こちらが出版社に問い合わせて調べた情報が間違っていると言ってきたり。
一概には言えないが、様々なお客さんを相手にする経験からして、目に見えないものを心の拠り所にしている人間は、妙に高い自己肯定感を持ち、あたかも自分が正しいかのように押し切ろうとするから他人と揉めやすい。
多分、大友さんのお婆さんはそういう類の人間なのだろう。
話しにくそうにする松田さんの手を煩わせるわけにはいかない。
「とにかく、大友さんの安否がわかっただけでもよかったです。今一ノ瀬さんと大友さんの行きそうなところを探しているので、家への連絡はもう少しだけ先延ばしにしてもいいかもしれません。何かあったら、連絡したほうがいいですか」
確認を取るような言い方をしたのは、仕事ではない連絡をするのに抵抗があったから。松田さんのことだから、そんなことを言う必要はなかったのかもしれない。
『ありがとう。お願いね』
ほら。
もし大友さんのいなくなったお母さんの後継者をあげられるとするのなら、間違いなく松田さんを推すだろう。そんな失礼なことを思った。
電話を切り、徐にメッセージアプリを開く。2段目にある大友さんとのトーク画面には、一方的に羅列されているこちらのメッセージにはしっかりと既読が付けられている状態だった。
返事のない相手の安否を確認するために作られた機能がこんなに役立つとは思わなかった。
無駄だと思いながら、わかりやすい本の栞のアイコンをタップし、通話ボタンを押す。
コール音が3回鳴る。
呼び出し中の文字が消えた。