「高倉さん?」
「え、あ、ごめん」
「わたしのほうこそ、自分の意見を押し付けてしまってすみません」
出しゃばり過ぎたと思ったのか、一ノ瀬さんは謝罪の言葉を口にする。考え込むと周りの人間を不幸にしてしまうから、程よいところで終了させなければならない。
「一度大友さんの家に行ってみようか。お婆さんに大友さんのことを詳しく訊いてみたら、何かわかるかもしれない」
「はい」
一ノ瀬さんが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、僕らは束の間の休息に入る。現状は何も変わらないし、妥協案ではあったが、一ノ瀬さんが屈託のない返事をしてくれたおかげで、追い込まれたような緊張感は薄められた。
が、そんな緩められた時間は、あまり長くは続かなかった。
突然、背後から耳を劈く音が聞こえてきた。
僕らは一斉に音のする方に視線を集める。
誠司さんが苦悶の表情を浮かべながら四つん這いになっていた。
周りには食器が散乱し、ところどころにお皿やグラスの破片も細かく飛び散っている。ベージュのエプロンに染み付いたコーヒーや、散乱した食器やガラス片。加えて激痛と戦っているであろう誠司さんの姿が、この場を一気に非日常へと変える。
「大丈夫ですか⁉︎」
「あなた!」
咄嗟に駆け寄ったのは、郁江さんと一ノ瀬さんの2人だけだった。
大半の人間は、突如起こった目の前の光景をただ傍観するだけ。
状況を飲み込めない人。
動き方がわからない人。
関わろうとしない人。
これらの人間が炙り出される。当然その中に僕も含まれている。
別に動けないから悪いとか劣っているとか、そういう問題ではない。
予想外の状況を理解するのに時間がかかってしまう人間もいるだろう。理解できても、自分がどう行動を起こせばいいのかわからない人もいるだろう。
赤の他人である店員にわざわざ駆け寄る必要もないと考える人もいるだろう。
多分僕は全部。
動けない自分に明確に後悔したのは、一ノ瀬さんがノータイムで駆け寄ったのを見た数秒後。
「ぐっ……皆さん、本当に申し訳ないです。腰痛が悪化してしまって……」
そう誠司さんが言ってからだった。結局はそういう人間なのだ。
痛みのピークが過ぎたのか、誠司さんは郁江さんと一ノ瀬さんが心配そうに見守る中、何とか自力で立ち上がろうとした。そこでようやく自分が行かなければいけないことに気が付いた。
「肩貸すので、捕まってください」
立ち上がろうとする誠司さんの腕を僕の首元に回し、慎重に立ち上がる。
筋力のない僕が体格の良い誠司さんを立ち上がらせるのにもたついていると、郁江さんが反対側に周り、脇に腕を回して一緒に持ち上げてくれた。
唸る誠司さんを立ち上がらせることに成功すると、僕と郁江さんは肩を貸したまま、ゆっくりとカウンターの方一番奥にある椅子に座らせた。
「完治したと思ったんだがな……いてて」
「ちょっと張り切りすぎたのかしら、やっぱり歳ね」
意外と冷静な郁江さんを見ていると、緊急事態であるはずの今の状況が、別に何ともないように思えてくる。郁江さんはもう一度カウンターから店内にいるお客さんの謝罪をすると、それを合図に店内はもとの騒がしさに戻り始めようとした。
「すまない。少し休めば、また動けるようになるはずだよ」
「無茶言わないで。しばらく休んでいないと」
「でも、今日はお客さんも多いし、郁一人では回せないだろ。何とか頑張るよ」
「困ったわね……」
「あの、わたしが手伝いますので、誠司さんは休んでてください」
郁江さんが途方に暮れていると、一ノ瀬さんが言った。彼女は割れてしまった食器を片付けている最中で、手には箒を持っている。そこで、僕はようやく次の自分の役割を見つける。
「掃除は僕がやっておくよ」
「え、でも」
「僕も普段お世話になっているから、これくらいはさせて」
「ありがとうございます」
恩着せがましくないよう気を付けながら、僕は一ノ瀬さんから箒を受け取る。
割れていない食器は既に近くにいたお客さんが手分けして開いたテーブルに集めてくれていた。役割を見つければ、すぐに行動に移せる人間は意外と多いのかもしれない。
「え、あ、ごめん」
「わたしのほうこそ、自分の意見を押し付けてしまってすみません」
出しゃばり過ぎたと思ったのか、一ノ瀬さんは謝罪の言葉を口にする。考え込むと周りの人間を不幸にしてしまうから、程よいところで終了させなければならない。
「一度大友さんの家に行ってみようか。お婆さんに大友さんのことを詳しく訊いてみたら、何かわかるかもしれない」
「はい」
一ノ瀬さんが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、僕らは束の間の休息に入る。現状は何も変わらないし、妥協案ではあったが、一ノ瀬さんが屈託のない返事をしてくれたおかげで、追い込まれたような緊張感は薄められた。
が、そんな緩められた時間は、あまり長くは続かなかった。
突然、背後から耳を劈く音が聞こえてきた。
僕らは一斉に音のする方に視線を集める。
誠司さんが苦悶の表情を浮かべながら四つん這いになっていた。
周りには食器が散乱し、ところどころにお皿やグラスの破片も細かく飛び散っている。ベージュのエプロンに染み付いたコーヒーや、散乱した食器やガラス片。加えて激痛と戦っているであろう誠司さんの姿が、この場を一気に非日常へと変える。
「大丈夫ですか⁉︎」
「あなた!」
咄嗟に駆け寄ったのは、郁江さんと一ノ瀬さんの2人だけだった。
大半の人間は、突如起こった目の前の光景をただ傍観するだけ。
状況を飲み込めない人。
動き方がわからない人。
関わろうとしない人。
これらの人間が炙り出される。当然その中に僕も含まれている。
別に動けないから悪いとか劣っているとか、そういう問題ではない。
予想外の状況を理解するのに時間がかかってしまう人間もいるだろう。理解できても、自分がどう行動を起こせばいいのかわからない人もいるだろう。
赤の他人である店員にわざわざ駆け寄る必要もないと考える人もいるだろう。
多分僕は全部。
動けない自分に明確に後悔したのは、一ノ瀬さんがノータイムで駆け寄ったのを見た数秒後。
「ぐっ……皆さん、本当に申し訳ないです。腰痛が悪化してしまって……」
そう誠司さんが言ってからだった。結局はそういう人間なのだ。
痛みのピークが過ぎたのか、誠司さんは郁江さんと一ノ瀬さんが心配そうに見守る中、何とか自力で立ち上がろうとした。そこでようやく自分が行かなければいけないことに気が付いた。
「肩貸すので、捕まってください」
立ち上がろうとする誠司さんの腕を僕の首元に回し、慎重に立ち上がる。
筋力のない僕が体格の良い誠司さんを立ち上がらせるのにもたついていると、郁江さんが反対側に周り、脇に腕を回して一緒に持ち上げてくれた。
唸る誠司さんを立ち上がらせることに成功すると、僕と郁江さんは肩を貸したまま、ゆっくりとカウンターの方一番奥にある椅子に座らせた。
「完治したと思ったんだがな……いてて」
「ちょっと張り切りすぎたのかしら、やっぱり歳ね」
意外と冷静な郁江さんを見ていると、緊急事態であるはずの今の状況が、別に何ともないように思えてくる。郁江さんはもう一度カウンターから店内にいるお客さんの謝罪をすると、それを合図に店内はもとの騒がしさに戻り始めようとした。
「すまない。少し休めば、また動けるようになるはずだよ」
「無茶言わないで。しばらく休んでいないと」
「でも、今日はお客さんも多いし、郁一人では回せないだろ。何とか頑張るよ」
「困ったわね……」
「あの、わたしが手伝いますので、誠司さんは休んでてください」
郁江さんが途方に暮れていると、一ノ瀬さんが言った。彼女は割れてしまった食器を片付けている最中で、手には箒を持っている。そこで、僕はようやく次の自分の役割を見つける。
「掃除は僕がやっておくよ」
「え、でも」
「僕も普段お世話になっているから、これくらいはさせて」
「ありがとうございます」
恩着せがましくないよう気を付けながら、僕は一ノ瀬さんから箒を受け取る。
割れていない食器は既に近くにいたお客さんが手分けして開いたテーブルに集めてくれていた。役割を見つければ、すぐに行動に移せる人間は意外と多いのかもしれない。