応じてくれた一ノ瀬さんは、掠れそうなくらい小さな声をしていた。
「急にごめん。今、電話大丈夫?」
『……は、はい。今講義中ですけど、多分大丈夫です』
大丈夫じゃないだろ、それ。
「ごめん……!またかけ直すね」
『待ってください……!本当に大丈夫ですので』
慌てて電話を切ろうとすると、一ノ瀬さんは掠れそうな声で必死に懇願した。
スマホを目一杯口元に近づけて囁いているからだろう。吐息まで聞こえてきそうな気がして、僕の心臓の鼓動は余計に高鳴った。
『メッセージのことですよね』
「そう。詳しく訊かせて欲しいと思って」
『さっき松田さんから連絡があったんですけど、大友ちゃん、昨日の夜から家に帰ってないみたいなんです』
「どうして松田さんから大友さんの話が来たんだろう」
『今朝、大友ちゃんのおばあちゃんからお店へ連絡があったみたいで、その時、松田さんが電話に出てくれたみたいなんです』
「それで、大友さんと仲がいい一ノ瀬さんが何か知っているかと思って連絡したんだね」
『はい。多分、高倉さんの方にも』
一ノ瀬さんがそこまで言いかけると、まるで狙いすましたかのように電話の着信音に切り替わった。
メッセージアプリでの通話中に電話がかかってくると、自動的に電話回線が優先されてしまうようだ。
「はい。高倉です」
『お疲れ様です。かもめ書店の松田です。ごめんね、ちょっといい?』
「大友さんのことですよね。さっき一ノ瀬さんから聞きました。残念ながら僕も何もわからないんです」
『そう……あなた達大友ちゃんと仲がいいから、何か知ってると思って』
このお店が閉店することを説明すると、松田さんはしばらく声を失った。
長い沈黙の間、松田さんが受話器を持ちながら大きく項垂れている姿が容易に想像でる。まさか開店時から働く松田さんに僕の口から閉店を告げなければいけないとは。
いや、お店で働いてる人は、もれなく全員遅かれ早かれこの宣告に胸を痛めることになる。残酷だ。
『大友ちゃん、大丈夫かしら。彼女、学校を休んでまでこのお店で働くほど頑張ってたし、相当ショックだよね』
ショックを受けているのは松田さんも同じ。いや、それ以上ではないだろうか。それなのに、電話の向こうで松田さんは、ただ大友さんのことを心配し続けていた。
「松田さんは、大友さんの家庭の事情をご存知だったんですか?」
『ええ。このお店に大友ちゃんが入ってきた時に藤野店長から相談されたの。初めは学生なんだから学業に専念してもらいたいと思ってたんだけど、彼女の必死さに負けたっていうのかな。決して無理させない範囲で極力サポートしてあげることにしていたの』
人件費削減の為正社員が藤野店長だけという状態のかもめ書店では、経験豊富な松田さんと五十嵐さんの二人に支えられているお店だった。
中でも特にお母さんのように共感力の高い松田さんは、かもめ書店で唯一正社員として働いている藤野店長が悩んだ時に、いつも相談に乗る役にも回っていた。
大友さんのことを気にかけて欲しいと何度も言われていたのは、松田さんなりの親心からくるものだったのだろう。
「とりあえず、大友さんには僕の方からも連絡して、心当たりがあるところも探してみます。失踪の理由にお店の閉店が関係しているのは間違いないと思いますし」
『ありがとう。お願いね』
松田さんはそう言ってから、焦り気味に電話を切った。レジに並ぶお客さんが増えたため、応援に入らなければいけなくなったのだろう。
再び一ノ瀬さんに連絡しようと思ったが、これ以上は大学の講義中である彼女の気を散らせるわけにはいかないと思ってやめた。
スマホの画面に表示されている時計を見ると、既に12時を過ぎている。
丸一日かけてすっかりサボり癖が付いてしまった仕事の続きをする予定だったが、仕方がない。
大友さんのことが頭から離れないのは、松田さんが最後に言った言葉が託されたように聞こえたからか。
ーー大事なら、お前が護ってやれよ。
不意に、館山から言われ続けてきた言葉が蘇る。胸が掻き毟られる。
大友さんを探すのは、頼まれたから?それとも、自分のため?彼女のため?
僕にとって大友さんは、一体何なんだ。
そういうことをいちいち考える自分が嫌いだ。
結局何も踏み出せないくせに。考えることだけは一向にやめようとしない。
僕にとって大友さんがどういう存在なのかは、わからない。
あの時田中さんをどう思っていたのかなんて、いまさら知ったこっちゃない。
過去の清算をしようなんてつもりも、毛頭ない。
「言われなくてもわかってる」
何も悪くない館山に悪態を吐いた僕は、そのまま洗面台へと向かう。目覚まし代わりに冷水のまま顔を洗い、鏡に映る自分を見る。目の下の隈が酷い。
「急にごめん。今、電話大丈夫?」
『……は、はい。今講義中ですけど、多分大丈夫です』
大丈夫じゃないだろ、それ。
「ごめん……!またかけ直すね」
『待ってください……!本当に大丈夫ですので』
慌てて電話を切ろうとすると、一ノ瀬さんは掠れそうな声で必死に懇願した。
スマホを目一杯口元に近づけて囁いているからだろう。吐息まで聞こえてきそうな気がして、僕の心臓の鼓動は余計に高鳴った。
『メッセージのことですよね』
「そう。詳しく訊かせて欲しいと思って」
『さっき松田さんから連絡があったんですけど、大友ちゃん、昨日の夜から家に帰ってないみたいなんです』
「どうして松田さんから大友さんの話が来たんだろう」
『今朝、大友ちゃんのおばあちゃんからお店へ連絡があったみたいで、その時、松田さんが電話に出てくれたみたいなんです』
「それで、大友さんと仲がいい一ノ瀬さんが何か知っているかと思って連絡したんだね」
『はい。多分、高倉さんの方にも』
一ノ瀬さんがそこまで言いかけると、まるで狙いすましたかのように電話の着信音に切り替わった。
メッセージアプリでの通話中に電話がかかってくると、自動的に電話回線が優先されてしまうようだ。
「はい。高倉です」
『お疲れ様です。かもめ書店の松田です。ごめんね、ちょっといい?』
「大友さんのことですよね。さっき一ノ瀬さんから聞きました。残念ながら僕も何もわからないんです」
『そう……あなた達大友ちゃんと仲がいいから、何か知ってると思って』
このお店が閉店することを説明すると、松田さんはしばらく声を失った。
長い沈黙の間、松田さんが受話器を持ちながら大きく項垂れている姿が容易に想像でる。まさか開店時から働く松田さんに僕の口から閉店を告げなければいけないとは。
いや、お店で働いてる人は、もれなく全員遅かれ早かれこの宣告に胸を痛めることになる。残酷だ。
『大友ちゃん、大丈夫かしら。彼女、学校を休んでまでこのお店で働くほど頑張ってたし、相当ショックだよね』
ショックを受けているのは松田さんも同じ。いや、それ以上ではないだろうか。それなのに、電話の向こうで松田さんは、ただ大友さんのことを心配し続けていた。
「松田さんは、大友さんの家庭の事情をご存知だったんですか?」
『ええ。このお店に大友ちゃんが入ってきた時に藤野店長から相談されたの。初めは学生なんだから学業に専念してもらいたいと思ってたんだけど、彼女の必死さに負けたっていうのかな。決して無理させない範囲で極力サポートしてあげることにしていたの』
人件費削減の為正社員が藤野店長だけという状態のかもめ書店では、経験豊富な松田さんと五十嵐さんの二人に支えられているお店だった。
中でも特にお母さんのように共感力の高い松田さんは、かもめ書店で唯一正社員として働いている藤野店長が悩んだ時に、いつも相談に乗る役にも回っていた。
大友さんのことを気にかけて欲しいと何度も言われていたのは、松田さんなりの親心からくるものだったのだろう。
「とりあえず、大友さんには僕の方からも連絡して、心当たりがあるところも探してみます。失踪の理由にお店の閉店が関係しているのは間違いないと思いますし」
『ありがとう。お願いね』
松田さんはそう言ってから、焦り気味に電話を切った。レジに並ぶお客さんが増えたため、応援に入らなければいけなくなったのだろう。
再び一ノ瀬さんに連絡しようと思ったが、これ以上は大学の講義中である彼女の気を散らせるわけにはいかないと思ってやめた。
スマホの画面に表示されている時計を見ると、既に12時を過ぎている。
丸一日かけてすっかりサボり癖が付いてしまった仕事の続きをする予定だったが、仕方がない。
大友さんのことが頭から離れないのは、松田さんが最後に言った言葉が託されたように聞こえたからか。
ーー大事なら、お前が護ってやれよ。
不意に、館山から言われ続けてきた言葉が蘇る。胸が掻き毟られる。
大友さんを探すのは、頼まれたから?それとも、自分のため?彼女のため?
僕にとって大友さんは、一体何なんだ。
そういうことをいちいち考える自分が嫌いだ。
結局何も踏み出せないくせに。考えることだけは一向にやめようとしない。
僕にとって大友さんがどういう存在なのかは、わからない。
あの時田中さんをどう思っていたのかなんて、いまさら知ったこっちゃない。
過去の清算をしようなんてつもりも、毛頭ない。
「言われなくてもわかってる」
何も悪くない館山に悪態を吐いた僕は、そのまま洗面台へと向かう。目覚まし代わりに冷水のまま顔を洗い、鏡に映る自分を見る。目の下の隈が酷い。