当事者はまるで漫画の主人公のように、向い来る試練に立ち向かい、挫け、そして立ち上がろうと踠く。それを見た傍観者は、ドラマチックだと勝手に酔いしれ、(はや)し立てる。

しかし安全圏から見ているだけの傍観者は、主人公が意にそぐわなければ、たちまち()としにかかる。そして飽きると新しい主人公を探しだす。この繰り返し。

だがしかし、大抵の当事者は漫画の主人公にはなれない。一人では立ち上がれないんだ。


”人生詰子”への誹謗中傷を自分ごとのように捉えた田中さんは、体調の悪化に比例するように動画の投稿頻度を減らしていた。けれど最も体力を使うライブ配信を辞めることはしなかった。

いつの間にか彼女の脱ぎ散らかした衣服の洗濯や部屋の掃除は僕の役割へと変わっていたが、違和感を感じながらもそれを辞めようとしなかった。

彼女に必要とされないことが怖かったんだと思う。

仕事を終えて彼女の部屋に入ると、まず鼻を刺すのが部屋干の匂い。生乾きの洗濯物の匂いと、それを隠すようなきつい柔軟剤の香り。そんなものが混ざった空気が溜まった彼女の部屋で正気を保つには、それなりの体力が必要だった。


「おつかれ」

「あ、おかえりー」


部屋と共に(すさ)んでいるはずの彼女は僕と接する態度を変えようとはしない。

だから僕もあえて今彼女の身に起こっている事や抱えていることに対して、鈍感であるよう心がけていた。


「動画投稿のコメント欄にある”おりえ”ってアカウント。蒼くんじゃないよね」

「何のこと?」

田中さんは動画の投稿サイトのコメント欄を開くと、デスクトップを僕の方に向けた。画面には連なる罵詈雑言はひとまず無視しながら彼女が画面をスクロールする。

しばらくしたら『詰子さんの言葉に励まされています。わたしも頑張って今日を生きてやる!』という痛々しい文章があった。


「おりえさん、ライブ配信にだけいつもコメントしてくれるの」

「それが僕だと思ったの?」

「そう。蒼くんが影で励ましてくれてるのかなって」

「残念ながら、僕じゃないよ」

「そっか」

「そのおりえさんのコメントにもいくつか返信コメントがあるけど」

「ああ、それは彼女のコメントに対するディスりだから、見なくていいよ」

「おりえさんって女の人なの?」

「わからない。けど、絶対にそうだと思う」


押し寄せる汚い言葉の中にあるおりえの言葉は光って見えるのかもしれない。

でも、その言葉を鵜呑みにするのはあまりにも危険だ。人は弱っている時ほど、何かとつけ込まれやすい。

一度だけ忠告をしておく。


「ライブ配信って結構体力がいると思うし、今は休憩した方がいいんじゃないかな」

「駄目。おりえさんのために発信を続けなきゃ」


彼女は盲目的になっている。

その使命感が彼女を正気に保たせているのならば、余計なことは言わない。

ただ、聞く耳を持たない彼女に対し、僕は少し苛立った。