ミオリさんというのは10代の若者から絶大な人気のある作家だ。

ミオリさんは現代の若者が使うようなフランクな言葉と古くから日本で使われている古語を上手く織り交ぜた独特な文章を使うのが特徴の作家で、青春小説や恋愛小説でヒット作を量産していた。

また、時折有名な若手アーティストとコラボして作詞を担当したり、音楽をもとに小説を書くことをしていたりと、新時代の作家としてメディアにも多数出演している。

そんなミオリさんの売り場を作りたいと言い始めた大友さんは、お店のアカウントのフォロワーが1000人を超えたのをきっかけに、思い切ってDMを送っていたようだ。


「え、え、やだ……どうしよう」


狼狽える大友さんには、ついさっきまでの不機嫌な様子はもうない。人の機嫌を回復させるためには、その感情を凌駕(りょうが)するほどの驚きを与えればいいのだ。心の中でミオリさんに感謝をしておく。


「まさか本当に返事が返ってくるなんて」

「なんて書いたの?」


大友さんは顔を真っ赤にしながら、日本語にならない日本語を話し始めた。


「ファンですって。あ、いや、サイン色紙が欲しいとか、サイン本が欲しいとか、なんか、いろいろ」


軽く思考回路が焼きついてしまっているのだが。


「それ、ただの追っかけじゃん」

「だって、緊張しちゃって……ど、どうしよう。お怒りの返事だったら」

「怒ってたら返事なんて書かないって。ほら、品出しやっておくから、今すぐ見てきなよ」


今度は顔面蒼白になってバックヤードから出ていった。

大友さんがいなくなったバックヤードは驚くほど静まり返っていて、僕は笑いが堪えきれなくなった。彼女は本当に感情に忠実だ。

文庫本の品出しを終えてからレジの方へと向かうと、大友さんはまだ画面を見つめていた。


「どう?」

「うーん、多分本人からじゃないっぽいです」

「まあ、人気作家さんだから仕方ないよ。なんて書いてるの?」

「サイン本は難しいけど、色紙は送れるって書いてあります。あと、わざわざ売り場を作ってくれてありがとうとも」

「よかったじゃん」

「はい。お叱りだったらどうしようかと」


大友さんは安堵の溜息を吐いてから、少し思いつめた表情を作った。


「頑張らないと」


その言葉がいつもより沈んでいるように聞こえたのは、藤野店長から彼女を気にかけるように言われたからだけではない。

彼女のことを、もう少し知りたい。


「大友さん、もうすぐ上がりだよね。今日、一緒に帰らない」

「……へ?」


大友さん裏返った声と同時に、レジに入っていたパートの佐藤さんが僕の方を二度見した。

何をそんなに驚くのかと思っていたが、佐藤さんが2回目に僕と目が合った瞬間にやりと笑って、ようやく事の重大さに気が付いた。これじゃただの。


「あ、いや……そういう意味じゃなくて」


慌てて誤解を訂正しようとするが、それが余計に気まずい空気を作る。

目的を持たなければ彼女と行動を共にすることなんてあるはずもなく。

いや、よく考えてみると、社会に出てから目的もなく誰かとつるむことなんて、そんな時間を過ごすことなんてありえない。

いつの間にか損得を考えた人選をし、時間と効率を考えて行動を共にする。費用対効果が悪いと思えば、問答無用でその人との交流を断てばいい。大人の方がインスタントな関係が多くなる。

だから今回大友さんを誘ったのは、そうれはもう大層勇気がいることで、我ながら自分なんかよくがそんなことを言えたなと褒めたくもなる。だから、


「ほら、せっかくだし。たまには良いじゃん」


と全く説得力のない言葉で押し切ることにした。


「いいですけど……蒼さん、どうしてテンション高いんですか」

「とにかく。大友さんは早くミオリさんに返信しておいて」

「返事は家に帰ってからゆっくり考えます。品出しもまだ途中ですし」


余韻(よいん)に浸りたいのか、あるいは返事に困っているのかわからない。大友さんが思い出したように慌ててバックヤードに戻ろうとしていたが、藤野店長が呼び止めた。


「SNSも仕事のうちだから、なるべく勤務時間内にしてしまいな。それに返事は早めの方がいい。ほら、品出しは僕と高倉くんで終わらせておくから」


どうやら大友さんも人に頼ることが苦手な人間のようで、どういう反応をすればいいのか困っているようだった。