夜勤の昼休みは深夜2時から3時だが、そんな時間に食欲なんて湧くはずがない。
なのに揚げ物やハンバーグなどの脂っこいおかずばかりが並ぶから、この会社は社員を早死にさせたいのかと本気で思う。
食堂に並んでいると、背後から誰かが膝を突く。そんなことをするのは誰か決まっている。館山だ。
「お疲れ」
僕と館山は、あえて食堂の片隅にある席を選んで座る。
食堂には僕ら以外にもに20人くらいの従業員がいたが、誰一人として話している人間はおらず、お揃いの作業着を着たマネキンが淡々と料理を口に運んでいるように見えた。
聞こえてくるのは、ただ黙々を続く咀嚼音と食器がぶつかり合う音。光も差し込んでこない窓は、ただの小汚い飾りのように見えた。
この時間に話しながら食事をしようという元気な奴は、目の前のこいつくらいしかいない。
「高倉。お前田中さんと同棲してるって本当か?」
「は?何それ」
不意打ちを喰らった苛立ちと共に、くだらない噂話を一蹴する。
「今仕事で総務ブロックの人と仕事してんだけど、田中さんとお前の話が結構出てくるんだよ」
それで時々誰かの視線を感じるようになったのか。
館山には本当のことを話してもいいかと思ったが、わざわざ噂話を聞きつけてくる奴は、誰かにうっかり告げ口する危険も孕んでいるから慎重になるべきだ。
「同棲なんてしてない」
深掘りされることを極力避けたかったから、最低限の回答に留めておく。代わりに向こうのペースに流されないよう、こちらから質問をしておく。
「どうして田中さんが噂になるんだ?」
「そんなに怒んなって」
「怒ってない」
「総務ブロックの人と関わって思ったんだけど、あそこ、相当風通しが悪い部署らしい。今の部長が横柄すぎて、下の人間の鬱憤が溜まってるって感じなんだよな。でも、うちの会社って上司が絶対だろ。だからみんな何も言えないんだ。で、そんな部長が休職している田中さんのこと悪く言ったらしい。そしたら周りが同調し始めたってわけだ」
小さくした舌打ちは、誰に耳に入っていても別にいい。
「くだらない」
僕は精一杯の感情を込めて言う。
「会社ってどんなところかと思ったけど、案外学校の延長線上みたいな感じだよな。でも、これが社会なんだろうな」
吐き捨てた言葉が無駄にならないように拾ってくれた館山は、僕なんかよりもずっと大人だと思う。それが余計に虚しい。
「なんか、つまんねーな。こんなとこ、すぐにでも」
「ストップ!それ以上言っても虚しくなるだけだぞ」
突然大きな声で制止した館山に驚いたのは僕だけではなかった。
向こうにいた数人が反射的にこちらの方に視線を向ける。が、それは一瞬の出来事に過ぎなかった。館山はこちらに向けられた視線に向かってにこりと笑い「すんません」と言うと、すぐにまた食堂がくたびれた静寂に包まれた。
「お前、金貯めて妹さんを大学に行かせてやるんだろ」
「……ああ」
きっと他の人にこんなことを言われたら、「関係ねえ」と逆上していたかもしれない。でも館山の目は真剣そのものだったし、それが真実なのも間違いなかったから何も言い返せなかった。
それから僕らはしばらく黙々と食事を喉に通す。気まずい沈黙を破ったのは、やっぱり館山だ。
「ごめんな。お前を怒らせるつもりじゃなかったんだ」
「わかってる。ちょっと最近忙しくて、イライラしてたんだ」
「高倉は真面目だからな。あんまり根詰めすぎんなよ」
無理だ。僕は館山のように要領よく生きることなんてできない。マスターキーのようにどんな奴の心も開けることができるこいつが羨ましい。
「田中さんに会っているのは本当だ。でも、別に付き合っているわけではない」
結局は訊いて欲しかったんだと思う。僕は自分から話題を戻す。
「彼女は徐々に元気になってるから、もうすぐ職場復帰ができるかもしれない。でも……」
言いとどまったが、館山は残酷に言い切った。
「多分無理だ。田中さんは今の部署に戻らない方が良い。それか、別の事業所に移動するくらいのことがないと危険だ」
彼女を取り巻く環境が、時間と共に悪い方へと作用し始めている。薄々気が付いていたが、目を背けていた。
田中さんはもうここにはいられない。そう思うと、虚しさがより一層増してくる。
そのあと館山は付け加えるように「これは俺が高倉の心配をしているっていう意味で聞いて欲しい」と、十分な前置きをしてから言った。
「多分、高倉自身に噂の飛び火がくると思う。俺は別に田中さんに会うなと言ってるわけじゃない。けど、この先自分がどうしたいのか考えて、腹括って行動した方がいいぞ」
「どういう意味だよ」
「中途半端に田中さんに関わると、お前も潰されないか心配なんだ」
だったらどうすればいいんだよ。
食事を終えて自分の職場への戻り際、僕は館山に入念な口止めをしておいた。
これが意味を持つのかどうかはわからない。もし他言をされても、僕は館山を恨むことはしないだろう。
人を信じることはしない。
代わりに「こいつになら裏切られてもいいと思えるかどうか」で判断する。館山は、その基準をクリアしている唯一の人間でもある。
なのに揚げ物やハンバーグなどの脂っこいおかずばかりが並ぶから、この会社は社員を早死にさせたいのかと本気で思う。
食堂に並んでいると、背後から誰かが膝を突く。そんなことをするのは誰か決まっている。館山だ。
「お疲れ」
僕と館山は、あえて食堂の片隅にある席を選んで座る。
食堂には僕ら以外にもに20人くらいの従業員がいたが、誰一人として話している人間はおらず、お揃いの作業着を着たマネキンが淡々と料理を口に運んでいるように見えた。
聞こえてくるのは、ただ黙々を続く咀嚼音と食器がぶつかり合う音。光も差し込んでこない窓は、ただの小汚い飾りのように見えた。
この時間に話しながら食事をしようという元気な奴は、目の前のこいつくらいしかいない。
「高倉。お前田中さんと同棲してるって本当か?」
「は?何それ」
不意打ちを喰らった苛立ちと共に、くだらない噂話を一蹴する。
「今仕事で総務ブロックの人と仕事してんだけど、田中さんとお前の話が結構出てくるんだよ」
それで時々誰かの視線を感じるようになったのか。
館山には本当のことを話してもいいかと思ったが、わざわざ噂話を聞きつけてくる奴は、誰かにうっかり告げ口する危険も孕んでいるから慎重になるべきだ。
「同棲なんてしてない」
深掘りされることを極力避けたかったから、最低限の回答に留めておく。代わりに向こうのペースに流されないよう、こちらから質問をしておく。
「どうして田中さんが噂になるんだ?」
「そんなに怒んなって」
「怒ってない」
「総務ブロックの人と関わって思ったんだけど、あそこ、相当風通しが悪い部署らしい。今の部長が横柄すぎて、下の人間の鬱憤が溜まってるって感じなんだよな。でも、うちの会社って上司が絶対だろ。だからみんな何も言えないんだ。で、そんな部長が休職している田中さんのこと悪く言ったらしい。そしたら周りが同調し始めたってわけだ」
小さくした舌打ちは、誰に耳に入っていても別にいい。
「くだらない」
僕は精一杯の感情を込めて言う。
「会社ってどんなところかと思ったけど、案外学校の延長線上みたいな感じだよな。でも、これが社会なんだろうな」
吐き捨てた言葉が無駄にならないように拾ってくれた館山は、僕なんかよりもずっと大人だと思う。それが余計に虚しい。
「なんか、つまんねーな。こんなとこ、すぐにでも」
「ストップ!それ以上言っても虚しくなるだけだぞ」
突然大きな声で制止した館山に驚いたのは僕だけではなかった。
向こうにいた数人が反射的にこちらの方に視線を向ける。が、それは一瞬の出来事に過ぎなかった。館山はこちらに向けられた視線に向かってにこりと笑い「すんません」と言うと、すぐにまた食堂がくたびれた静寂に包まれた。
「お前、金貯めて妹さんを大学に行かせてやるんだろ」
「……ああ」
きっと他の人にこんなことを言われたら、「関係ねえ」と逆上していたかもしれない。でも館山の目は真剣そのものだったし、それが真実なのも間違いなかったから何も言い返せなかった。
それから僕らはしばらく黙々と食事を喉に通す。気まずい沈黙を破ったのは、やっぱり館山だ。
「ごめんな。お前を怒らせるつもりじゃなかったんだ」
「わかってる。ちょっと最近忙しくて、イライラしてたんだ」
「高倉は真面目だからな。あんまり根詰めすぎんなよ」
無理だ。僕は館山のように要領よく生きることなんてできない。マスターキーのようにどんな奴の心も開けることができるこいつが羨ましい。
「田中さんに会っているのは本当だ。でも、別に付き合っているわけではない」
結局は訊いて欲しかったんだと思う。僕は自分から話題を戻す。
「彼女は徐々に元気になってるから、もうすぐ職場復帰ができるかもしれない。でも……」
言いとどまったが、館山は残酷に言い切った。
「多分無理だ。田中さんは今の部署に戻らない方が良い。それか、別の事業所に移動するくらいのことがないと危険だ」
彼女を取り巻く環境が、時間と共に悪い方へと作用し始めている。薄々気が付いていたが、目を背けていた。
田中さんはもうここにはいられない。そう思うと、虚しさがより一層増してくる。
そのあと館山は付け加えるように「これは俺が高倉の心配をしているっていう意味で聞いて欲しい」と、十分な前置きをしてから言った。
「多分、高倉自身に噂の飛び火がくると思う。俺は別に田中さんに会うなと言ってるわけじゃない。けど、この先自分がどうしたいのか考えて、腹括って行動した方がいいぞ」
「どういう意味だよ」
「中途半端に田中さんに関わると、お前も潰されないか心配なんだ」
だったらどうすればいいんだよ。
食事を終えて自分の職場への戻り際、僕は館山に入念な口止めをしておいた。
これが意味を持つのかどうかはわからない。もし他言をされても、僕は館山を恨むことはしないだろう。
人を信じることはしない。
代わりに「こいつになら裏切られてもいいと思えるかどうか」で判断する。館山は、その基準をクリアしている唯一の人間でもある。