余計なことを考えなくなった大友さんは、持ち前の明るさを発揮し、戻ってきた新さんとしばらく話し込んでいるうちに自然と打ち解けた。
意外だったのは、その中に一ノ瀬さんもすっかり馴染んでいたことだ。
すっかり3人から疎外されて手持ち無沙汰になった僕は、別の売り場も見て廻る。
文化堂書店の店内は独立した平台が多く、たくさんのフェアを展開していた。
実用書の料理本が販売されている棚では鍋についての特集が組まれていたり、旅行書関連が置いてある棚では温泉旅行についてのガイドブックが集められていたりと、季節に応じた売り場が展開されている。
ほかにも専門書コーナーでは、最近メディアで話題になっている日本人哲学者が書いた本が目のつくところに並べられており、風景のみに特化した写真集が集められた棚なんてのもあった。
もし売り場の担当者がラインナップを決めているのだとすれば、相当活気のある職場だと思う。
本部や取次、出版社のの営業担当が売り場を決め、現場の人間が支持通りの売り場を作るような低コスパのシステムを優先しているかもめ書店にはできない芸当だ。
アルバイトや契約社員の僕らが売り上げに関わる棚を任せてもらうなんてことは普通ならまずありえない。
書店を経営する以上、もちろん商品である本を買ってもらうのが最優先事項である。しかし書店の存在意義はそれだけではない。
言うまでもなく、書店は誰でも入れる。
どんな人間であれ、等しく情報や物語に触れることができる。
たくさんの情報から新しい発見をすることができるし、何よりここにいるだけで日常を忘れられる。
自分の職場を悪く言うのは良くないことだと思うが、今のかもめ書店の売り場は、正直言ってつまらない。
藤野店長が執拗に文化堂書店を進める理由がわかった。かもめ書店もそういう場所にしたいのではないだろうか。
売れ筋商品や話題になっている商品が問答無用に送られ、僕らは必死に売り場を作る。売り上げを伸ばすためには仕方がないことなのかもしれないが、売れ筋商品ばかり置いていると、お客さんに飽きられたり、つまらないお店だと思われたりすることもある。
そうなると結局は次第に人が離れていくのではないだろうか。
それに、送られてくる本の行き場所に困ることもある。
この前、取次から送られてくる本があまりにも多すぎるためすぐに返品したら、どうやらその商品は本部が販売に力を入れようとしていたものだったらしく、後日藤野店長が本部の販売部からお叱りのメールを受け取っていた。
藤野店長は僕に「この本は勝手に返すと怒られちゃうから、棚差しで良いから売り場に置いといて」と言って、売り場の適当なスペースを探して置いていた。
よく考えると、かもめ書店の売り場にはこういう仕方なく作られたような売り場が多いような気がする。
返品できない出版社の商品が売れ残ると、最悪時期が来るまでバックヤードの空いたスペースに退けられる。当然ながら売れ残る本は売れない本でもあり、棚に置いておくだけスペースの無駄になる。
思い切って処分すれば良いと思うかもしれないが、仕損費として計上するとなると、始末書を書かされるらしい。藤野店長は本部との面倒なコンタクトは極端に嫌う。
行き場を失った本は、読まれることも葬られることもなく、延々とバックヤードに存在し続ける。
「いたいた。蒼さん、何ぼーっとしてるんですか?」
気が付けば文化堂書店にも負の遺産がないかと粗探しを始めていた。
「新さんは?」
「まゆさん、もう仕事に戻っちゃいましたよ」
「まゆさん?」
「新さんのことです。今度かもめ書店にも来てくれるって言ってましたよ。ほら、連絡先もゲットしました」
大友さんと親しくなると、もれなく下の名前で呼ばれるのだろうか。いや、僕は知らない間に呼ばれていた気がする。
大友さんが僕に向けたスマホの画面には、ひらがなで『さえ』と書かれたアカウントが表示されていた。小さな女の子が読書をしているイラストのアイコンを見ると、新さんは一ノ瀬さんとも仲良くできそうだと何の根拠もなく思った。
僕がスマホの画面から後退りながら
「よかったじゃん。これでいつでも相談できるね」
と言ったら、
「利用するみたいな言い方しないでください。新さんは同志です」
と叱られた。
意外だったのは、その中に一ノ瀬さんもすっかり馴染んでいたことだ。
すっかり3人から疎外されて手持ち無沙汰になった僕は、別の売り場も見て廻る。
文化堂書店の店内は独立した平台が多く、たくさんのフェアを展開していた。
実用書の料理本が販売されている棚では鍋についての特集が組まれていたり、旅行書関連が置いてある棚では温泉旅行についてのガイドブックが集められていたりと、季節に応じた売り場が展開されている。
ほかにも専門書コーナーでは、最近メディアで話題になっている日本人哲学者が書いた本が目のつくところに並べられており、風景のみに特化した写真集が集められた棚なんてのもあった。
もし売り場の担当者がラインナップを決めているのだとすれば、相当活気のある職場だと思う。
本部や取次、出版社のの営業担当が売り場を決め、現場の人間が支持通りの売り場を作るような低コスパのシステムを優先しているかもめ書店にはできない芸当だ。
アルバイトや契約社員の僕らが売り上げに関わる棚を任せてもらうなんてことは普通ならまずありえない。
書店を経営する以上、もちろん商品である本を買ってもらうのが最優先事項である。しかし書店の存在意義はそれだけではない。
言うまでもなく、書店は誰でも入れる。
どんな人間であれ、等しく情報や物語に触れることができる。
たくさんの情報から新しい発見をすることができるし、何よりここにいるだけで日常を忘れられる。
自分の職場を悪く言うのは良くないことだと思うが、今のかもめ書店の売り場は、正直言ってつまらない。
藤野店長が執拗に文化堂書店を進める理由がわかった。かもめ書店もそういう場所にしたいのではないだろうか。
売れ筋商品や話題になっている商品が問答無用に送られ、僕らは必死に売り場を作る。売り上げを伸ばすためには仕方がないことなのかもしれないが、売れ筋商品ばかり置いていると、お客さんに飽きられたり、つまらないお店だと思われたりすることもある。
そうなると結局は次第に人が離れていくのではないだろうか。
それに、送られてくる本の行き場所に困ることもある。
この前、取次から送られてくる本があまりにも多すぎるためすぐに返品したら、どうやらその商品は本部が販売に力を入れようとしていたものだったらしく、後日藤野店長が本部の販売部からお叱りのメールを受け取っていた。
藤野店長は僕に「この本は勝手に返すと怒られちゃうから、棚差しで良いから売り場に置いといて」と言って、売り場の適当なスペースを探して置いていた。
よく考えると、かもめ書店の売り場にはこういう仕方なく作られたような売り場が多いような気がする。
返品できない出版社の商品が売れ残ると、最悪時期が来るまでバックヤードの空いたスペースに退けられる。当然ながら売れ残る本は売れない本でもあり、棚に置いておくだけスペースの無駄になる。
思い切って処分すれば良いと思うかもしれないが、仕損費として計上するとなると、始末書を書かされるらしい。藤野店長は本部との面倒なコンタクトは極端に嫌う。
行き場を失った本は、読まれることも葬られることもなく、延々とバックヤードに存在し続ける。
「いたいた。蒼さん、何ぼーっとしてるんですか?」
気が付けば文化堂書店にも負の遺産がないかと粗探しを始めていた。
「新さんは?」
「まゆさん、もう仕事に戻っちゃいましたよ」
「まゆさん?」
「新さんのことです。今度かもめ書店にも来てくれるって言ってましたよ。ほら、連絡先もゲットしました」
大友さんと親しくなると、もれなく下の名前で呼ばれるのだろうか。いや、僕は知らない間に呼ばれていた気がする。
大友さんが僕に向けたスマホの画面には、ひらがなで『さえ』と書かれたアカウントが表示されていた。小さな女の子が読書をしているイラストのアイコンを見ると、新さんは一ノ瀬さんとも仲良くできそうだと何の根拠もなく思った。
僕がスマホの画面から後退りながら
「よかったじゃん。これでいつでも相談できるね」
と言ったら、
「利用するみたいな言い方しないでください。新さんは同志です」
と叱られた。