万引き犯の騒動以降、大友さんはちょっとした有名人になっていた。
心配性の松田さんは、青ざめながら何度も大友さんの無事を確認し、普段はあまり自分から話しかけない一ノ瀬さんもまた、大友さんに会うとすぐに「怪我したって聞いたけど、本当に大丈夫?」と尋ねていた。
身内だけならまだしも、わざわざ地域新聞の記者が取材に来たせいで、周辺に住んでいるお客さんからは無駄に称えられるようになっていた。
とりわけ多かったのは、新聞という媒体を信用しきっている年配の人間で、店内で大友さんを見かけるや「あんた、偉いね」だの「勇気ある子ね」だの無闇に称賛し、挙げ句の果てに「この街の誇りだ」と彼女を持ち上げた。
大友さんと話したがるお客さんが増えてしまったため、彼女が出勤すると店内は何かのイベントのように人が集まった。平均年齢は僕らを4人足したくらいになるが。
初めは満更でもないような顔をしていた大友さんも、次第に面倒に思ってきたのか、控えめにお礼だけ言って受け流すようになった。
けれど大友さんのことが可愛い孫のように見える世代のお客さんは、一度話しかけると話がなかなか途切れない。
ようやくレジが途切れると、大友さんは顰めっ面を僕に向けて言った。
「あたし、そんなに大層なことしていないんですけど」
「まあ、良いんじゃない?お客さんも増えたって藤野店長も喜んでたよ」
「貢献できていれば良いんですけど。なんか、お婆ちゃんから毎日飴を貰うようになってから、ちょっと違うなーって思うようになったんですよね」
そう言って彼女はエプロンのポケットに手を突っ込むと、掴み取りができる量の飴を取り出した。ハッカ味や柿渋味、生姜味と、大友さんの口に入ることはなさそうな味ばかりだ。
「それに、訳わかんないおっさんにキレられるの、すごい腹立ちます」
渋滞ができた列に並んで痺れを切らしたお客さんから、その鬱憤をぶつけられたようだ。生きていると理不尽なことはごまんと起こる。
「声大きいって。ほら、お客さんに聞こえるよ」
「あ、すみません」
怒るとすぐに言葉が悪くなる大友さんを宥める。時折感情をコントロールできない彼女の手綱は常に握っておかなければいけない。
「大友ちゃんは、このお店の看板娘だね」
隣のレジにいた一ノ瀬さんが呑気にそう言った。
「勘弁してくださいよ。一ノ瀬さんに代わって欲しいくらいです」
「大友ちゃん、格好良いよ」
一ノ瀬さんに言われてよっぽど嬉しかったのか、大友さんは鼻から「んふ」という謎の声を出した。
この前一緒に帰った時に、大友さんは物静かな一ノ瀬さんのことを「話しかけ辛いから苦手」と言っていたが、今回の一件がきっかけで2人の関係は一気に縮まったように見える。
そう思いながら2人を見ていると、突然一ノ瀬さんが寂しそうに雑誌売り場を眺めて言った。
「でも、今回の件を聞いて、わたし自身お客さんを見る目が変わってしまいました。もし目の前のお客さんが万引きをしたらって、心の中で疑ってしまうんです」
一ノ瀬さんは遠い目をしながら続ける。
「小学生の頃、学校の帰りに友達と駄菓子屋さんに寄ったことがあって、お店に入ると、店員のおばさんがずっとわたし達の方を見てきたんです。小さなお店でおばさんとの距離も近くて、すごく怖かったのを覚えています。
そのお店に監視カメラが無いので、しょうがないとは思うんですけど、それからわたしはお店に行くことができなくなったんです。だから、わたしたちの視線がきっかけで、このお店に来るのが嫌になっちゃう人がいなければ良いんですけど」
いくらなんでも考えすぎだと思うが、一ノ瀬さんはそういう人だ。
常にお客さんの動きを監視しなければいけない僕達の神経はいつも以上に消耗し、見られているお客さんもまた良い気がしないだろう。それが一ノ瀬さんのように繊細な人であれば、なおさら。
たった一人の人間の過ちは僕らに多大な影響を与えた。そんなことを、犯人は知る由もないだろうが。
「まあ、あまり考えすぎても疲れちゃいますから、いつも通りで良いんじゃないですか」
珍しく大友さんが正論を言うと、一ノ瀬さんは他人行儀な笑みを作った。
心配性の松田さんは、青ざめながら何度も大友さんの無事を確認し、普段はあまり自分から話しかけない一ノ瀬さんもまた、大友さんに会うとすぐに「怪我したって聞いたけど、本当に大丈夫?」と尋ねていた。
身内だけならまだしも、わざわざ地域新聞の記者が取材に来たせいで、周辺に住んでいるお客さんからは無駄に称えられるようになっていた。
とりわけ多かったのは、新聞という媒体を信用しきっている年配の人間で、店内で大友さんを見かけるや「あんた、偉いね」だの「勇気ある子ね」だの無闇に称賛し、挙げ句の果てに「この街の誇りだ」と彼女を持ち上げた。
大友さんと話したがるお客さんが増えてしまったため、彼女が出勤すると店内は何かのイベントのように人が集まった。平均年齢は僕らを4人足したくらいになるが。
初めは満更でもないような顔をしていた大友さんも、次第に面倒に思ってきたのか、控えめにお礼だけ言って受け流すようになった。
けれど大友さんのことが可愛い孫のように見える世代のお客さんは、一度話しかけると話がなかなか途切れない。
ようやくレジが途切れると、大友さんは顰めっ面を僕に向けて言った。
「あたし、そんなに大層なことしていないんですけど」
「まあ、良いんじゃない?お客さんも増えたって藤野店長も喜んでたよ」
「貢献できていれば良いんですけど。なんか、お婆ちゃんから毎日飴を貰うようになってから、ちょっと違うなーって思うようになったんですよね」
そう言って彼女はエプロンのポケットに手を突っ込むと、掴み取りができる量の飴を取り出した。ハッカ味や柿渋味、生姜味と、大友さんの口に入ることはなさそうな味ばかりだ。
「それに、訳わかんないおっさんにキレられるの、すごい腹立ちます」
渋滞ができた列に並んで痺れを切らしたお客さんから、その鬱憤をぶつけられたようだ。生きていると理不尽なことはごまんと起こる。
「声大きいって。ほら、お客さんに聞こえるよ」
「あ、すみません」
怒るとすぐに言葉が悪くなる大友さんを宥める。時折感情をコントロールできない彼女の手綱は常に握っておかなければいけない。
「大友ちゃんは、このお店の看板娘だね」
隣のレジにいた一ノ瀬さんが呑気にそう言った。
「勘弁してくださいよ。一ノ瀬さんに代わって欲しいくらいです」
「大友ちゃん、格好良いよ」
一ノ瀬さんに言われてよっぽど嬉しかったのか、大友さんは鼻から「んふ」という謎の声を出した。
この前一緒に帰った時に、大友さんは物静かな一ノ瀬さんのことを「話しかけ辛いから苦手」と言っていたが、今回の一件がきっかけで2人の関係は一気に縮まったように見える。
そう思いながら2人を見ていると、突然一ノ瀬さんが寂しそうに雑誌売り場を眺めて言った。
「でも、今回の件を聞いて、わたし自身お客さんを見る目が変わってしまいました。もし目の前のお客さんが万引きをしたらって、心の中で疑ってしまうんです」
一ノ瀬さんは遠い目をしながら続ける。
「小学生の頃、学校の帰りに友達と駄菓子屋さんに寄ったことがあって、お店に入ると、店員のおばさんがずっとわたし達の方を見てきたんです。小さなお店でおばさんとの距離も近くて、すごく怖かったのを覚えています。
そのお店に監視カメラが無いので、しょうがないとは思うんですけど、それからわたしはお店に行くことができなくなったんです。だから、わたしたちの視線がきっかけで、このお店に来るのが嫌になっちゃう人がいなければ良いんですけど」
いくらなんでも考えすぎだと思うが、一ノ瀬さんはそういう人だ。
常にお客さんの動きを監視しなければいけない僕達の神経はいつも以上に消耗し、見られているお客さんもまた良い気がしないだろう。それが一ノ瀬さんのように繊細な人であれば、なおさら。
たった一人の人間の過ちは僕らに多大な影響を与えた。そんなことを、犯人は知る由もないだろうが。
「まあ、あまり考えすぎても疲れちゃいますから、いつも通りで良いんじゃないですか」
珍しく大友さんが正論を言うと、一ノ瀬さんは他人行儀な笑みを作った。