「今日はもう一人来るので、2人掛けの席を使っていいですか」

「もちろん。ガールフレンド?」


郁江さんくらいの年齢の人になると、決まってこのような質問をされる。


「女の子ですけど、違います。バイト先の子です。ちょっと勉強を教えるので」


誤解されては困るから、僕は入念に否定をしておく。


仕事を教えるのをわざわざ「勉強する」と変換したのは、これ以上話をややこしくしないためでもある。

そんな僕の必死さを知ってか知らずか、郁江さんは茶目っ気(ちゃめっけ)たっぷりに悪戯(いたずら)っぽい笑みを浮かべ


「それじゃあ、入り口手前にある4人掛けの席はどうかしら」


と、僕らが長居するのには手に余るほどの大きな席を薦めてくれた。


「あまり広すぎるともったいないので、大丈夫です」

「気にしなくていいのよ。えーと、お名前は?」

「高倉です。高倉蒼(たかくらあおい)と言います」

「蒼くん。いい名前ね」


僕の名前を気に入ったのか、それとも人を下の名前で呼ぶことを自分の中で決めているのか。

郁江さんは4人掛けの机に僕を座らせると、メニュー表と冷たい水を持ってきてくれた。

待ち合わせの時間にはまだ時間があったから、僕は持ってきたノートパソコンを開き、昨日納品した取引先からのメールを確認する。

ほかのライターと連絡がつかなくなったため、5000文字ほど記事を三日以内に三記事納品して欲しいという内容だった。1記事でも早めに納品してもらえると助かるという言葉と共に、泣き顔の絵文字が添えられている。

断ることも特急料金を追加することもできたが、この仕事を始めた頃からお世話になっている取引先だったし、単価もよく良心的な編集者さんだったから、二つ返事で引き受けることにした。またしばらく徹夜が続きそうだが仕方ない。

オンラインで仕事をしていると、世の中には様々な取引先がいることを実感する。

限りなく安い単価で契約を結び、用が無ければ使い捨てるように音信不通になるクライアントも珍しくはないし、長期で計画しているプロジェクトの予算が減り外注できなくなったからといって突然終了されることもある。

オンラインで完結する仕事は、インスタントな関係が(ゆえ)に、扱いもそれなりだ。

対して会社員の頃は毎日決められた時間に仕事をし、決められたお金が振り込まれる。

今さらそれを羨ましいとは思わないが、安定して仕事を確保することは実はかなり難しいということを身に染みて実感している。収入が不安定な状態だと、時々激しい焦燥感(しょうそうかん)に駆られることがある。

ぼんやりとそんなことを考えていると、突然入り口の扉に付いているドアベルが慌ただしく鳴った。

聞き覚えのある声が店内に響き渡る。


「失礼します!」


僕や郁江さんはもちろん、カウンター席にいたほかのお客さんも含め、店内にいる全員が一斉に声がする方へと顔を向ける。

大友さんだ。

お前は職員室に入る生徒かと突っ込みたくなったが、そんなことを彼女に言えば、盛大に怒り始めるか悪ノリを始めるかのどちらかだろうからやめておく。


「いらっしゃい。おひとり様?」

「あ、いえ、友達と待ち合わせてて」


グレーのカーディガンを羽織った彼女は郁江さんに軽く会釈をすると、入り口に立ったまま店内をくまなく見渡す。さり気なく僕のことを友達と言ったことは聞かなかったことにしておこう。


大友さんは入り口近くのテーブルに座っている僕を見つけ、


「あ、いたいた。蒼さん!」


と、いかにもこれから友達とご飯でも楽しむかのようなテンションで、向かいの席に座った。


「蒼くんのお連れさんだったのね」

「は、はい!大友栞です。蒼さんにはいつもお世話になってます」


その後大友さんは聞かれていないのに律儀に自己紹介を始めた。お店で接客をしている時に度々感じるあざとさと、初対面の郁江さんに対してのよそよそしさの両方が混ざっている。


「ふふ。栞さんね。お勉強頑張ってちょうだいね」

「ありがとうございます!」

大友さんは席に着いていたのにわざわざ立ち上がって深々と頭を下げ始めて、今度はどこかの取引先にでも挨拶する新入社員かお前はと、また心の中で突っ込んでおいた。

その後彼女は首を傾げて「勉強するんですか?あたしたち」と言っていたから、僕は軽く咳払いをして彼女の気を()いた。

僕はこの日のために用意したスライドを用意しながら、ウェブライターという仕事について説明を始める。

が、始めこそ大友さんの集中力が僕をやる気にさせたが、僕の説明が下手なのか自分には無理だと感じてしまったのか、次第に彼女の集中力は明らかになくなっていった。