「高倉くんもクアトロエンジニアリングの内定もらったんだ」

「も、って。田中さんも受けたの?」

「そうだよ。内定をもらったのは二人って聞いていたんだけど、もう一人は高倉くんだったんだね。いえい!」


左手で決めたブイサインの間から大きな目を覗かせるのは、学年で最も可愛いと言われている田中佳(たなかけい)だった。彼女がどうして就職を選んだのかは謎だ。

同じ会社を就職先に選んだことを知ったのが内定を貰ってからのタイミングで本当に良かった。僕はどうしても彼女に勝てなかった。


「お母さんと妹さんは元気?」

「ああ。母さんがまたいつでも来いってさ」

「本当⁉︎私ね、この前久しぶりに手料理を食べた気がする!またご馳走に行っても良い?」

一人親であることは僕も田中さんも同じだったが、妹がいる僕とは違って田中さんは一人っ子。唯一の肉親である父親は、1年の大半を海外で過ごしているという家庭環境だった。

容姿端麗(ようしたんれい)で明るい性格をしている田中さんは、入学してすぐに学年を代表するほどの人気生徒だった。

おまけに定期テストの順位はどの教科も大概(たいがい)一番上に名前が載るほど成績優秀だった。

対して僕は決して優れているとは言えない頭を使って必死に成績を上げようと躍起に努力しても、なんとか順位は2桁代という状態。周りがライバルだと思い込んでいたから、友達なんてできず、気が付けば孤立することもしばしばあった。

見た目も頭の中も優れている田中佳を見て、この世は不平等だと恨んだこともある。

早くから人気企業であるクアトロエンジニアリングへの就職を目論(もくろ)んでいた僕は、初めこそ妙なプライドが邪魔をしていたが、次第に伸び悩む成績をなんとかしなければと危機感を抱いていた。

だから一年生最後の学年末テストの結果が張り出された時に、思い切って彼女に勉強方法を訊いてみることにした。できることは何でもしようとしたのだ。

田中さんはの周りにはいつも多くの人間が群がっていたが、気が合わなさそうな人間は、表面上で仲良くしているそぶりを見せながらも適当にあしらわれているという残酷な仕打ちを受けているように見えた。

きっと僕も彼女の選別で切り捨てられるのだろうと思って駄目元で(だめもと)話しかけると、なぜか彼女は僕が話しかけるのを待っていたかのような反応を見せた。

それ以来、クラスの違う彼女とは週一で近くのカフェに行って授業の復習やテスト勉強をするようになった。

彼女の勉強方法は斬新、というか、容姿に似つかわしくないパワープレーだった。

どうやら田中さんは好きな教科以外はまるっきり駄目らしく、教科書やノートに書いある文章を一字一句丸暗記するという力技。

もっと効率的な勉強方法があるのかと期待していたのだが、彼女(いわ)く、嫌いなものはどう頑張っても頭に入ってこないため、機械的に詰め込んでしまう方が効率がいいんだと。

もちろんこの方法だと覚えたことをすぐに忘れてしまうのだと突っ込んだこともあったが、忘れるほどのことだったらこの先必要ないことだから大丈夫だと清々(すがすが)しく言い切った。

一緒に過ごす時間が増えると、次第にお互いの距離は縮まってくる。

と言っても、僕と田中さんの関係は、友達とか恋人とかそんなのではない。あえて関係に名前を付けるのなら同志。そんな気がしていた。


「私ね、高倉くんが受かってすごく嬉しい。夢叶ったじゃん!」

「その言い方は、なんかしっくりこない」

「どうして?」

「夢って、もっと前向きな目標のような気がする」

「何言ってんの。お母さんと妹さんの生活を支えるのも、立派な夢だよ!」


僕の家庭環境を知っている同志にそう言われると、なぜか心臓のあたりがむず(がゆ)くなる。調子に乗った僕は、ずっと気になっていたがあえて訊かなかったことを質問する。


「田中さんはどうして就職を選んだの?」


彼女のことだから、もっと大きな志を持って大学を受験するのだと思っていた。だから2年時に進路別に分かれて受ける特別授業で田中さんが就職組の教室に入ってきた時、僕は絶望した。


「私も高倉くんと一緒。家のことを考えたら、少しでも早く就職した方が良いって思ったの」


もったいない。田中さんだから、なおさら。

同時に、田中さんの動機が僕とさほど変わらないことを知って、僕は安心する。


「あ、でも、もちろんこの会社に入りたいって思ったのもあるよ。グローバル企業だし、自分の能力も伸ばせそうだし」


取って付けたようなその言葉は、そうなろうとする決意のようにも、そうなりたいという願いのようにも聞こえた。


「そうだよな。頑張らないと」

「うん。一緒に頑張ろう!」


僕らは再び原動力を得るため、前向きな言葉で奮い立たせる。

内定がゴールではないが、1つ大きな山場を乗り越えたという安堵はしっかりと感じていた。

同時に、明確な目標を見失ってもいた。だから彼女が再び共に頑張ろうと言ってくれて、卒業後の生活が少しだけ楽しみになった。

窓から入ってきた秋風が、束ねることをしない彼女の黒髪を(なび)かせる。僕の心臓の鼓動が少しだけ早まった。


浮かれていたんだと思う。