「お先に失礼します」「お疲れ様です」


僕と一ノ瀬さんが口を揃えて言うと、藤野店長は


「お疲れさまー」


と、いつも通り力の抜けた声で見送ってくれた。

BGMが消え、常備灯だけ灯された薄暗い店内。荷物を取りにバックヤードへと向かうと、自分たちの足音が必要以上に大きく聞こえてくる。

前に大友さんと遅番に入った時、彼女は(おび)えながら「ちょっと不気味じゃないですか?」と言っていたが、僕はむしろこの薄暗く無音に近い状態が心地よく感じていた。

薄暗くなった本棚を眺めるように歩いていると、控えめに僕の後ろを歩く一ノ瀬さんが心なしか胸を弾ませているようだった。


「なんか、本屋というより、図書館みたいですね」


彼女は今日一明るい表情をしている。何がそんなに楽しいのだろう。


「ちょっと薄気味悪くない?幽霊とか出そうだよ」


普通なら大友さんのような反応が模範解答だと思ったから、僕はわざと少し怖気付(おじけづ)いているように振る舞った。同調してくれると思ったのに、一ノ瀬さんは


「幽霊が出そうなところが好きなんです」


と、素っ頓狂(すっとんきょう)なことを言い始めたから、僕は思わず「へ?」と間の抜けた声を出してしまった。


「もしかして一ノ瀬さんはホラー系の映画とか小説が好きな人?」

「いえ、そういうのじゃないんですけど、なんていうか、幽霊が見えたら良いなって」

「……え?」


ふざけているのだろうか。いや、彼女は決してそんな人間ではないはずだ。

あれか。一ノ瀬さんはオカルト女子という人間なのだろうか。海猫堂で写真を撮るのが好きと言っていたのは、もしや心霊写真を撮るとか。

顔を赤らめ恥ずかしげに話す彼女が今何を考えているのか全くわからない。


「高倉さんは、幽霊がいると思いますか?」


失礼だが、普段決して自分から話題を振ることをしない人間が突然おかしなことを言い出すのは、大体怪しい宗教かねずみ溝の勧誘のどちらかだ。僕の経験とマイナス思考が、そんな結論を導き出す。

前職の研修中、極度の赤面症を持つ同期がいた。グループディスカッションでは、上手く話せず、たびたびグループの人間から邪険にされていた。

どうして面接を突破できたのだろうと気になったそいつは僕の隣の部署に配属された。

相変わらず無口だったが、五月連休を以降、一気に僕に対して馴れ馴れしい態度を取るようになった。

休日飯に行こうと誘われた僕は、なぜか山奥のキャンプ場に連れて行かれ、そこで、知らない人間十人くらいと一緒にバーベキューをすることになった。

そこではみんなエナジードリンクのようなものを飲んでいて、僕も薦められた。一見なんの変哲もないジュースのように思ったが、同期の奴が、このエナジードリンクもどきが、いかに身体に良いのかを延々とプレゼンし始めた。

その後もサプリの話やレトルト食品の話などが延々と続いたから、僕はトイレに行くふりをし、そのままキャンプ場から脱出した。

山道を歩いていると、キャンピングカーに乗った若い夫婦に拾ってもらい、近くの駅までなんとかたどり着くことができた。あの時は、その夫婦さえも信じられなくなり、帰り際にそっけない態度をとってしまったのを覚えている。