衝撃音に驚いたお客さんはが振り返ると、大友さんはお客さんを睨みつけた。
お客さんが再び眉間に皺を寄せ始めたのを見逃さなかった僕は、
「すみません。あの台車タイヤの調子が悪くて」
と、必死に誤魔化す。
お客さんは訝しげに大友さんを睨む。
再び着火することを覚悟したが、お客さんはもう怒る体力が残っていなかったようで、皮肉を残すように鼻を鳴らし、帰っていった。
「なんなんですか、あれ。あーもう!腹立つ!」
「大友さん、落ち着いて。聞こえるって」
「だって。最後あんなこと言われて、どうしてそんな冷静でいられるんですか!」
大友さんは本来白髭のお客さんに向けたかったであろう矛先を僕に向け始める。
さすがに辟易してきた。お客さんといい大友さんといい、どうしてこう易々と感情を人に向けようとするのだろう。
「そりゃ、僕だって間に受ければ腹は立つよ。でも、こっちが怒っても喧嘩になるだけだし、お店へのクレームにもなるかもしれない。店員という立場もあるし」
「一方的に言われ続けるのを我慢しろっていうんですか⁉︎」
そうだ。その方が、何事もスムーズに進む。とは言えなかった。
彼女の正義を否定したくはなかった。
大友さんの怒りを消さなければいけないことは想定外だった。お客さんのようにいちいち丁寧に話を聞いている暇はない。
「ほら、もう退勤時間はとっくに過ぎてるよ。あとは任せて」
僕は大友さんが八つ当たりした台車をこっちに引き寄せ、半ば強制的に仕事を引き継ぐ。
「……あたし、納得できないです」
大友さんは大きな溜息を吐き、ぶちぶちと文句を言いながらバックヤードの方へと歩いて行った。
接客業をしている限り、お客さんからお叱りを受けることは避けて通れない。このお店で働き始めてから、それを痛感した。
幸いなことに、人に対しての興味がなくなった僕は、この問題に直面してもさほど大きく動揺することはなかった。人からの口撃を受け流す術は既に身につけていたのかもしれない。
引き継ぎ帳を確認するためにレジの方へ戻ると、松田さんが心配そうな表情を作って僕に訊いた。
「大友ちゃん、また荒ぶってたわね」
「お客さんの態度が気に食わなかったみたいです」
「そう……よっぽど癇に障ることでも言われたのかしら」
いちいち他人のことを心配していられるのは、人生経験が豊富な人か、単に優しいだけの人。
母親と同じくらいの年代の松田さんは、その両方を持ち合わせているようで、僕ら職場の人間だけでなく、年配の常連客の体調を本気で気遣う。
家族や学校のことをほとんど話さない大友さんを度々心配する松田さんを見ていると、本当のお母さんではないかと思う時がある。
「まあ、大友さんは若いので、そんな時もあるんじゃないですか」
大友さんがブックトラックに感情をぶつけたのは、決して僕のためではない。
お客さんの吐く暴言や話し方、声のトーンが不快に思い、それが抑えきれなかっただけ。感情をコントロールできない分、彼女はまだ青い。
「何言ってるの。あなたも十分若いわよ」
松田さんはおかしそうに笑った。僕の倍以上も生きている人生の大ベテランからすれば、僕も大友さんも同じように見えるのだろう。
噂をしていると、私服に着替えた大友さんが、退勤処理のためにレジ隣のパソコンへとやってきた。
巨大怪獣のような足音が似合いそうな歩き方をしており、全身から怒気が溢れている。これ以上火に油を注ぐ訳にはいかないと思った僕と松田さんは、なるべく怪獣大友を刺激しないよう、そっと労いの言葉を伝えておく。
大友さんは僕らに返事をするつもりだったのか、それともただ反射的に言っただけなのかわからないが、鼻息荒く「おつかれっした」と言い、お店を出て行った。どうかあのお客さんと鉢合わせだけはしないでほしい。
お客さんが再び眉間に皺を寄せ始めたのを見逃さなかった僕は、
「すみません。あの台車タイヤの調子が悪くて」
と、必死に誤魔化す。
お客さんは訝しげに大友さんを睨む。
再び着火することを覚悟したが、お客さんはもう怒る体力が残っていなかったようで、皮肉を残すように鼻を鳴らし、帰っていった。
「なんなんですか、あれ。あーもう!腹立つ!」
「大友さん、落ち着いて。聞こえるって」
「だって。最後あんなこと言われて、どうしてそんな冷静でいられるんですか!」
大友さんは本来白髭のお客さんに向けたかったであろう矛先を僕に向け始める。
さすがに辟易してきた。お客さんといい大友さんといい、どうしてこう易々と感情を人に向けようとするのだろう。
「そりゃ、僕だって間に受ければ腹は立つよ。でも、こっちが怒っても喧嘩になるだけだし、お店へのクレームにもなるかもしれない。店員という立場もあるし」
「一方的に言われ続けるのを我慢しろっていうんですか⁉︎」
そうだ。その方が、何事もスムーズに進む。とは言えなかった。
彼女の正義を否定したくはなかった。
大友さんの怒りを消さなければいけないことは想定外だった。お客さんのようにいちいち丁寧に話を聞いている暇はない。
「ほら、もう退勤時間はとっくに過ぎてるよ。あとは任せて」
僕は大友さんが八つ当たりした台車をこっちに引き寄せ、半ば強制的に仕事を引き継ぐ。
「……あたし、納得できないです」
大友さんは大きな溜息を吐き、ぶちぶちと文句を言いながらバックヤードの方へと歩いて行った。
接客業をしている限り、お客さんからお叱りを受けることは避けて通れない。このお店で働き始めてから、それを痛感した。
幸いなことに、人に対しての興味がなくなった僕は、この問題に直面してもさほど大きく動揺することはなかった。人からの口撃を受け流す術は既に身につけていたのかもしれない。
引き継ぎ帳を確認するためにレジの方へ戻ると、松田さんが心配そうな表情を作って僕に訊いた。
「大友ちゃん、また荒ぶってたわね」
「お客さんの態度が気に食わなかったみたいです」
「そう……よっぽど癇に障ることでも言われたのかしら」
いちいち他人のことを心配していられるのは、人生経験が豊富な人か、単に優しいだけの人。
母親と同じくらいの年代の松田さんは、その両方を持ち合わせているようで、僕ら職場の人間だけでなく、年配の常連客の体調を本気で気遣う。
家族や学校のことをほとんど話さない大友さんを度々心配する松田さんを見ていると、本当のお母さんではないかと思う時がある。
「まあ、大友さんは若いので、そんな時もあるんじゃないですか」
大友さんがブックトラックに感情をぶつけたのは、決して僕のためではない。
お客さんの吐く暴言や話し方、声のトーンが不快に思い、それが抑えきれなかっただけ。感情をコントロールできない分、彼女はまだ青い。
「何言ってるの。あなたも十分若いわよ」
松田さんはおかしそうに笑った。僕の倍以上も生きている人生の大ベテランからすれば、僕も大友さんも同じように見えるのだろう。
噂をしていると、私服に着替えた大友さんが、退勤処理のためにレジ隣のパソコンへとやってきた。
巨大怪獣のような足音が似合いそうな歩き方をしており、全身から怒気が溢れている。これ以上火に油を注ぐ訳にはいかないと思った僕と松田さんは、なるべく怪獣大友を刺激しないよう、そっと労いの言葉を伝えておく。
大友さんは僕らに返事をするつもりだったのか、それともただ反射的に言っただけなのかわからないが、鼻息荒く「おつかれっした」と言い、お店を出て行った。どうかあのお客さんと鉢合わせだけはしないでほしい。