「おい!兄ちゃん!ちょっといいか!」

突然背後からどすの効いた威嚇的(いかくてき)な声が僕達を襲った。

僕と大友さんが同時に振り向くと、白い顎髭(あごひげ)を蓄えた背の低い老人が、顔を真っ赤にしながら立っていた。その人は月に2、3度ほど訪れる面倒な常連さんだとすぐに認知したのは、僕だけだった。

普段から早番に入ることがない大友さんは、この茹で蛸のようになった小さいお爺さんは一体何者なんだろうと思っているに違いない。

お爺さんは僕に右手を突き出す。

その手には検索機から印刷された紙を持っていた。すぐにわかった。どうやら探している本が見つからなくて、機嫌を悪くしたのだろう。


「何かお探しですか?」


面食らった大友さんを横に僕がそう言うと、お爺さんは、


「お探しですかって、これ見たらわかるだろ!『在庫あり』ってなっとるのに、どこにあるのか全くわからん!」


と言って、再び紙を僕に突き付ける。


「今から検索してみますので、少々お待ちください」

「お前店員だろ!これくらい見てすぐにわからんのか!」


どうしてこんなに余計な言葉がすらすらと出てくるのだろう。


「申し訳ございません。探してみますね」


苛々(いらいら)している感情を問答無用で押し付けられたのはさすがにむかついたが、そんなことは思って仕方がない。闇雲に感情を表に出すと、ろくなことは起こらない。僕は余計な感情を押し殺し、事務的に対応する。

検索システムと連動しているパソコンへ向かう前に、大友さんに声をかけておく。


「大友さんは4時までだよね。あとはやっておくから、先にあがって」


言ってからその言葉の意味を考える。「あがる」というのは、終わらせるという意味も含まれているから、おかしくはないはずだ。

時折(ときおり)そんなどうでもいい事が気になる事がある。


「あたしも探すの手伝いますよ。どの道4時過ぎちゃってるので、もう少し残って4時15分あがりにしちゃいたいですし」


純粋に僕を助けてくれる気持ちからか、それともただお金が欲しいだけなのか。まあ、どちらでもいいか。


「ありがとう。じゃあちょっと棚番を調べてくるよ」


それから僕と大友さんは、検索結果が示した棚や、その本がありそうなジャンルの棚を片っ端から見て回る。けれど目的の商品はなかなか見つからなかった。

探している本が見つからないなんてことはざらにある。

言い訳をするつもりはないが、かもめ書店の検索システム自体はかなりアバウトに作られている。検索結果で探している本の棚番がわかっても、棚の範囲が広すぎるあまり、探すのが困難なのだ。

僕や大友さんのような書店経験の浅い人間や、そもそもその棚の担当者でない人間が探すとなると、ある程度の時間や根気が必要になる。

それに、検索機のデータはリアルタイムで更新されるわけではないため、検索結果に『在庫あり』と表示されていても、売り場では既に売り切れていることもある。

さらに所詮(しょせん)品出しは人の手で行われるため、間違って別の棚に出しされているということも少なくない。

しばらく探しても商品が見つからなければ、売り切れていることにして注文へと回す。

僕達が商品探しに時間をかければその分お客さんの苛々(いらいら)は募る一方であるため、余計に時間をかけるわけにはいかない。

ある程度探しても見つからなければ、割り切って注文に回す。僕らはベテランスタッフからそう教わった。

大抵のお客さんは店員が見つけられないのであればと諦めてくれるが、中には納得がいかないように喰い下がる人もいる。

そして今回は、言うまでもなく後者。けれど、見つからないものは仕方がない。

僕は棚の端から端まで隈無く探している大友さんに、そっと声をかける。


「大友さん、これだけ探しても見つからないから、もう注文に回そう」

「え、でも、あのお爺ちゃん結構面倒臭そうですよ。絶対怒ってきますって」

「しー。声が大きいって。あのお客さんは常連さんで、時間がかかる方のが面倒なんだ。それに、どのみちもう怒ってるじゃないか」

「でも、怒られるってわかっててお爺ちゃんのところに行くの、なんか嫌です。負けたような気がしますし」

「僕が行くよ」


躊躇(とまど)っている大友さんにいいところを見せたい訳ではない。ただ、彼女にわざわざあのお客さんの相手をさせる必要もない。それに、冷めている僕はこの役が向いている。

懸命に探したふりをするために、小走りでお客さんのもとへ向かう。


「大変申し訳ございません。棚を確認したら既に売り切れておりまして……」


予想通り、お客さんは僕に怒りをぶつける。


「『在庫あり』って書いてあるだろ!これは嘘なのか⁉︎この店は嘘の情報を流してるのか!」


一気に沸点に到達して早口になったお客さんの前で、僕はひたすら話を聞いているふりをする。火はいつまでも燃え続けられない。勢いが収まるのを待てばいいだけ。

店内に響き渡る罵声は、しばらくすると勢いがなくなってきた。

それでもお客さんは、必死に自分を正当化するために今度は次第にお店の経営方針についてや書店業界への文句まで言い始めた。これは長期戦になりそうだ。

そう思った僕は、慣れない笑顔を作りながら「そうですね」「おっしゃる通りです」と唱えておく。

やがて言いたいことが尽きたのだろう。最後は、次回来店した時までにその本を仕入れておくという代替え案を承諾してくれた。

完全に勢いがなくなったところで、僕は残り火を踏み消す。


「ためになるお話を聞かせてくださりありがとうございます。ぜひまたいらしてください」

「おう、また頼むよ」

「はい、ぜひ」

「兄ちゃん、あんた、大学生か?」

「いえ」

「あんた、学生じゃないのにこんなところに居ちゃいかん。もっとまともな仕事をしたらどうだ」


つくづく面倒な人だ。

まともに聞いていたら、よろしくない感情が一気に押し寄せてきそうだ。このお店を馬鹿にするような発言を聞いていると、さすがに気分が悪くなる。

その直後、お客さんの後ろにあった本を載せている台車が勢いよく傾いた。直後、ぐらりと傾いた台車はガシャン!と大きな音を立てながら、なんとか体勢を維持する。大友さんが力一杯台車を引っ張ったのだ。