一ノ瀬さんはバイト先の書店ではお世辞にも自分から積極的に動くタイプの人間ではない。
言われたことはきちんとその場でメモを残し、指示通りに動いてくれる彼女に初めこそ好感を抱いたことがある。
けれど、次第に彼女がどのような人間なのかが見えてくると、僕は彼女のことを何も思わなくなった。
品出しに追われていた時、レジを担当していた一ノ瀬さんに仕事をお願いしたことがある。100枚ほどある伝票の束に1枚ずつ店舗のゴム印を押すという仕事だった。
この伝票にゴム印を押しといて貰えますか。僕はそう言うと、彼女は快く引き受けてくれた。
しかし品出しを終えて戻ってくると、1番上の伝票のみゴム印が押してある状態だった。伝票の上に丁寧にゴム印とスタンプ台が纏めてくれた一ノ瀬さんは、退勤時間が過ぎていたため、もういなかった。
無論、1枚1枚に押して欲しいと言わなかった僕が悪いのは間違いない。帰宅する前には進捗を報告しておくものだと思い込んでいた僕が悪い。
言葉通りの任務を遂行した彼女に落ち度はない。
ただ、その時僕は一ノ瀬さんがどういう人間なのかを上書きした。
そんな彼女がどうやってこの逆境を乗り越えるのだろう。
汚い野次馬精神で傍観していると、一ノ瀬さんは、いそいそととカウンターキッチンに向かい、慣れた手つきでカウンター台にサイフォンを置いた。
あの一ノ瀬さんが人前でコーヒーを淹れるなんて。しかも本格的なサイフォンを使って。
フラスコ内の沸騰したお湯がロート管を伝って上部に引き上げられるそれは、理科の実験を彷彿とさせる。
サイフォンを使っての抽出はお客さんを楽しませる意味合いも含まれているが、もちろんお湯の量や攪拌の仕方など、技術的な難易度も高い。それをあの一ノ瀬さんが。
ぼんやりと眺めていると、彼女と目が合ってしまったため、僕は慌てて画面の方へと向き直す。これ以上余計なことを考えていると、本当に仕事が終わらない。
僕はリュックサックの内ポケットからワイヤレスイヤホンを取り出し、耳に押し込んだ。
Bluetoothの接続を告げるアナウンスを確認せず音楽アプリを再生したため、スマホから音が漏れてしまった。作業に集中するためのピアノ曲集だったからよかった。
言われたことはきちんとその場でメモを残し、指示通りに動いてくれる彼女に初めこそ好感を抱いたことがある。
けれど、次第に彼女がどのような人間なのかが見えてくると、僕は彼女のことを何も思わなくなった。
品出しに追われていた時、レジを担当していた一ノ瀬さんに仕事をお願いしたことがある。100枚ほどある伝票の束に1枚ずつ店舗のゴム印を押すという仕事だった。
この伝票にゴム印を押しといて貰えますか。僕はそう言うと、彼女は快く引き受けてくれた。
しかし品出しを終えて戻ってくると、1番上の伝票のみゴム印が押してある状態だった。伝票の上に丁寧にゴム印とスタンプ台が纏めてくれた一ノ瀬さんは、退勤時間が過ぎていたため、もういなかった。
無論、1枚1枚に押して欲しいと言わなかった僕が悪いのは間違いない。帰宅する前には進捗を報告しておくものだと思い込んでいた僕が悪い。
言葉通りの任務を遂行した彼女に落ち度はない。
ただ、その時僕は一ノ瀬さんがどういう人間なのかを上書きした。
そんな彼女がどうやってこの逆境を乗り越えるのだろう。
汚い野次馬精神で傍観していると、一ノ瀬さんは、いそいそととカウンターキッチンに向かい、慣れた手つきでカウンター台にサイフォンを置いた。
あの一ノ瀬さんが人前でコーヒーを淹れるなんて。しかも本格的なサイフォンを使って。
フラスコ内の沸騰したお湯がロート管を伝って上部に引き上げられるそれは、理科の実験を彷彿とさせる。
サイフォンを使っての抽出はお客さんを楽しませる意味合いも含まれているが、もちろんお湯の量や攪拌の仕方など、技術的な難易度も高い。それをあの一ノ瀬さんが。
ぼんやりと眺めていると、彼女と目が合ってしまったため、僕は慌てて画面の方へと向き直す。これ以上余計なことを考えていると、本当に仕事が終わらない。
僕はリュックサックの内ポケットからワイヤレスイヤホンを取り出し、耳に押し込んだ。
Bluetoothの接続を告げるアナウンスを確認せず音楽アプリを再生したため、スマホから音が漏れてしまった。作業に集中するためのピアノ曲集だったからよかった。