かもめ書店が閉店してから1ヶ月ほど時間が経過しても、この土地を離れなかったのは、正直自分でも驚いている。

あんなにも多忙だった閉店直前の記憶が時間と共に薄れているのは、押し寄せる作業量が容赦無く僕らを飲み込んだから。会社は最後まで僕らに労働力を要求した。

ただ、考えれば考えるほどマイナスな感情が湧き上がるあの状況では、忙しさにかまけて余計な感情を抱かなかったのは、逆によかったのかもしれない。

僕らが開設したお店のSNSは、開設直後に閉店の告知というまさかの展開になったが、なぜか多くの出版社や作家さん、他の店舗が反応してくれた。なくなることに対しては皆敏感に反応する。

いくつかのDMの中に”ミオリ”さん本人からのメッセージが混ざっていた。

”ミオリ”さんには大友さんが店内展示用のサインのお願いをしていたのだが、その時は代筆の方からの返事だった。本人から直々に閉店を惜しむメッセージが送られてきていて、純粋に嬉しくも、切なくも思った。

もちろん作家という職業柄、本を売る立場である書店を重宝するという意味で体裁的に送られてきたのかもしれない。

ただ、メッセージには僕らの気持ちを汲み取り、純粋に人として気遣う言葉が並べられていて、社交辞令ではないことはすぐにわかった。

大友さんと一ノ瀬さんは目に涙を浮かべながら、そのメッセージを何度も読み返していた。

その言葉を読んで決心したのだろう。大友さんは言葉を使った表現を勉強したいからと、文系の大学を目指すようになった。

学力や金銭的な問題と、乗り越えなければいけない壁は決して低くはないと思うが、彼女の持つ行動力や推進力を考えると、決して乗り越えられない壁ではないだろう。これからの彼女を近くで見届けてみたいとも思う。

閉店後の2日間はレジの機材や計器の撤去、売り場に残った雑誌やコミックなどの返品をし、僕らの役目は終わった。

大友さんや一ノ瀬さんを含む何人かが空っぽになった店内を茫然と眺めていたから、僕はあえてその光景を目に焼き付けた。

最後に藤野店長が挨拶をしている時、至る所で鼻を(すす)っている音が聞こえてきた。その時の雰囲気は、さながら敗退した引退試合直後のようだった。そんなお通夜のような雰囲気を打破してくれたのは、意外にも一ノ瀬さんだった。

控えめな一ノ瀬さんは大勢の中で提案することに気が引けたのか、藤野店長の最後の挨拶の前に、僕にひっそりと写真撮影を提案した。

解散後に僕がみんなを呼び止めると、一ノ瀬さんはバックヤードにから急いで一眼レフカメラを持ってきて、それを見た大友さんが「沙希さん準備良いですね!」なんて言ったから、一斉に笑いが起こって重苦しい空気が吹き飛んだ。

写真を通して自らの姿を見るのは好きではなかったが、不思議とこの写真の中に自分が写っていることが、素直に嬉しく思った。

残念ながら最終日に法要で出勤できなくなった松田さんが写っていないのは残念だが、今日はその松田さんを海猫堂に招待し、代わりに作成した寄せ書きを手渡す予定だ。