そう広くはない馬車で隣に座る、顔形の整ったラウス様を眺める。
 ただ前を見据えるその姿はやはり美しい。
 こんな近距離で見ることなどもうこれを逃したらないだろうからと存分に網膜に焼き付けることにした。
「……どうかしましたか?」
「あ、ラウス様。お初にお目にかかります。私、モリア=サンドリアと申します」
 あんまりにも見つめていたせいで不快に感じたのか、綺麗に整った顔を崩して私の方に顔を向ける。すると今度は私の方が居心地が悪くなり、視線を逸らしてまくし立てるように自己紹介をした。
「あ、ああ、モリア。私はラウス。ラウス=カリバーンだ。これからどうぞよろしく」
「ラウス様のお役に立てますよう頑張りますのでどうぞよろしくお願いいたします」
「頑張るって……そんな……」
 今後の意気込みを話すとラウス様の顔はほのかに赤らんだ。まるで求婚された少女のようだ。同じ貴族という枠組み内にいるとは言え、やはり身分の高い人の行動はよくわからない。
「それで、私はカリバーン家で何をすればいいのでしょう? 一通り家事などはこなせますが……」
「家事? それは使用人の仕事だから君がすることはない」
「では私は何を……」
「君はただ俺の隣にいてくれればそれで……」
 次第に小さくなる声に比例してどんどんラウス様の顔は熱を帯びて夕日のように赤く染まる。
「あの……大丈夫、ですか?」
「あ、ああ。大丈夫だ、心配はいらない」
「そうですか?」
「ああ!」
 力強く発したラウス様の声で会話は途切れ、再び馬車には静寂が訪れる。
 私の役目は警護、ということでいいのだろうか。
 農作業や工芸品づくりと平民に交じって行ってきたが、さすがに腕っぷしには自信がないのだが……。今はそれを伝えられるような雰囲気でもない。
 手持ち無沙汰で外を眺めようにも窓にはカーテンがかかっていて何も見えない。町の乗り合い馬車とは勝手が違って窮屈に感じる。だが極たまに町で見かける家紋入りの馬車のほとんどがやはり目隠しがかかっていた。身分が高い人の乗る馬車だとこんなものなのかもしれない。もう二度と乗ることのないのだからこの窮屈ささえも楽しんでおくべきかと気をそらす他ない。
 それからしばらく走り続けていた馬車は少しずつ速度を落としていき、そしてピタリと止まった。
 ラウス様側の扉は使用人によって開かれ、そしてゆっくりと地上へ降りていく。彼に続いて外へ出ようとするとラウス様の手が差し出される。
 いつもは使用人かお父様が差し伸べてくれるから、他の男性に、それもこれから私の雇い主となるであろうラウス様の手を取るのは気がひける。
「手を……」
 けれどたくさんの使用人が見ている前で恥をかかせるわけにもいかず、夜会で見かけたラウス様狙いのご令嬢たちに心の中でこっそりと詫びてから手を乗せた。
 普段ならヒールが苦手だと知っている使用人やお父様の手に遠慮なく体重をかけてしまっていた。けれど今日はそんな不躾なことできるはずもなく、むしろ手を中途半端に乗せているぶんバランスが取りにくく、グラつく足に全神経を向けた。
「モリア? 大丈夫か?」
 わずか三段ほどしかない段差を降り、地面に足がつくと一気に落ち着く。額にはうっすらと汗がにじんでいた。そんな私の顔を心配そうにラウス様は覗き込む。極度の緊張状態にあった私の顔はきっと心配に値するものだったのだろう。
「ええ、ご心配をおかけして申し訳ありません」
「そうか? 無理はしないでくれ」
「ええ、大丈夫です」
「そうか……」
 理由は明らかではあるが、そんな情けないことをこれからの雇い主に言えるわけもない。微笑んで心配ないことを表すとラウス様は屋敷の方へと顔を向けた。手は未だに私の手と繋がっている。口では心配ないことを理解してくれたようではあったが、私の言葉を事実として受け取ってはくれていないようだ。
 心配性なのか、はたまた私への信頼がないのか……。どちらにせよこれ以上気を使わせるわけにもいかない。
「おかえりなさいませ。ラウス様、モリア様」
「ハーヴェイ、今帰った」
 ラウス様は出迎えに来ていた使用人に言葉をかける。ハーヴェイと声をかけられた男は私を店まで連れて行った男だった。彼の手には先ほどのようにハンカチは握られてはいない。だが相変わらず背筋はピシッとまっすぐに空に向かって伸びている。
 周りを見回すと彼を先頭に並んでいる。どうやら彼がカリバーン家の使用人の中で一番偉いらしい。
「私、モリア=サンドリアと申します。これからどうぞよろしくお願いいたします」
 緊張しながらも名前を告げ、深々と頭を下げる。
 彼らはこれから共に働く仲間だ。私では到底彼らの技量には及ばないがそれでも借金のため、必死で働かなくてはいけないのだ。それにはまず、第一印象が重要だ。
 馬車の中で会った彼の、私に対する第一印象が良かったのかは分からないが、他の使用人に悪印象を与えてはいけない。
「モリア様、お顔をあげてください」
 ハーヴェイと呼ばれた使用人は顔が見えずともひどく焦っているのが容易にわかった。彼をこれ以上困らせるわけにもいかずゆっくりと顔を上げる。すると彼はホッとしたように胸をなでおろしていた。
 きっと一応とはいえ貴族の娘だから気を使っているのだろう。だが私は客人ではないのだから、そんな扱いを受ける権利などはない。
「モリア様などとんでもない。どうかモリアとお呼びください」
 そう懇願するとハーヴェイの顔は次第に血が抜けたように白くなっていった。