無音の世界で、なぶるような深い深い苦しみと悲しみが襲う。
 ただひたすらに、もがき苦しむ。
 えぐるような心の痛みをカッターで傷つける。そうすることで、なかったことにする。
 心より体の痛みのほうがずっと楽だから――。
 生きるのは痛くて辛いことばかり。
 楽しいことなんてなにもない。
 浅くて無数に刻まれた傷は、すぐに治るけれど、私の心の傷は癒える気はしない。
 嗚咽しながらも、誰にも知られないように、ひっそりと息をひそめて行う。これは癒やしの儀式だ。
「その傷痛そうだなぁ」
 見たこともない男子が放課後の誰もいない教室で声をかけてきた。
 教室には知らない男子と私の二人きり。
 傷のことは誰にも知られていないはずだ。
 誰にも見られないように、最近はいつも長袖を着るようにしていた。
 夏が近づくにつれ、見えない場所にしか傷をつけていなかった。
 そして、心の傷は絶対に見えないのに――どうして?
「何の話かな?」
 適当なことを言ってごまかそうとしたが――。
「俺、心と体の傷の痛みがわかるんだよ。キュウメイキだから」
「キュウメイキ?」
「吸血鬼みたいな感じかな。メイは命とかいて命を吸う鬼と書くんだけどね。普段は普通に高校生をやってるんだけど、人の寿命を吸い取らないとだめな体質なんだ。吸血鬼ならば血になるけれど、俺の場合は命なんだ。痛みを感じている人間を探して、契約するのが生業だ」
「はぁ?」
「君はとても辛そうにしていたから、痛みがビンビン伝わってきたよ。本当は死にたいんでしょ。楽に死ぬ手伝いをさせてよ。俺が君の寿命を吸い取れば、いつのまにか死ねるよ」
 嘘みたいな甘い誘惑に一瞬心が躍る。私は確かに彼の言う通りのことを望んでいたからだ。
「でも、そんな馬鹿げた話なんてないでしょ。もしかして、首のあたりの血を吸うの?」
「吸血鬼ではないから、君の体内のエネルギーを手をつないで奪うだけだよ。痛くもかゆくもない。ただ、君が楽しいと思った時に奪うことができるんだ。だから、契約すると毎日喜びを与えなければいけない。吸い取ること自体は一瞬で終わるんだ。それを毎日やっていれば少しずつおのずと命は削られる」
「冗談に決まってるよね。そんな馬鹿げたことを信じられないよ」
 常識のあるふりをする。本当は誰かに救ってほしいと願っていた。だから、声を掛けられたこと自体は嬉しいと思っていた。
「でも、確実に君には傷がある。君の左手首に数本程度浅い傷。右太もも、左太ももには浅いけれど多数の傷がある。昨日は深めに右太ももにカッターで傷をつけた。それは、現実の心の痛みから逃げるためだろ」
 なんとも言えなくなる。本当のことだからだ。見透かされているのだろうか。
「私だって、本当はこの世界で活躍したり、楽しく生きたいんだよ」
「でも、それはかなわなかったんだろ」
「私、バスケで中学では県でも優勝したの。でも、バスケの練習試合中の足のケガで、できなくなってしまった。そして、実の姉は死んだんだ。姉もバスケが強くて、いつも私の憧れだったんだけどね」
「津波で死んだんだろ」
「……なんでわかるの?」
「キュウメイキだからね」
 たしかに、姉は海に遊びに行った時に運悪く地震に遭遇した。土地勘がない場所で、避難が遅れた姉は友人と共に津波にのまれてしまった。もう、二度と会えない。変えられない事実。姉は帰ってくることはない。遺体は後日発見された。その瞬間一縷の望みは絶たれた。もしかしたら「ただいま」と帰ってくるかもしれないなんて淡い期待をみんなが持っていた。その日から海は大嫌いなものとなった。今までは楽しく美しい場所だと思っていたのに――今では人の命を奪う死神のような存在だと感じている。青くて澄んだ海は悪魔のような存在となった。

 それから、母は辛い顔をして私に当たるようになった。
 元々姉のことばかりをかわいがっていた。
 バスケはもちろん学業も優秀で、美人だった姉。
 父は家庭を顧みない人で、元々家庭内別居状態だった。
 父も姉のことは目にかけていた。
 更に、こんなことになって父と母の仲は決定的に亀裂が入った。
 複雑な家庭の事情と自分の不甲斐なさ。
 どうすることもできない不幸。

 キュウメイキとやらに聞いてみる。
「あなた、制服を着ているけれど、この高校の生徒なの?」
「この高校の生徒だよ。君とは同じ学年だけれど違うクラスだ。近いところで痛みを探して、寿命を吸い取る契約主を探していたところだったんだ。契約をすれば君は楽に死ぬことができる。自殺ほう助に近いけれど、痕跡は残らないから、俺は罪に問われることもない。俺と契約をするか?」
「そんな夢みたいな話はないでしょ」
「まぁ、命がかかっているんだ。ゆっくり考えればいい。もし、辛くなったら俺にメッセージを送ってほしい。その時、契約を交わそう」
 ピコンとスマホが鳴る。知らないアイコンが勝手に追加された。
「なんで私の連絡先を知っているの?」
「キュウメイキだから」
 にこやかに笑う。とても寿命を吸い取るとは思えない風貌だ。
 アイコンの名前はメイキと記されている。
 自撮りした写真がそのままアイコンとして使われている。
 よく見ると、結構かっこいい顔をしているのかもしれない。
 スタイルもいい感じの背格好だ。175センチ以上はあるだろうか。体つきは細身だ。
 でも、今現在男子には特別興味もないし、期待をしているわけでもない。恋をしたいわけでもない。
 この世界で何かしたいとか未練というものがこの歳でないのは終わっていると思う。
 でも、仕方がない。十六年間生きてきて、何一つ得られなかったように思える。
 増えるのは苦しみと悲しみだけ。
 まるで海の底で息ができないかのように、地上にいるにも関わらず、息苦しく感じていた。
「あなたの名前はメイキ?」
「そう呼んでよ。名前は九重(ここのえ)メイキ」
「メイキ君か。人間じゃないってこと?」
「特別な能力を持つ人間だよ。キュウメイキ活動は家業みたいなものだよ。契約するならもっと秘密を教えてあげるよ。契約を決意したら俺にメッセージを送って。寿命は大好物なんだよね。君は何事も、「しなければいけない」と思い込みすぎだと思うんだよね。もう少し楽に考えてみなよ」
 やっぱり変な人なのかもしれない。関わらないでおこう。
 最悪ブロックすればスマホでつながることはないだろうし。
 自宅に帰ると、荒んだ母親が無言でリビングで家事をしていた。
 帰宅した私のことは無視だ。
 最近はすっかり老け込んでしまった。
 メイクする気にもならないらしく、髪はボサボサだ。
 顔色は悪く、痩せたと感じる。
 かわいがっていた姉が死んでまだ一カ月。
 父とは離婚をするかどうかという話や親権のこともあって、機嫌が悪い。
 元々仮面夫婦なので、今更離婚すると聞いても驚くことはない。
 多分、姉がいたから夫婦として繋がっていたのだろう。
 姉への期待は大きかった。
 姉は中学生の時に県の強化選手に選出され、将来を有望視された人だった。
 以前から私は自分に傷をつける癖があった。
 どちらかというと、痛みを与える癖と言ったほうがいいかもしれない。
 その手段が傷だった。
 心の痛みを身体の痛みで消す。
 でも、ここ一か月は頻度が増えた。
 深く、たくさん傷をつけると心の痛みが少し無くなるような気がする。
 傷をつける瞬間が心地いい。そして、次に来る痛みと罪悪感。
 私は何をしているのだという客観的な自分を感じる。
 その繰り返しを何度も儀式のように行っている。
 もちろん誰にも知られないように、息をひそめるように――。 
 最初に自分を傷をつけたのは、高校に入ってすぐの頃だった。部活の練習試合のバスケでケガを負った時だ。
 部活のために高校に通っていた私はバスケができなくなると聞いた時、辛くてどうしようもなくなった。
 その時、初めて手首に傷をつけた。
 浅く少しならばいいのではないかと自分に言い聞かせた。
 誰にも迷惑はかけていない。誰かを刺すわけではないのだから。
 悪いことだということは、重々承知の上だった。
 その時の高揚感と背徳感が忘れられなくなった。
 一種の依存症なのかもしれない。
 心の痛みを忘れるために、死ぬつもりでもない浅い傷をつける。
 その結果小さな浅い傷が多数体に刻まれた。
 誰にも知られないように。
 小さな傷ならば、少しすれば治る。
 夏服になると、半そでになるので、最近は太ももに傷をつけていた。
 弱い自分を知られたくなかった。それはちっぽけなプライドだった。
 小学生の頃から、バスケが好きな元気な子として認識されていた。
 元気で明るいバスケがうまい人間でいなければいけない。
 私はいつも自分にそう言いきかせていた。
 そんな自分がこんなに陰気な性格だなんて、小中学生時代の友達に知られたくなかった。
 姉も所属していた中学校のバスケ部は県で優勝するくらい強豪校だった。
 私は中学三年の時は一応スタメンとして活躍はした。
 でも、活躍ぶりは部長をやり、県で優秀選手として表彰された姉に比べたらひどく劣るものだった。
 高校一年の春、練習試合でケガをして、しばらくバスケをしないようにと医師に言われた。
 安静にしないと、治るものも治らない。でも、いつのまにか帰る居場所はなくなっていた。
 うちの高校のバスケ部は優秀な選手が多い。
 技術、体力、天性のセンスを持ちながら運動神経も素晴らしい。
 だから、普通の人間が一人退部しようと休部しようと幽霊部員になろうとそんなのは誰も気に留めない。
 でも、姉は将来を期待されていたから、津波で亡くなったと聞いたバスケ部員たちはみんな葬式に参列して号泣した。
 顧問も名残惜しそうにしていた。その様子を見ていた私はいつのまにか、バスケ部を退部することもなく勝手に行かなくなっていた。ケガのこともあって、顧問も無理に練習に来いとは言わなかったし、部員たちは春から夏にかけてグループが出来上がっていて、今更入る余地がなくなっていた。
 グループに所属しなければいけない。誰からも好かれる人気者でなければいけないといつも言い聞かせていたので、もう部活は辞めようかなと思っていた。
 高校では本来の自分を見せられなかった。自分よりもすごい実力を持った人たちがたくさん集う。その人たちに勝てる気はしなかった。そして、追い打ちをかけるようにケガを負った。元々ケガの多いスポーツだとは思う。身体的な接触プレーも多く、今までケガは何度も経験した。でも、こんなに長期間スポーツを禁止させられたのは初めてだった。入部したばかり。しかも、ブランクが空くと更に部員たちとの実力差もどんどん開いていくことが怖かった。バスケは楽しいものではなく、いつのまにか怖いものとなっていた。そして、いつの間にかケガを負った姉を失った可哀そうな人というポジションが確立されていた。今までの元気キャラを貫ける気配も自信もなかった。
 元々ここのバスケ部は明るく元気な人が多い。私のような明るいフリをしている人は、いつかは本性がバレるということも認識し始めていた。子供の頃は感じなかった他人の目を気にするようになったからかもしれない。暗い人間であってはいけない。性格は明るくなければいけない。バスケが上手な存在でなければいけない。ベンチ入り、スタメンメンバーでなければいけない。しなければならないことは多かった。
 いつの間にかしなければいけないことに覆われた私は息ができなくなっていた。
 居場所がない――自宅にも学校にも。特にずっと打ち込んできた部活に居場所がないのは一番辛かった。
 誰も、私を必要としていない。世界一不幸な人間なのかもしれない。
 誰のいない薄明りの無機質な部屋でぼんやりしているとピコンと音が鳴る。
『明日の放課後、空けておいて』
 というメッセージが表示される。送り主はメイキだ。
 端正な顔立ちのアイコンが映し出される。
 既読スルーにしよう。
 何か言葉にして断るのも面倒だし、この人のペースに付き合わされる義務は私にはない。
 きっと察してくれるだろう。そう願って、何も入れないでいると――。
『契約のこと、考えておいて』
 この人には、何かしらの義務があるのだろうか。
 見ず知らずの私に声をかけて寿命を吸い取るとか言っているけれど、頭がおかしいのかもしれない。
 でも、なんで傷のことを知っているのだろう?
 どこかで盗撮したとか? 一気に恐怖に襲われる。
 たしか、楽しいと思った時に奪うっていうけれど、そんなことできるはずがない。
 きっと詐欺師なのだろう。

 翌朝、登校途中になぜかいつも利用している駅前にメイキが立っている。
 私を待っていたのだろうか。
 もしかしたら、私のことを好きだとか、ストーカーの類なのかもしれない。
 一瞬にして、かっこいい外見が怖くも見える。
「おはよう。昨日は体に傷をつけないで、なんとか耐えられたみたいだね」
「なんでわかるの? もしかして盗聴とか盗撮してるの?」
 その可能性も捨てきれない。
「まさかぁ。キュウメイキは痛みが直に伝わるんだよ。君は昨日は身体的な痛みを感じていないみたいだったから。やっぱり、俺からのメールが気になったっていうのもあるでしょ? そのせいで傷をつける方に意識がいかなかったんだとおもうよ。今日の放課後は空けといてよ。傷のこと、誰にも知られたくないよね?」
 脅して来た? もしかしたら、言いふらそうとしているのかもしれない。
「わかったけど、何かするの?」
「この駅から近くにある公園に行ってみない?」
 やっぱり、この人デート目的なんだ。
「言っておくけれど、君に特別関心があるわけじゃないよ。恋愛感情もない。ただ、俺は契約主を探しているんだ」
「とか何とか言って、ストーカーみたいなことしてるんじゃないの? 今も待ち伏せしてたし」
「なんで、君みたいな元スポーツ系偽元気女子を好きになる必要があるの? どうせならばもっとかわいい素直な人を選ぶよ。この高校で君の痛みが一番強いから、助けてあげようと思っただけなのに」
「あなたの発言、すごく失礼よね」
 本気で怒りをぶちまける。
 放課後、やっぱりメイキはやってきた。にこやかに手を振る。
 傷のことを知られているから、ばらされたくないという気持ちが一番だった。
「どこの公園に行くの?」
「柏木公園だよ」
 彼のバッグの中に懐かしいバスケットボールが入っている。
 柏木公園はこの辺りでは比較的広い公園でバスケットゴールがある。
 この町にバスケットコートがある公園がたくさんあるわけではないので、よく姉と休日は遊びながら練習した記憶がある。
「もう、ケガは治ってるんだろ」
「なんで知ってるの?」
「キュウメイキだから」
 お決まりの返事だ。つまり、何でもありなんだろう。
「たしか、楽しいと感じるとあなたは私の寿命を吸ってくれるって話よね」
「そうだよ」
「じゃあ、契約しちゃおうかな」
 今朝も母親に無視された。父親は帰ってこなかった。家族はバラバラだ。
 そして、私がいたら親も迷惑だろう。私がいるせいで自由になれないのかもしれない。
 親という存在から解放してあげたい気持ちもあった。
「じゃあ、契約の印に指切りげんまん」
 にこやかに小指を差し出す。
 すると――不思議なことに指先が光る。わずかな光だけれど、指の先が光り、熱くなった。
「何?」
 驚いて、指切りげんまんの指を放す。
「契約の証は光で結ばれるんだ」
「やっぱり摩訶不思議なことは世の中にはあるのかもしれない」
「俺といると、きっと幸せになれるよ」
 甘い笑顔を振りまく。
 何よ、顔がいい人の反則の笑顔だ。
 今までバスケばかりで女子としか接してこなかったからだろうか。
 指切りげんまんすらも新鮮な行為だった。
 気づくと胸が高鳴っている。気づかれないように平静を装う。
「じゃあ、ワンオンワンやろうか」
 制服のブレザーを脱ぐと、慣れた手つきでボールをドリブルする。
 色々な技を巧みに入れている。
「あなた、経験者?」
「少しやったことがある程度だよ」
 そう言うと、高速ドリブルをしながら、一気にシュートを決めた。
 足も速いらしい。
「男子バスケ部員?」
「違うよ」
「もったいないよ。バスケ部に入りなって」
「バスケの経験は、今思えば、こうやって君と一緒にプレーするために獲得したのかもしれないな」
「なによそれ」
 なんだか嬉しいような恥ずかしい気持ちになる。
 ボールをパスされる。
 反射的に受け取る姿勢はずっとやっていた故の経験から、バスケの姿勢となる。
 まずはお互いにパスをしあう。
 ドリブルで私の横を抜けようとするけれど、それを何とか止めようと必死でデフェンスをする。
 でも、あっけなく、彼の神技的なフェイクにひっかかってしまう。
 結構上級者だと思っていたけれど、部活もしていない目の前の男子に負けてしまうなんて悔しい。
 動きはリズミカルで軽快なステップを踏みながら、そう、まるでダンスをしているかのような楽しそうな動き。
 でも、シュートコースを確実に読みながら前に進むテクニック。
 なんだか動きが全てかっこいい。
「やりぃ」
 にこっと笑う。心がくすぐられる。
「じゃあ、次は私がオフェンスね」
 次は私が攻める番だ。
 いつのまにか息が上がる。肩で息をしていた。
 制服のブレザーは脱いだものの、ブラウスは自然と汗ばんでいた。
 一瞬の隙を突こうと攻めあぐねる。
 しかし、なかなか攻めきれない。
 何度も私はボールを奪われた。
 一瞬の隙をついてゴールを一点だけ決めることができた。
 でも、今までの彼の動きを見ている限り、私に一点譲ったのかもしれない。
 結果的には、総合点数として負けている。
 疲れたから休むきっかけが私の得点によって自然と生まれた。
 メイキが意図的にその流れを作ったのかもしれない。
「やるじゃないか。体動かしてると、無我夢中で頭の中が空っぽになるだろ」
「たしかにね」
 汗をハンカチで拭きながら、木陰に座る。
 今日は晴天で、木漏れ日が心地いい。
「手を出して」
「え?」
 突如手を握られる。もちろん、私は戸惑うが、その瞬間手が光る。
「これで、寿命を吸い取ったよ。今、楽しいって思っていただろ。エネルギーが見えたから」
 さわやかに寿命を吸い取ったなんて言う男子はこの人くらいだろう。
 普通吸い取れるはずもないけれど、この人にならば寿命をあげてもいいかもしれない。
 なんだか、最初こそ苦手だと思っていたけれど、一緒に大好きなバスケをすると元気になれた。
「毎日、こうやって一緒に過ごしてよ」
「まぁ、いいけどね」
 いつのまにか心の扉を開かれた感じだ。
 ペットボトルに入ったミネラルウォーターを飲む姿を見ると、汗にまみれた横顔も水を飲む姿も美しいことに気づく。
 同時に、優し気な木漏れ日が似合う人だということにも気づく。
「君の心は傷だらけかもしれない。でも、キュウメイキである俺が楽にしてあげるから」
「あなたの行いは、安楽死とかそういうのに近いのかもね」
「そう言われるとそうかもしれないな。安楽死って言うのは、簡単にしてはいけないことだけどね。しかしながら、俺にかかれば楽しく違う世界に行けるというわけだ」
「メイキ君は捕まらないの?」
「捕まらないよ。だって、どうやってこの能力を立証するの? 現代の法律じゃ無理だよ。警察だって逮捕はできない」
 それはそうだ。このような能力を世間ではありえない事実となっている。
 私自身未だに半信半疑だ。
「昔、バスケをやっていたんでしょ?」
 彼の動きで素人ではないことは明白だった。
「まぁね。割と好きだったけど、事情があって続けることが難しくなったんだ」
 一瞬顔が曇る。何かあったのだろうか?
 バスケに未練があるのかな? 私と同じだ。
「君はバスケ部員なんだから、いつでも戻ることができるだろ」
「メイキ君は何部なの?」
「どこにも所属はしていないんだ」
 どこかさみし気な顔をしている。
「バスケ部以外でも足が速いから陸上部とか、サッカー部とか入らないの? 抜群の運動神経が活かせそうだよね」
「残念ながら、難しいかな」
 にこりとするけれど、心が笑っていないように感じた。
 私は心の中を読み取ることが比較的得意な方だ。
 多分両親の顔色をうかがってきたことが影響しているように思う。
「キュウメイキっていうのは寿命を人からもらう仕事だ。その命は自分の物として補給するんだ。命をエネルギーに変換して補給しないと俺は生きられない」
「どういうこと?」
「キュウメイキとして仕事をしなければ、俺の命が尽きるんだ」
「なにそれ……」
「だから、なるべく不幸そうな人を探していたんだ。あと、俺の体は運動は激しい運動を長時間は出来ないんだ。本格的な運動は禁止されているんだ。情けないし、弱い体だよな」
 この人にどこか暗い影が見えたのはそのせいだったんだ。
 この人は悲しみを背負っているんだ。
「じゃあ、今日の運動はものすごく体に負担がかかったんじゃない? 知ってたらやらなかったのに……」
「いや、この程度ならば大丈夫だよ。もっと激しいのと長時間でなければ大丈夫。それに、君からエネルギーをもらったから補給できたしね」
「でも、バスケをやっていた時期があったんでしょ」
「そのときは健康な体だったんだ。でも、遺伝が発動したらしい。俺の家系は突然運動ができない体になることがあるらしい。全員発症するわけではないし、発症年齢も様々なんだけれどね。俺の場合は中学三年のとき。中学では最後の大会に出た後に発症したから高校では運動部には入っていないんだ。最後までやりつくしたから、中学での部活に悔いはない。この体になって、高校に入ってから、キュウメイキとしての活動を始めざるおえなくなったんだ」
 どこか影のある元スポーツマンという表現がよく似合う。
 筋肉は程よくついているのに、色白だし、室内競技をしていたのかなとは思っていたけれど。
「じゃあ、最初の契約相手が私ってこと?」
「そうなんだ。キュウメイキとしてはまだまだ未熟だけど、力になりたいし、力を分けてほしいという気持ちもある」
 力を分けてほしいというのは、つまり、私の命が欲しいということだよね。
 真剣な顔で言われると少しばかり複雑だ。
「傷を頻繁につけるようになったのは最近だろ。最初はたまに君の体から痛みが伝わってきた。でも、君の体から最近はひどく頻繁に痛みを感じるようになった。だから、声をかけたんだ」
 申し訳なさそうに、気持ちを述べた。
 色々と彼の境遇がわかれば、今までのわけがわからない気持ちから脱することはできる。
 どうして私に声をかけたのかとか、傷のことを知っていたのかとか――彼の素性を知りたくなる。
「人の痛みってどんな感じでわかるの?」
「その人から発している痛みがあるだろ。俺自身も同じ痛みを感じるんだ」
「痛み?」
「ズキンとしたカッターで切った感じの痛みを君の体から感じ取ることができた。これは遺伝的な能力らしい。自分が弱い体になる代わりに、別な誰かからエネルギーをもらうための能力。こんな能力も、弱い体もいらないのに」
 少し間をおいて聞かれる。
「傷をつけるきっかけってあったの?」
「多分、ずっと前からたまっていたものがあったんだと思う。きっかけはケガで部活ができなくなったことと姉が死んだことかな。そこから、家族のヒビが更に深くひどくなっていったの。部活に戻るにも既にグループができていて、実力的にも居場所がなくなってしまったの。そんな時に、最初は何となくだったんだと思う。次第に回数が増えただけ。死ぬつもりもないし、小さな痛みで自分の心の痛みを消したいだけだった」
「君は強豪校の一中でしょ。俺は、二中だったんだ」
「二中って去年男子バスケ部でたしか県で優勝してたよね。強豪校じゃないのに、メイキ君の世代だけ強いっていう漫画みたいな話だなって言われてたよね。もしかして、その時のスタメンだったの?」
「ちなみに俺、部長をしてたんだ。県の最優秀選手にも選ばれたし、県の強化選手にも選ばれたよ」
「だから、あんなに強かったのかぁ」
「いつ遺伝子が発動するか内心びくびくしてたんだ。でも、引退した頃に体力が低下したんだ。ラッキーだったよ」
「私は一応スタメンのベンチメンバーで試合にも出ていたけれど、部長をするほどの器じゃなかったなぁ。姉は何でもできたし、県の最優秀選手で部長もやっていたよ。親も姉のことばかりかわいがっていた。私が死んだ方がよかったのにな」
「親に言われたの?」
「言われてないけど、最近は無視されてる。私のことが嫌いなんだよ」
「それはどうかな? 姉妹は似ているから話すのが辛いだけかもしれない」
「メイキ君は、会えば私のお母さんの心の中が読めたりするの?」
「読めないよ。でも、辛いとか悲しいという気持ちの度合いは誰とも誰とも契約していないときは感じようと思えば、わかるよ。君が辛いと感じている感情と同じだ。痛みとして感じる」
「君はいつも「しなければならない」という感情に覆われているような気がする。少し、考え方を変えてみたら楽になるからさ。義務なんて持つ必要はないよ。明日もどこかに行こうか」