「美来。やっぱり俺達別れよう」
三月下旬。高校の終業式だったこの日、私は学校近くの公園で、恋人の真鍋遼太郎から別れを告げられてしまった。覚悟はしていたけど、その言葉の破壊力は想像を遥かに上回っていた。ベンチで隣り合う遼太郎の顔を直視することが出来ない。別れを切り出す役目を背負ってくれた遼太郎の辛そうな顔を見たら、私はきっと泣いてしまう。
私達は今でもお互いのことを思い合っている。ただ仲が良いだけの甘々な関係じゃない。喧嘩をしたこともあるけど、それをお互いに許し合って成長し合う。そんな尊い関係を築けていたと思う。
「……どうしてもお別れしないと駄目?」
辛い役目を背負ってくれた遼太郎のことを思ってもなお、私はそれを受け入れることが出来なかった。何度も話し合ってきたけど、私はまだ答えを出せずにいる。
遼太郎はお父さんの仕事の都合で転校が決まっていて、新年度にはもう学校に遼太郎の姿はない。遼太郎のお父さんは海上自衛官で、現在所属している京都の基地から、青森にある基地への転勤が決まっていた。父親の異動に合わせて、家族である遼太郎も新天地へと引っ越さなければいけない。海上自衛隊の基地のある町において、自衛官とその家族が別の基地のある町に転居することは決して珍しくはない。これまでにも、何人もの同級生とのお別れを私も経験している。
遼太郎にも当然その可能性はあったけど、そんな不安を感じさせる余地がないほどに、遼太郎と付き合ってからのこの一年間は充実していて、あっという間だった。この時間がこれからもずっと続くと疑っていなかった。こんなにお互いを思いあっている私達に別れの運命が来るはずがないと、そう自分に都合よく考えていた。
「……高校生にとって、京都と青森は遠すぎるよ」
俯く遼太郎の発した言葉に、私は何も言い返すことが出来なかった。
私達を隔てる距離はあまりにも遠い。高校生の懐事情では、今後は一緒に過ごす時間を望むことは難しいだろう。もちろん、電話やメッセージアプリでいつでもやり取りは出来るし、お互いにパソコンを持っているから、リモートで顔を合わせることも出来る。だけどまだ高校生の私達は、それだけで本当にこれまでのような関係を保つことが出来るのか、不安を感じずにはいられなかった。
「自然消滅するぐらいなら、お互いに納得したうえで別れた方が」
「そんな言葉聞きたくないよ!」
「待って、美来」
私は感情的にベンチから立ち上がり、呼び止める遼太郎の声を振り切ってその場から逃げ出した。こんなことをしても何の解決にもならない。それでも、遼太郎とお別れしないといけない現実なんて受け入れたくない。
「私の馬鹿……」
自然消滅なんてしないよ。遠距離恋愛を続けよう。どうしてその一言が言えなかったのだろう。結局は私も自信がないんだ。逃げ出すことしか出来ない弱気な自分が嫌になる。
「砌神社まで来ちゃった」
歩き続けて辿り着いた先は、町はずれにポツンと存在する砌神社の前だった。無人の小さな神社だけど、地域の人が定期的に清掃を行ってくれていて、古いながらも綺麗に維持管理されている。
砌神社には不思議な言い伝えがあって、悩み事を抱えた人間が訪れると、それを解決するための助言が得られるとかなんとか。私も学校で噂を聞いただけだから詳細は知らない。意識したつもりはなかったけど、自然と砌神社に行き着いてしまったのは、不安の裏返しなのかもしれない。悩みに助言を与えてくれる場所なんて、まさしく今の私が求めているものだもの。
鳥居を潜った瞬間、何だか空気が変わったような気がした。気が引き締まると同時に、森林浴をしているかのような居心地の良さを感じる。
「これでいいのかな?」
お社の前で目を伏せて両手を合わせた。このまま悩み事を言葉にすればいいのだろうか? 言い伝えを本気で信じているわけではないし、これが正しい作法なのかも分からないけど、砌神社までやって来たからには試してみたい。私は覚悟を決めて悩み事を相談した。
「恋人との今後について悩んでいます。私はどうすればいいのでしょうか?」
「恋仲の女性との今後について悩んでおります。小生はどうしたらよいのでしょうか?」
私が言葉を発するとほぼ同時に、隣から若い男性らしき声が発せられた。直前まで人の気配なんてなかったはずなのに。
隣にいるのは一体何者なのだろう? お互いの言葉の内容がリンクしていることもあり、好奇心から私は右隣を見た。考えることは同じだったのだろう。同じくこちら側へ顔を向けた男性と視線が交わる。
隣に立つ長身の男性は黒い詰襟の制服とマントを着用し、頭には学生帽を被っていた。一言で形容するなら古風な男子学生といった感じだ。詰襟の制服だけならまだしも、学生帽とマントとの組み合わせは現代では見かけない。困惑しているのか目が点になっているけど、掘りの深い整った顔立ちと太い眉毛が印象的で、イケメンというよりはハンサムという表現の方が似合っている気がする。
「いつの間に私の隣に?」
「それはこちらの台詞です。直前まで、小生一人だと思っていましたが」
学生さんは困惑気味に首を傾げている。どうやらお互いにお互いが突然隣に現れたという認識のようだ。不思議な言い伝えがある砌神社という場所。突然現れた古風な姿をした学生さん。ひょっとしてこれは。
「もしかしてあなたが助言をくれる人?」
「もしや貴女こそが、助言を与えてくれるという神の遣いか?」
同時に言い終えた後、気まずい沈黙が流れた。私達はお互いに相手を、砌神社の言い伝えにある助言を与えてくれる存在だと思ったようだが、同じ考えに至った時点でその可能性は低そうだ。少なくとも私は誰かに助言をするどころか、助言を求めてやってきた平凡な女子高生ですよ。
「何が起きているのか皆目見当もつかぬが、とりあえず名でも名乗っておきましょう。小生は加古田清之進。書生として日々勉学に励んでおります」
書生さんと聞いたことで、古風な出で立ちや口調が自然と受け入られるようになった気がした。書生さんというと明治、大正時代のイメージだけど、ひょっとしたら清之進さんもそういった時代の人なのだろうか?
「雪平美来。私も学生だよ」
「女学生とは珍しい。美来さんのご家庭は先進的なのですな」
「い、いえ。そ、それ程でも」
「服装もハイカラだし、モダンガールでもあるようだ」
「お、お褒めに預かり光栄です」
今の私は制服のブレザーにフード付きのコートを羽織った至ってシンプルな服装だ。女学生が珍しいことといい、ハイカラやモダンガールという言い回しといい、やはり清之進さんは過去の時代を生きている人らしい。清之進さんが未来にやってきたのか。それとも私が過去にやってきたのか。あるいはこの砌神社の境内だけ時空が歪んでいるのか。いずれにせよ、常識では説明のつかない現象が起きているようだ。
現代人である私が清之進さんを過去の人間だと理解することは出来ても、その逆は難しいと思う。下手に説明すると余計に話がややこしくなりそうなので、私はこれ以上素性については語らず、清之進さんに話を合わせておくことにした。
「踏み込んだことを聞いてしまいますが、未来さんも恋路にお悩みですか?」
「そういう清之進さんも、同じ悩みを持っているみたいだね」
自己紹介をしたことで、少しだけ距離感が縮まったような気がする。お互いに相手の悩みごとに興味が向くのは自然な流れだった。
「ここで会ったのも何かの縁。差し支えなければ、お互いに胸の内を明かしてみませんか?」
「そうだね。清之進さんにだったら話してもいいかも」
普段なら初対面の相手に悩みを打ち明けることなんてしないけど、異なる時代を生きる清之進さんが相手ならそれも悪くないと思えた。ちょっと違うかもしれないけど、旅の恥はかき捨て、みたいな感覚に近いかもしれない。
「遼太郎という恋人がいるんだけど、家の都合でこの春には遠くの町に引っ越してしまうの。お互いを思う気持ちは揺るがないけど、学生のうちは会うのも一苦労だし、関係を続けていけるかお互いに不安で。ついさっき、遼太郎から別れようと言われちゃった……受け入れられなくて、ここまで逃げてきちゃったけど」
「心が通じ合っているのに、離れ離れにならなければいけないというのは辛いですな。手紙でやり取りが出来るとはいえ、隣には想い人の姿はないのですから。相手を思えばこそお別れを告げた遼太郎殿のお気持ちも、恋を諦めたくない美来さんのお気持ちも、どちらの感情も理解出来ます」
清之進さんの言葉は安易な同調ではなく、憂いを帯びたその表情には、確かな実感がこもっているように感じられた。やはり私達は恋に悩む同士なのだ。
「清之進さんのお話も聞いてもいい?」
「もちろんです。相手が近くにいる分、小生のほうが恵まれているのかもしれませぬが」
近くにいる、恵まれているという前置きしながらも、清之進さんの瞳はずっと遠くを見ているような気がした。その距離はもしかしたら私と遼太郎を阻む、京都、青森間よりもずっと果てしないのではないだろうか。
「小生にもお付き合いしている女性がおりましてな。名を静江さんと言います。気立てが良くていつも笑顔で、小生には勿体ないぐらい素敵なお方です。将来を約束した仲でしたが、小生の家族には猛反対されてしまいましてな」
「どうしてですか?」
「自分の決めた相手と結婚するようにと、父が小生に縁談を強制してきたのです。小生には静江さんがおりますので、断固として拒否し続けておりますが、父の意志もまた固く、子が親に逆らうなと、ついには取っ組み合いの喧嘩にまで発展してしまいました」
「恋愛は自由じゃないですか。いくら親だからって、そんなの酷いと思います」
「……やはり、美来さんのご家庭は先進的なのですな。少し羨ましいです」
それが私の率直な感想だったし、清之進さんも同じ思いだと疑っていなかったけど、予想に反して清之進さんの表情は複雑そうだった。私の意見に必ずしも同意というわけではないのだろうか?
「確かに恋愛は自由ですし、恋愛結婚をする者も増えてきている。ですが現実はまだまだ、許嫁とやお見合いでの結婚が一般的です。お家のさらなる発展のため。子供の将来のため。父が一人息子である小生の縁談に熱心になる気持ちも分からないではないのです。だからこそ、恋人である静江さんを思う気持ちと、家族を裏切れない気持ちの間で小生は揺れ動いている。そんな私の感情を慮ったのでしょうか。つい先程、静江さんからお別れを告げられてしまいました……美来さんと同じですな」
「清之進さん……」
同じなんかじゃないよ。清之進さんの方がよっぽど辛い思いをしているじゃない。
勝手に同士なんて盛り上がっていたけど、異なる時代を生きる私達が置かれている状況は似ても似つかない。誰かを愛する気持ちの尊さはいつの時代も変わらないけど、背負っている物は清之進さんのほうが遥かに大きい。
私と遼太郎の間にあるのは物理的な距離だけだ。手紙しかなかった昔とは違い、いくらでも連絡を取る手段はあるし、頻繁には無理だとしても、公共交通機関が充実した現代ならば、頑張れば直接会って過ごすことだって出来る。それを阻む存在がいるわけでも、複雑な時代背景が存在するわけでもない。全ては私達の気持ち一つ。清之進さんとのやり取りで、今の私と遼太郎が置かれた環境は、充分に恵まれているのだと気づかされた。
「清之進さん。私やっぱり恋を諦めたくないよ。もう一度遼太郎と向き合ってみる」
「美来さん……」
無性に遼太郎に会いたくなってきた。会って、遠距離恋愛なんて大した問題じゃない。それぐらいで私達の絆は壊れないって、大声でそう言い切りたい。
「生きてきた時代も、背負っている物の大きさも全然違う。こんな私なんかが言えた義理じゃないけど、清之進さんにも自分の恋心を諦めないでほしい。静江さんとこのままお別れしちゃったら、きっと後悔するよ」
自分でも偉そうに何を言っているんだと思う。だけど考えるよりも先に感情が言葉を紡いでいく。潔く恋を諦められるなら、私達はこの砌神社を訪れてなどいない。私達は最初から運命を受け入れてなんていなかった。
「何の根拠もないし、無責任なのは百も承知だけど、きっとどうにかなるって! 全力で足搔いてそれでも駄目ならその時はその時だよ。どうせ後悔するなら全力で足搔いてから後悔しよう。私はこれからそうするって決めた。悩みを共有しておいて私だけってのは不公平だから、清之進さんも付き合ってよ」
全力で捲し立てていたら、いつの間にか息が上がっていた。これまで誰かに対してここまで熱弁を振るったことがあっただろうか? 冷静になると一気に恥ずかしくなって頬が紅潮していく。それに比例するように、ずっと真顔で私を見据えていた清之進さんの表情が一気に雪解けし、微笑みを浮かべた。
「わ、笑わないでよ」
「申し訳ない。笑ったのではなく、嬉しかったのです。確かに何の根拠もないあまりに無責任な意見でしたが、美来さんのお言葉には大変勇気づけられました。家族からの反対で諦められる程、小生の静江さんに対する思いは軽くはありません。美来さんのおかげでそのことを再確認出来ました。何をどうすべきかはこれから考えますが、美来さんの仰るように、全力で足搔いてみることにします」
「勇気を貰えたのは私も一緒だよ。お互いに恋に全力で取り組もう!」
「はい。我らは恋の同盟ですな!」
固い握手を交わした瞬間には、お互いに砌神社に到着した時のような憂いは表情から消えていた。お互いの恋路にはこれからもきっと困難がつき纏う。挫けそうになる出来事が何度も起きるかもしれないけど、それはまだ起きていない未来のことだ。未来のことはそれが起きた時に考えればいい。大切なことは、今この瞬間をお互いの想い人としっかり向き合うことだ。
「そうと決まれば、一刻も早く大切な人の元へと向かわなければなりませんな」
「うん。私も早く遼太郎に会いたくてそわそわしてる」
「小生も、静江さんの元へ駆け出したく存じます」
肩を並べて砌神社の境内を後にする。言い伝えにあるような助言とは少し違ったけど、恋人との今後に悩む清之進さんとのやり取りで、私は一つの答えを得ることが出来た。それは神様からの助言以上に価値があったかもしれない。
「お互いに頑張ろうね。清之進さん」
「はい! 小生も美来さんの恋を応」
不自然に、清之進さんの言葉と気配が途絶える。右隣を見ると、いつの間にか清之進さんの姿は跡形もなく消えていた。頭上を見上げると、神社の鳥居を通過したところだった。
「お別れぐらい言いたかったな」
清之進さんはやはり、異なる時代を生きる存在だったのだろう。鳥居をくぐると同時にこの不思議な現象も終わってしまったようだ。清之進さんのほうでも、肩を並べていたはずの私が突然、姿を消したりしているのだろうか。あまりにも呆気ないお別れ。タイミングが分かっていれば、せめてお別れの挨拶ぐらいは出来たのに。予期せぬ出会いだったからこそ、終わりもまた唐突なのかもしれない。
「清之進さん。ありがとう」
ほんの一時、恋の悩みを打ち明けただけの仲だけど、清之進さんとの間には確かな絆を感じている。あなたの生きる時代でどうか、幸せになってくれることを願っています。
砌神社の言い伝えは悩みに対して助言を得られるというものだけど、正しくは似たような悩みを持つ者同士が時代を問わずに集い、お互いに助言をし合う場ということだったんじゃないかな。全ては偶然なのかもしれないけど、私はこの出会いに感謝している。加古田清之進さんとの出会いを、私は生涯忘れることはないだろう。
九年後。新年度を迎えた四月上旬。
私はこの夏に予定している結婚披露宴に先駆けて、夫を紹介するために京都にある祖父母の家を訪れていた。
夫の名前は真鍋遼太郎。出会いは高校生の頃だから、付き合ってもう十年になる。一度は海上自衛官の遼太郎のお父さんの転勤で離れ離れになってしまったけど、遼太郎が引っ越す前に二人でしっかり話し合って、私達はお別れはせずに交際を続けることを選択した。マメに連絡を取り合って高校時代の二年間の遠距離恋愛を乗り切り、お互いに東京の大学に進学したことで私達は再会を果たした。東京への進学は決して申し合わせていたわけではなく、お互いに自分の夢を追いかける過程での選択だった。そうして私達は順調に愛を育み、大学卒業後はお互いに無事に就職し、ようやく様々なことが落ちついてきたので今年、入籍を決意するに至った。
遼太郎と離れ離れになることが決まった高校生の頃に、遼太郎との恋を諦めていたなら、遼太郎と夫婦になる未来は訪れなかったかもしれない。あの時、お互いに悩み打ち明けた、不思議な書生さんのことは今でも忘れられない。彼との出会いがなければ私はこうして、おばあちゃんに笑顔で結婚の報告を出来ていなかっただろう。
「遼太郎さん、素敵な方ね」
「うん。自慢の旦那さん。遠距離恋愛をした時期もあったけど、あの頃があったからこそ、強い絆で結ばれているような気がするよ」
ご先祖様にも報告をしようと仏壇に手を合わせた後、私はそのまま仏間でおばあちゃんと話し込んでいた。居間では意気投合した遼太郎とおじいちゃんの笑い声が聞こえている。
「大恋愛だったのね。ひいおじいちゃんみたい」
「ひいおじいちゃんってことは、おばあちゃんのお父さんか」
「そうよ。ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんも大恋愛でね。父親からは交際を認めてもらえず、別の女性との縁談を迫られていたそうよ。一度は挫けかけたけど、覚悟を決めて時間をかけて粘り強く父親を説得し、ひいおばちゃんとの結婚を認めてもらったの。もしもひいおじいちゃんが恋を諦めていたら、私や美来は生まれていなかったかもしれないわね」
「そんなことがあったんだ。そういえば、ひいおじいちゃんとおばあちゃんのことってあまり知らなかったな」
「話す機会もなかったものね。そういえば去年、ひいおじいちゃんの若い頃の写真が見つかったのよ。これまでは晩年の写真しか残っていなかったんだけど、最近になって当時通っていた学校の記録写真に写っていることが分かってね。せっかくならご家族にもって、写真のコピーを頂いたのよ。見てみる?」
「見たい見たい」
おばあちゃんは直ぐに引き出しのアルバムから、ひいおじいちゃんが写った写真のコピーを持ってきてくれた。
「この人がひいおじいちゃんよ」
詰襟の制服をきた七人の学生が写った写真。おばあちゃんが指差した左端の男性を見て、私は言葉を失った。存在感を放っている長身の男性は端正な顔立ちと意志の強そうな太い眉毛が印象的だった。古い写真だけど見間違えるはずがない。この男性は高校時代に砌神社で出会った不思議な書生さん。加古田清之進さんだ。
あの出会いがなければ、私は遼太郎との恋を諦めていたかもしれないし、清之進さんが恋を諦めていたら、おばあちゃんが言ったみたいに、子孫である私達は生まれていなかったかもしれない。あの日、砌神社で私と清之進さんが出会うことは運命だったに違いない。今になって思えば、初対面の相手にあそこまで内面を曝け出せたのも、血縁関係にあることをお互いに心の奥底で感じ取っていたからなのかもしれない。ひいおじいちゃんと時を越えて恋の悩みを語り合う。何とも不思議な体験をしたのだなと今になって思う。
「あの時はありがとう。清之進おじいちゃん」
写真の中の清之進さんに、私は笑顔で感謝を告げた。
砌神社で出会った不思議な書生さんは、私のひいおじいさんでした。
三月下旬。高校の終業式だったこの日、私は学校近くの公園で、恋人の真鍋遼太郎から別れを告げられてしまった。覚悟はしていたけど、その言葉の破壊力は想像を遥かに上回っていた。ベンチで隣り合う遼太郎の顔を直視することが出来ない。別れを切り出す役目を背負ってくれた遼太郎の辛そうな顔を見たら、私はきっと泣いてしまう。
私達は今でもお互いのことを思い合っている。ただ仲が良いだけの甘々な関係じゃない。喧嘩をしたこともあるけど、それをお互いに許し合って成長し合う。そんな尊い関係を築けていたと思う。
「……どうしてもお別れしないと駄目?」
辛い役目を背負ってくれた遼太郎のことを思ってもなお、私はそれを受け入れることが出来なかった。何度も話し合ってきたけど、私はまだ答えを出せずにいる。
遼太郎はお父さんの仕事の都合で転校が決まっていて、新年度にはもう学校に遼太郎の姿はない。遼太郎のお父さんは海上自衛官で、現在所属している京都の基地から、青森にある基地への転勤が決まっていた。父親の異動に合わせて、家族である遼太郎も新天地へと引っ越さなければいけない。海上自衛隊の基地のある町において、自衛官とその家族が別の基地のある町に転居することは決して珍しくはない。これまでにも、何人もの同級生とのお別れを私も経験している。
遼太郎にも当然その可能性はあったけど、そんな不安を感じさせる余地がないほどに、遼太郎と付き合ってからのこの一年間は充実していて、あっという間だった。この時間がこれからもずっと続くと疑っていなかった。こんなにお互いを思いあっている私達に別れの運命が来るはずがないと、そう自分に都合よく考えていた。
「……高校生にとって、京都と青森は遠すぎるよ」
俯く遼太郎の発した言葉に、私は何も言い返すことが出来なかった。
私達を隔てる距離はあまりにも遠い。高校生の懐事情では、今後は一緒に過ごす時間を望むことは難しいだろう。もちろん、電話やメッセージアプリでいつでもやり取りは出来るし、お互いにパソコンを持っているから、リモートで顔を合わせることも出来る。だけどまだ高校生の私達は、それだけで本当にこれまでのような関係を保つことが出来るのか、不安を感じずにはいられなかった。
「自然消滅するぐらいなら、お互いに納得したうえで別れた方が」
「そんな言葉聞きたくないよ!」
「待って、美来」
私は感情的にベンチから立ち上がり、呼び止める遼太郎の声を振り切ってその場から逃げ出した。こんなことをしても何の解決にもならない。それでも、遼太郎とお別れしないといけない現実なんて受け入れたくない。
「私の馬鹿……」
自然消滅なんてしないよ。遠距離恋愛を続けよう。どうしてその一言が言えなかったのだろう。結局は私も自信がないんだ。逃げ出すことしか出来ない弱気な自分が嫌になる。
「砌神社まで来ちゃった」
歩き続けて辿り着いた先は、町はずれにポツンと存在する砌神社の前だった。無人の小さな神社だけど、地域の人が定期的に清掃を行ってくれていて、古いながらも綺麗に維持管理されている。
砌神社には不思議な言い伝えがあって、悩み事を抱えた人間が訪れると、それを解決するための助言が得られるとかなんとか。私も学校で噂を聞いただけだから詳細は知らない。意識したつもりはなかったけど、自然と砌神社に行き着いてしまったのは、不安の裏返しなのかもしれない。悩みに助言を与えてくれる場所なんて、まさしく今の私が求めているものだもの。
鳥居を潜った瞬間、何だか空気が変わったような気がした。気が引き締まると同時に、森林浴をしているかのような居心地の良さを感じる。
「これでいいのかな?」
お社の前で目を伏せて両手を合わせた。このまま悩み事を言葉にすればいいのだろうか? 言い伝えを本気で信じているわけではないし、これが正しい作法なのかも分からないけど、砌神社までやって来たからには試してみたい。私は覚悟を決めて悩み事を相談した。
「恋人との今後について悩んでいます。私はどうすればいいのでしょうか?」
「恋仲の女性との今後について悩んでおります。小生はどうしたらよいのでしょうか?」
私が言葉を発するとほぼ同時に、隣から若い男性らしき声が発せられた。直前まで人の気配なんてなかったはずなのに。
隣にいるのは一体何者なのだろう? お互いの言葉の内容がリンクしていることもあり、好奇心から私は右隣を見た。考えることは同じだったのだろう。同じくこちら側へ顔を向けた男性と視線が交わる。
隣に立つ長身の男性は黒い詰襟の制服とマントを着用し、頭には学生帽を被っていた。一言で形容するなら古風な男子学生といった感じだ。詰襟の制服だけならまだしも、学生帽とマントとの組み合わせは現代では見かけない。困惑しているのか目が点になっているけど、掘りの深い整った顔立ちと太い眉毛が印象的で、イケメンというよりはハンサムという表現の方が似合っている気がする。
「いつの間に私の隣に?」
「それはこちらの台詞です。直前まで、小生一人だと思っていましたが」
学生さんは困惑気味に首を傾げている。どうやらお互いにお互いが突然隣に現れたという認識のようだ。不思議な言い伝えがある砌神社という場所。突然現れた古風な姿をした学生さん。ひょっとしてこれは。
「もしかしてあなたが助言をくれる人?」
「もしや貴女こそが、助言を与えてくれるという神の遣いか?」
同時に言い終えた後、気まずい沈黙が流れた。私達はお互いに相手を、砌神社の言い伝えにある助言を与えてくれる存在だと思ったようだが、同じ考えに至った時点でその可能性は低そうだ。少なくとも私は誰かに助言をするどころか、助言を求めてやってきた平凡な女子高生ですよ。
「何が起きているのか皆目見当もつかぬが、とりあえず名でも名乗っておきましょう。小生は加古田清之進。書生として日々勉学に励んでおります」
書生さんと聞いたことで、古風な出で立ちや口調が自然と受け入られるようになった気がした。書生さんというと明治、大正時代のイメージだけど、ひょっとしたら清之進さんもそういった時代の人なのだろうか?
「雪平美来。私も学生だよ」
「女学生とは珍しい。美来さんのご家庭は先進的なのですな」
「い、いえ。そ、それ程でも」
「服装もハイカラだし、モダンガールでもあるようだ」
「お、お褒めに預かり光栄です」
今の私は制服のブレザーにフード付きのコートを羽織った至ってシンプルな服装だ。女学生が珍しいことといい、ハイカラやモダンガールという言い回しといい、やはり清之進さんは過去の時代を生きている人らしい。清之進さんが未来にやってきたのか。それとも私が過去にやってきたのか。あるいはこの砌神社の境内だけ時空が歪んでいるのか。いずれにせよ、常識では説明のつかない現象が起きているようだ。
現代人である私が清之進さんを過去の人間だと理解することは出来ても、その逆は難しいと思う。下手に説明すると余計に話がややこしくなりそうなので、私はこれ以上素性については語らず、清之進さんに話を合わせておくことにした。
「踏み込んだことを聞いてしまいますが、未来さんも恋路にお悩みですか?」
「そういう清之進さんも、同じ悩みを持っているみたいだね」
自己紹介をしたことで、少しだけ距離感が縮まったような気がする。お互いに相手の悩みごとに興味が向くのは自然な流れだった。
「ここで会ったのも何かの縁。差し支えなければ、お互いに胸の内を明かしてみませんか?」
「そうだね。清之進さんにだったら話してもいいかも」
普段なら初対面の相手に悩みを打ち明けることなんてしないけど、異なる時代を生きる清之進さんが相手ならそれも悪くないと思えた。ちょっと違うかもしれないけど、旅の恥はかき捨て、みたいな感覚に近いかもしれない。
「遼太郎という恋人がいるんだけど、家の都合でこの春には遠くの町に引っ越してしまうの。お互いを思う気持ちは揺るがないけど、学生のうちは会うのも一苦労だし、関係を続けていけるかお互いに不安で。ついさっき、遼太郎から別れようと言われちゃった……受け入れられなくて、ここまで逃げてきちゃったけど」
「心が通じ合っているのに、離れ離れにならなければいけないというのは辛いですな。手紙でやり取りが出来るとはいえ、隣には想い人の姿はないのですから。相手を思えばこそお別れを告げた遼太郎殿のお気持ちも、恋を諦めたくない美来さんのお気持ちも、どちらの感情も理解出来ます」
清之進さんの言葉は安易な同調ではなく、憂いを帯びたその表情には、確かな実感がこもっているように感じられた。やはり私達は恋に悩む同士なのだ。
「清之進さんのお話も聞いてもいい?」
「もちろんです。相手が近くにいる分、小生のほうが恵まれているのかもしれませぬが」
近くにいる、恵まれているという前置きしながらも、清之進さんの瞳はずっと遠くを見ているような気がした。その距離はもしかしたら私と遼太郎を阻む、京都、青森間よりもずっと果てしないのではないだろうか。
「小生にもお付き合いしている女性がおりましてな。名を静江さんと言います。気立てが良くていつも笑顔で、小生には勿体ないぐらい素敵なお方です。将来を約束した仲でしたが、小生の家族には猛反対されてしまいましてな」
「どうしてですか?」
「自分の決めた相手と結婚するようにと、父が小生に縁談を強制してきたのです。小生には静江さんがおりますので、断固として拒否し続けておりますが、父の意志もまた固く、子が親に逆らうなと、ついには取っ組み合いの喧嘩にまで発展してしまいました」
「恋愛は自由じゃないですか。いくら親だからって、そんなの酷いと思います」
「……やはり、美来さんのご家庭は先進的なのですな。少し羨ましいです」
それが私の率直な感想だったし、清之進さんも同じ思いだと疑っていなかったけど、予想に反して清之進さんの表情は複雑そうだった。私の意見に必ずしも同意というわけではないのだろうか?
「確かに恋愛は自由ですし、恋愛結婚をする者も増えてきている。ですが現実はまだまだ、許嫁とやお見合いでの結婚が一般的です。お家のさらなる発展のため。子供の将来のため。父が一人息子である小生の縁談に熱心になる気持ちも分からないではないのです。だからこそ、恋人である静江さんを思う気持ちと、家族を裏切れない気持ちの間で小生は揺れ動いている。そんな私の感情を慮ったのでしょうか。つい先程、静江さんからお別れを告げられてしまいました……美来さんと同じですな」
「清之進さん……」
同じなんかじゃないよ。清之進さんの方がよっぽど辛い思いをしているじゃない。
勝手に同士なんて盛り上がっていたけど、異なる時代を生きる私達が置かれている状況は似ても似つかない。誰かを愛する気持ちの尊さはいつの時代も変わらないけど、背負っている物は清之進さんのほうが遥かに大きい。
私と遼太郎の間にあるのは物理的な距離だけだ。手紙しかなかった昔とは違い、いくらでも連絡を取る手段はあるし、頻繁には無理だとしても、公共交通機関が充実した現代ならば、頑張れば直接会って過ごすことだって出来る。それを阻む存在がいるわけでも、複雑な時代背景が存在するわけでもない。全ては私達の気持ち一つ。清之進さんとのやり取りで、今の私と遼太郎が置かれた環境は、充分に恵まれているのだと気づかされた。
「清之進さん。私やっぱり恋を諦めたくないよ。もう一度遼太郎と向き合ってみる」
「美来さん……」
無性に遼太郎に会いたくなってきた。会って、遠距離恋愛なんて大した問題じゃない。それぐらいで私達の絆は壊れないって、大声でそう言い切りたい。
「生きてきた時代も、背負っている物の大きさも全然違う。こんな私なんかが言えた義理じゃないけど、清之進さんにも自分の恋心を諦めないでほしい。静江さんとこのままお別れしちゃったら、きっと後悔するよ」
自分でも偉そうに何を言っているんだと思う。だけど考えるよりも先に感情が言葉を紡いでいく。潔く恋を諦められるなら、私達はこの砌神社を訪れてなどいない。私達は最初から運命を受け入れてなんていなかった。
「何の根拠もないし、無責任なのは百も承知だけど、きっとどうにかなるって! 全力で足搔いてそれでも駄目ならその時はその時だよ。どうせ後悔するなら全力で足搔いてから後悔しよう。私はこれからそうするって決めた。悩みを共有しておいて私だけってのは不公平だから、清之進さんも付き合ってよ」
全力で捲し立てていたら、いつの間にか息が上がっていた。これまで誰かに対してここまで熱弁を振るったことがあっただろうか? 冷静になると一気に恥ずかしくなって頬が紅潮していく。それに比例するように、ずっと真顔で私を見据えていた清之進さんの表情が一気に雪解けし、微笑みを浮かべた。
「わ、笑わないでよ」
「申し訳ない。笑ったのではなく、嬉しかったのです。確かに何の根拠もないあまりに無責任な意見でしたが、美来さんのお言葉には大変勇気づけられました。家族からの反対で諦められる程、小生の静江さんに対する思いは軽くはありません。美来さんのおかげでそのことを再確認出来ました。何をどうすべきかはこれから考えますが、美来さんの仰るように、全力で足搔いてみることにします」
「勇気を貰えたのは私も一緒だよ。お互いに恋に全力で取り組もう!」
「はい。我らは恋の同盟ですな!」
固い握手を交わした瞬間には、お互いに砌神社に到着した時のような憂いは表情から消えていた。お互いの恋路にはこれからもきっと困難がつき纏う。挫けそうになる出来事が何度も起きるかもしれないけど、それはまだ起きていない未来のことだ。未来のことはそれが起きた時に考えればいい。大切なことは、今この瞬間をお互いの想い人としっかり向き合うことだ。
「そうと決まれば、一刻も早く大切な人の元へと向かわなければなりませんな」
「うん。私も早く遼太郎に会いたくてそわそわしてる」
「小生も、静江さんの元へ駆け出したく存じます」
肩を並べて砌神社の境内を後にする。言い伝えにあるような助言とは少し違ったけど、恋人との今後に悩む清之進さんとのやり取りで、私は一つの答えを得ることが出来た。それは神様からの助言以上に価値があったかもしれない。
「お互いに頑張ろうね。清之進さん」
「はい! 小生も美来さんの恋を応」
不自然に、清之進さんの言葉と気配が途絶える。右隣を見ると、いつの間にか清之進さんの姿は跡形もなく消えていた。頭上を見上げると、神社の鳥居を通過したところだった。
「お別れぐらい言いたかったな」
清之進さんはやはり、異なる時代を生きる存在だったのだろう。鳥居をくぐると同時にこの不思議な現象も終わってしまったようだ。清之進さんのほうでも、肩を並べていたはずの私が突然、姿を消したりしているのだろうか。あまりにも呆気ないお別れ。タイミングが分かっていれば、せめてお別れの挨拶ぐらいは出来たのに。予期せぬ出会いだったからこそ、終わりもまた唐突なのかもしれない。
「清之進さん。ありがとう」
ほんの一時、恋の悩みを打ち明けただけの仲だけど、清之進さんとの間には確かな絆を感じている。あなたの生きる時代でどうか、幸せになってくれることを願っています。
砌神社の言い伝えは悩みに対して助言を得られるというものだけど、正しくは似たような悩みを持つ者同士が時代を問わずに集い、お互いに助言をし合う場ということだったんじゃないかな。全ては偶然なのかもしれないけど、私はこの出会いに感謝している。加古田清之進さんとの出会いを、私は生涯忘れることはないだろう。
九年後。新年度を迎えた四月上旬。
私はこの夏に予定している結婚披露宴に先駆けて、夫を紹介するために京都にある祖父母の家を訪れていた。
夫の名前は真鍋遼太郎。出会いは高校生の頃だから、付き合ってもう十年になる。一度は海上自衛官の遼太郎のお父さんの転勤で離れ離れになってしまったけど、遼太郎が引っ越す前に二人でしっかり話し合って、私達はお別れはせずに交際を続けることを選択した。マメに連絡を取り合って高校時代の二年間の遠距離恋愛を乗り切り、お互いに東京の大学に進学したことで私達は再会を果たした。東京への進学は決して申し合わせていたわけではなく、お互いに自分の夢を追いかける過程での選択だった。そうして私達は順調に愛を育み、大学卒業後はお互いに無事に就職し、ようやく様々なことが落ちついてきたので今年、入籍を決意するに至った。
遼太郎と離れ離れになることが決まった高校生の頃に、遼太郎との恋を諦めていたなら、遼太郎と夫婦になる未来は訪れなかったかもしれない。あの時、お互いに悩み打ち明けた、不思議な書生さんのことは今でも忘れられない。彼との出会いがなければ私はこうして、おばあちゃんに笑顔で結婚の報告を出来ていなかっただろう。
「遼太郎さん、素敵な方ね」
「うん。自慢の旦那さん。遠距離恋愛をした時期もあったけど、あの頃があったからこそ、強い絆で結ばれているような気がするよ」
ご先祖様にも報告をしようと仏壇に手を合わせた後、私はそのまま仏間でおばあちゃんと話し込んでいた。居間では意気投合した遼太郎とおじいちゃんの笑い声が聞こえている。
「大恋愛だったのね。ひいおじいちゃんみたい」
「ひいおじいちゃんってことは、おばあちゃんのお父さんか」
「そうよ。ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんも大恋愛でね。父親からは交際を認めてもらえず、別の女性との縁談を迫られていたそうよ。一度は挫けかけたけど、覚悟を決めて時間をかけて粘り強く父親を説得し、ひいおばちゃんとの結婚を認めてもらったの。もしもひいおじいちゃんが恋を諦めていたら、私や美来は生まれていなかったかもしれないわね」
「そんなことがあったんだ。そういえば、ひいおじいちゃんとおばあちゃんのことってあまり知らなかったな」
「話す機会もなかったものね。そういえば去年、ひいおじいちゃんの若い頃の写真が見つかったのよ。これまでは晩年の写真しか残っていなかったんだけど、最近になって当時通っていた学校の記録写真に写っていることが分かってね。せっかくならご家族にもって、写真のコピーを頂いたのよ。見てみる?」
「見たい見たい」
おばあちゃんは直ぐに引き出しのアルバムから、ひいおじいちゃんが写った写真のコピーを持ってきてくれた。
「この人がひいおじいちゃんよ」
詰襟の制服をきた七人の学生が写った写真。おばあちゃんが指差した左端の男性を見て、私は言葉を失った。存在感を放っている長身の男性は端正な顔立ちと意志の強そうな太い眉毛が印象的だった。古い写真だけど見間違えるはずがない。この男性は高校時代に砌神社で出会った不思議な書生さん。加古田清之進さんだ。
あの出会いがなければ、私は遼太郎との恋を諦めていたかもしれないし、清之進さんが恋を諦めていたら、おばあちゃんが言ったみたいに、子孫である私達は生まれていなかったかもしれない。あの日、砌神社で私と清之進さんが出会うことは運命だったに違いない。今になって思えば、初対面の相手にあそこまで内面を曝け出せたのも、血縁関係にあることをお互いに心の奥底で感じ取っていたからなのかもしれない。ひいおじいちゃんと時を越えて恋の悩みを語り合う。何とも不思議な体験をしたのだなと今になって思う。
「あの時はありがとう。清之進おじいちゃん」
写真の中の清之進さんに、私は笑顔で感謝を告げた。
砌神社で出会った不思議な書生さんは、私のひいおじいさんでした。