最近の絵美里はインスタに凝っている。石段の麓に清明の井戸と呼ばれ湧き水の井戸があるので、そこで汚れた手を洗ってから、リュックの中からスマホを取り出そうとしたのだが、珠洲は息が止まりそうになった。 

「スマホがない……」

 掃除中にも何回か写真を撮った。いつ、どのタイミングで落としたのか分からない。

 絵美里が心配そうに語りかけてきた。
 
「あたし、珠洲がアウターのポケットに入れているのを見たよ。アウター、途中で縫いで賽銭箱の上にポイッと置いたよね。賽銭箱の中にスルッと落ちたんじゃないの。探しに戻りなよ。まだ、お祭りまで時間あるしさ」

 珠洲は内心ガックリしていた。一緒に戻って探してくれないようだ。

「ごめーん。ママの代わりに弟達の夕飯を作らなくちゃいけないの。珠洲、一人で探せるよね? はい、これ。神社の小屋の南京錠を開く鍵だよ」

 絵美里は自転車に跨って立ち去った。珠洲は、再び階段のてっぺんまで戻ろうとしていたのだがピタッと立ち止まる。スマホを探すなら誰かと一緒の方がいい。父を呼ぶつもりでいた。

 公衆電話はどこだろう。この辺りには、老人ホームや幼稚園や別荘などが建っている。

 山の中腹の坂の途中の幼稚園の前の塀際を自転車で漕いでいくうちに背丈の高い夏草が繁る小道に入った。急に、角から飛び出してきた自転車と交錯しそうになり、それを避けようとして、珠洲は横向きに自転車ごと転んでしまうが、幸い、互いの自転車はぶつかっていない。

「おい、大丈夫か!」

 頭上から聞える声にドキッとして顔を上げると、剣道の試合帰りの拓馬達がいた。彼の後ろに三人の男子の剣道部員が連なっている。拓馬はヨレヨレのジャージ姿だった。そんな所で何をしているのだと尋ねられた珠洲は正直に話した。すると。拓馬が言った。

「すまん。みんな、先に帰っていてくれよ」

 他の二人は立ち去ると、珠洲を気遣うように見下ろした。

「怪我はないか?」

 どことなく遠慮がちに注意深く珠洲との距離を保っている。不用意に珠洲に触ってはいけないと警戒しているようだ。夏の日、珠洲に突き飛ばされた事を向こうは覚えているのだろう。珠洲は改めて謝罪していく。

「あ、前方不注意だったよね。ごめんなさい……。あたし、慌てていたの」

 その理由を話すと拓馬は目を細めった。

「そのスマホ。俺も一緒に探してやるよ。行こうぜ」

 それは、いかにも拓馬らしい凛とした力強い頼もしい言葉が嬉しかった

「うちの親戚、複数の神社の宮司をやってるんだ。お賽銭とかの管理をしているんだ。お賽銭もゼロに近いらしい」

 ごく自然に話をしてくれている。夏の午後。一番、蒸し暑い時刻。八幡さんの階段は果てしなく続くかのように思われた。鍛えている人でも、二百段の道程はかなり厳しいものがある。

「うへー。やっぱり、この石段、きついぜ」

 木々に囲まれた八幡神社の石の鳥居を二人で潜った。拓馬は、二拝二拍手一拝というふうに丁寧にお参りしてからこう告げた。

「よし、スマホを鳴らそうぜ」

 自分の電話番号を伝えると、すぐさま、拓馬は電話をかけたのだ。

「繋がったぞ! えっ、おかしいよな。何も音が鳴らないぞ」

 耳を寄せながら、珠洲はお賽銭箱を覗き込むが、この中に落とした訳ではなさそうだ。

「よし、それじゃ、小屋の中を探そうぜ」

 枝を剪定する際に使う道具や、掃除用具や縄や布地などが置かれているのである。

「剣道部や柔道部部や野球部が足腰の鍛錬の為にここを使うことがあるんだ。ここ、休憩に使わせてもらってる」