あの夏の日、芸能界に憧れていた他の女子が私に耳打ちしたのだ。彼女の目には嫉妬の色が滲んでいた。それなりに可愛いと自負している彼女もスカウトされたかったのだ。

『ねぇ、なんで、珠洲だけスカウトされるのよ。そんなのおかしいよ』

『珠洲が、特別だってことだと思うよ』

 私は、物分りのいいフリをしてそう言ったけれど、胸の奥は澱んでいた。劣等感と諦観が入り混じった状態で帰りの電車に乗ったことを覚えている。みんながいなくなり、電車の中で珠洲と二人だけになった時、こんなことを言ったのだ。

「ねぇ、珠洲もアイドルになりなよ。亡くなったお母さんの意志を継ぎなよ」

 珠洲を拓馬から引き離したかった。アイドルとして都会に引っ越すことを願って勧めていたのである。しかし、あの時も珠洲は苦笑していた。

「全然、興味ないよ。それに、母さんは、窮屈な施設の暮らしが嫌だったから芸能事務所に入ったみたいなんだ」

 あの日の私は、いい人のお面を被ったまま、珠洲の言葉を適当に聞いていたというのに、不思議と内容が頭に残っている。

「父さんは、本気で役者を目指していたの。何を犠牲にしても叶えたいと思って、何度もオーディションを受けても受からなくて、小さな劇団で芝居を続けていたけど、母さんと結婚してからは夢を諦めたんだ。父さんが、昔、演じた舞台の台詞が忘れられないって言ってた。人はどう生きたかが重要ではない。どう生きたかったかが重要なんだって」

「それ、どういう意味?」

「その劇の主人公はサッカー選手になりたくて死ぬほど努力して、やっと夢が叶うと思った矢先に事故に遭ってしまうの。その時、主人公にむけてリハビリの技師さんが、その台詞を言うんだって……。誰だって自分の思い通りに生きられないけど……。心の中で、どう生きようと真摯に葛藤したかって事が大切だという事みたいだよ」

「へーえ。そうなんだ」

 ある意味、珠洲の父は負け犬なのだ。惨めだったに違いない。だから、自分を慰める為の言葉を必要としていたに違いない。

 あの時、私はそんなふうに思って鼻先で笑っていた。でも、今、振り返ると私は高慢で幼かった。今の私にとっては、あの言葉の持つ意味が違っている。

 哀しいけれど、どんなに頑張っても無理なことがある。誰もが願いを叶えられる訳じゃない。

 どう頑張っても無理だと悟った時、他の人はどんなふうにして自分の心と折り合いをつけてきたのか。

 夢を諦めた瞬間の珠洲の父親の哀しみや、母を失った珠洲の気持ちを想像すると切なくなる。

 久しぶりにみんなと会いたい。今を楽しみたい。そうしないと、私の心はバラバラになって崩れてしまいそうになる。私は弱い。ちっぽけだ。今も苦しい。どこが遠いところで自分が泣いているような気がする。とにかく、前に進むしかない。

 私という人間を薙ぎ倒しそうな強い日差しがどこまでも広がっている。ジリジリとした夏の坂道を進みながら自分に問いかけていく。
 
 私は、本当はどう生きたかったの? そんなの、今も分からない。

 執着の向こう側へと勇気を持って踏み出したら、どんな景色が待っているのだろう。多分、失恋の痛みは残り続ける。それでも、珠洲と拓馬と共に同じ夜空を見上げてみたい。

 きっと、今年の花火は、かげがえのないものになるだろう。
 

 





             おわり