一瞬、深海から急浮上したかのようだった。何だろう。この臭い。多分、それは、花の匂いだ。私は、ザーッと砂嵐のように歪な世界にいる。身体が自由に動かせない。降り積もる砂に埋もれているかのようで息苦しい。

『絵美里、起きて……』

 母さんの声が聞こえてきた。早く目覚めたいたい。今度こそ言ってやりたい。

 父さんなんかと別れちゃいなよ。振り向いてもらえるのを待つなんて虚しいだけだよ。

 拓馬に想いを寄せている私が言うのも変だけど、いい加減、どこかで区切りをつけなきゃ駄目なんだよ。母さんは、父さんを愛していると思っているようだけど本当は違う。負けるのが嫌なだけなんだ。努力は報われるなんて、自分に呪いをかけるところが、私と母さんは同じ。

 馬鹿みたい! もう嫌だ。だから、固い殻を打ち破るようにして自分の瞼をこじあけようと踏ん張っていく。私は自分に対して怒鳴りたい。

 ああ、もう、こんなの耐えられない。早く目覚めなくちゃいけないんだよ。でも、強固な呪いの中にいるみたいだ。身体が錆び付いてどうにもならない。

 さぁ、起きるのよ。しぶとい老木の根っこがコンクリートを剥がすかのように突破してやる。力が内側から突き出してきた。負けるもんか。この恋を諦めたくない。

 身体を震わせるような力が漲り、スーッと導かれるようにして瞼を開くと刺すような勢いで真っ白に輝く背中に面食らってしまって、最初は何も見えなかった。

 眩しい太陽の光の欠片を感じた。少しずつ、色のようなものが見えてきた。

 目の前に私の身体をタオルで拭いている人がいる。私の異変に気付いた看護師が奇跡に遭遇したかのように叫んだのだ。

「あなた、やっと目を覚ましたのね……」

 これも、夢? いや、今度こそ現実のようだ。

 年配の看護師さんが感極まったように、こちらを見つめている。ここは病院なのだということは分かるのだが、詳しい状況を知りたかった。

「あの、どうなっているのですか?」

「あなた、白いバンに轢かれて頭を強く打って運ばれてきたから緊急手術をしたのよ。頭蓋骨を開いたのよ。手術は成功したわ。でも、自発的に呼吸は出来るのに、あなた、ずっと目を覚まさなかったの。なんと、七ヶ月も眠り付けていたのよ。お母様も心配していらしたわよ」

「もしかして、事故は夏祭りの夜に起きたのですか……」

「そうよ。あなたの事故を知ったお友達が見舞いに来て色々と呼びかけたのよ。あなたが目覚めるのを泣きながら祈っていた人もいたのよ」

 先刻、七ヶ月と言っていたけれど、まさか、そんなに長い時間、眠っていたなんて……。

「すみません。今、何日ですか?」

「三月二十日よ」

 動揺して起き上がろうとしたけれども、身体は枯れた枝ように硬く強張っていて思うようには動かない。事故の後遺症なのかと怯えて真っ青になっていると、看護師さんが、私の背中を支えてくれた。

「筋力が無くなったのね。何しろ、七ヶ月も寝たきりだったんだもの。これから、リハビリしなくちゃ大変よ。だけど、安心して。きっと、元のように動けるようになるわ。学校にも行けるわよ」

 私は、まだ高校に在籍しているらしい。この翌朝、私は母と再会して、思いがけない事を聞かされて驚いた。

「あのね、父さんと離婚したわよ」

 事故の直後、父も見舞いに来たという。だけど、愛人を連れていたという。本当に最悪だ。激怒した母は、ついに父との関係を断ち切る決意をしたらしい。私にしてみれば、やっと、あいつと別れたのかという感じである。

「ふうん。良かったじゃん」