「あぁ、そうだ。今度俺、部活のみんなでミニコンサート開くんだよな。よかったら見にこない?」
気づけば、「行く」と即答していた。どうしてか、立ち上がって興奮気味に。
しまった、と今の自分の行動を後悔しても遅く、取り消すにも取り消せないので貫くことにする。
町田くんは、少しびっくりしたように目を見開くと、すぐに吹き出した。
「ははっ、うん。見においでよ、今週の日曜だからさ」
彼のそんな言葉を聞きつけ、私は地下ホールに足を踏み入れる。地下ライブなんて、初めてきたものだから緊張して、朝からどんな服を着ていけばいいのか悩みに悩み、一時間も時間を費やしてしまったのである。
おかしくないかな、と思いつつ渡されたチケットの指定席に座った。
町田くんたちの演奏は有名なのだろうか。大きなホールなのに、ほとんどの埋め尽くされた席がそう思わせた。
開演まであと少し。私は落ち着かない気持ちで前を見つめる。
「今日の多緒も楽しみだよね〜」
「衣装やばいくらいかっこいいらしいよ、今日」
「ライブ終わったら多緒くんと握手できるかな」
そこで、はたと気づく。
会場にいるほとんどの観客は女性だ。もちろん男性もいるけど、あきらかに女性が多い。それも周りから聞こえてくるのは、町田くんの話ばかり。
聞いている限り、町田くんと直接話したりと、親しい感じではないようだ。
___ほっとした自分がいた。
「え……」
ほっと心拍が元に戻った自分自身に驚いていた。どうしてほっとするの?
___ただ、町田くんがカッコよくて。みんながそれを知っていて。
当たり前のことのはずなのに、どうして私はこんなに胸に霧がかかったようにモヤっとしたのだろう。
チラリと、私の隣に座る三人組の女子たちを見た。私と同い年くらいだろうか、でも、見覚えのない顔だから私たちの高校ではないのだろう。
他校にまで人気があるんだ。
今まで、他校だなんてそんな外の世界に目を向けることはあまりなかった。町田くんが人気なのは学年中から、としか思っていなかったから。
再び胸の奥が苦しくなった気がした。
___実は自分でも気づいていた。
どうしてこんなに胸の奥が苦しくなったり緩んだりするのか。
町田くんのことを思うと感情の起伏が激しくなるのはなぜなのか。
これまでに、人並みには人生を生きてきた私にはすでにわかっていた。
この気持ちが、恋だということを。
ダメなのに。他校の人からも人気で、なんでもできて、優しくて。そんな町田くんを好きになったと認めてしまえば、きっと今では比べ物にならないくらい私は辛い思いをする。
当たり前だ、最初から叶わない恋だということがわかっているのだから。
実りと別れ、その両方を知る私には、人を好きになるということがとてつもなく怖かった。
「あ!多緒出てきた!」
「きゃぁぁぁっ」
会場が暗くなった瞬間、女子の黄色い声が響き渡る。
こんなにも騒ぐものなのだろうか、と私はびっくりしつつも、私はスポットライトの当てられた人物に目が釘付けになった。
《今日は来てくれてありがとう!》
町田くんだった。
町田くんは、礼儀正しく会場に向かって軽く一礼する。
その他にも、見たことのある顔が数人。
町田くんの所属する軽音部の人たちだろうか。
ドラムやギター、ピアノなど、いかにもな楽器が揃っていた。
ステージに立って、マイクを構える町田くんが、いつもより輝いて見える。
曲が始まると、より一層会場が熱気に包まれた。冬だというのに、ステージの上の人たちは汗をかいていた。
汗がステージライトに照らされて、ダイヤモンドのように際立っていた。それとともに、ドラムやギターが奏でる大きな音。
音が心臓の奥まで通り抜けて、振動がやってくる。
それが、なんともいえないような心地よさだった。
前奏が終われば、次に声が追加される。町田くんの低くて落ち着いた歌声が曲調を一変させる瞬間だった。
町田くんが歌い出すと、女子の悲鳴が会場に飛び交う。もちろん、隣に座る女子も三人でうるさいほどに叫んでいた。
その三人に少し苛立ちが生まれる。
こんなに叫んで、ちゃんと歌を聞こうとは思わないのだろうか。こんなにも透き通るような歌声をしているのに。
いや、違う。
彼女たちは町田くんの声を聞きに来たのではない。町田くんが歌っている顔、姿を見に来たのか。
彼女たちは町田くん自身を見ているのではなく、町田くんの表面上の姿を見に来ていたんだ。
待ち伏せなどは禁止、しかも他校。街中で会える確率なんて一割にも満たないのだから。
ただこの人たちは、整った顔を見て湧きたかっただけなのだろう。
なんだかそう思うと、妙に彼女たちに、苛立つというよりも興味をなくしてしまった。
町田くんがかっこいい、と騒いでいる彼女たちにモヤっとしていた自分が馬鹿みたいだ。
ちゃんと町田くんの声を聞こう。私の学校の生徒たちの演奏を聞こう。曲を聞こう。
___不意に、ステージ上の彼と目が合った。心臓が、ドクッ、と変な音を立てる。一瞬止まったような、そんな感覚。
町田くんは私を見ると、微かに口角を上げた気がした。確実に、私に笑いかけてくれていた。
なんだか私だけが特別扱いされているみたいな感覚に陥ってしまう。そんなわけがないのに。世間で言う、ファンサービスのようなものだろう。町田くんにとって私は、ただ知っている人というステータスなのだから。
気づけば演奏は終わっていた。彼の優しい声が曲を締めると、会場に溢れんばかりの声と拍手が響き渡る。
負けじと、私も拍手していた。
この場にいる誰よりも、私は彼らの演奏を聴いていた、という想いを込めて。
***
《ただいま混雑のため、速やかに___》
そこで私は、はっと我に帰った。
会場にアナウンスが響いて、次々と観客が席を立ってホールから出ていく。
見ると、たしかに入り口は人でいっぱいだった。
すっかりと余韻に浸っていた私は、すぐに立ち上がって帰る気にもならず、少し入り口が空いてから帰ろう、としばらく待つことにした。
「やば〜、一回でいいから話してみたいよね〜」
「今頃どうしてるんだろう」
「待ち伏せは禁止だもんねー」
隣の女子たちもまだ帰っていない。何か少し、彼女たちの思考がいけない方へ向いていっているのはなんとなくわかっていた。
「ちょっとだけ行ってみる?見れるかもだし」
「バレたらその時だよね」
「えー、見つかったらやばいよー?」
などと言いながら挙動不審に席を立つ彼女たちを見て嫌な予感がした。行ってみる、とはどこにだろうか。大体予想はつく。
彼女たちは今、町田くんと会って話してみたいのだろう。ほんの好奇心で、舞台裏に入るつもりなのだろうか。
彼女たちには、私が見えていないらしい。三人で何かを囁き合いながら、"STAFF ONLY"と赤字で書かれた扉に向かって行く。
きっとこの扉を開けたら、舞台裏や待機部屋に繋がる。私たちのような観客が許可もなしに入っていい場所ではないのに。
でも、そんな彼女たちを止める勇気は私にはなかった。派手な見た目の人は苦手分野なのである。
でも、止めなきゃ……。彼女たちの一方的な違法行為で町田くんたちが困ってしまうはめになる。そんなの、絶対にダメなのに。体が動いてくれない。
そうこうしているうちに、三人は扉の奥へと姿を消してしまった。
許可もなしに……。
気づけば、扉に向かって走っていた。目当てが顔だろうが、歌だろうが。彼女たちが町田くんのファンだということに変わりはない。ならば、ルールはきちんと守るというのがファンだろう。
「待って!」
勢いよく扉を開けて、すぐ近くにいた三人のうちの一人の腕を掴む。
「え……?誰……?」
「なんですか?」
いけないことをしているというのに、焦るような素振りもなく私をキツく睨む三人。
「ここ、入ったらダメですよ……」
三人の視線が私に突き刺さる。穴が開くんじゃないかと思うくらい、睨まれていた。怖気付いて語尾が小さくなってしまう弱虫の自分も大嫌いだ。
「アンタも入ってるじゃん」
「人のこと言えるんですかー?」
三人は仲良さげに「ねー」と声を揃えて私を嘲笑した。
まるで私が間違っているかのような物言いに一瞬、自分のしていることを疑った。ほら、こんな人たちなんて見ぬふりしてさっさと帰ればよかったのに。
一瞬で私の決心は崩れ、後悔が押し寄せた。
「じゃあなんで入るんですか」
もう後には引けないな、と思いつつ、手をぎゅっと握りしめる。
「は?何言ってんの?多緒に会うためじゃん。別によくなーい?」
首を傾げて、リーダー的な女子が私の前に立ちはだかった。
「よ、よくないです。ファンなら絶対にこんなこと___」
「ごちゃごちゃうるさい!アンタには関係ないでしょ!」
その瞬間、グッと腕を引っ張られたかと思うと、勢いよく突き放された。
「わっ……!」
遠心力に振り回された私の体重が、勢いよくそばにあった機材にぶつかる。
ガシャン!と金属がぶつかる音。
しゃがみこんで、上から落ちてくるであろう重量の金属の衝撃に目をつむる。
やばい、来る___と思っても、何も来ない。
代わりに、重なった大きな金属音が上の方で聞こえた。
「え……」
ゆっくりと目を開けて上を見ると、そこには見覚えのある影。
「あぶな……。空、大丈夫?」
焦ったような表情をした町田くんが、機材を支えていた。
「え……町田くん……?」
ぼうぜんとその名を口にすると、町田くんはほっとしたように微笑んだ。
「よかった、怪我なくて」
まだドクドクと激しく波打つ心臓。町田くんがいなかったら、私がどうなっていたか、機材の大きさを見るだけでもわかる。
きっと下敷きとなっていたのだろう。
完全に腰が抜けている私を、町田くんは軽々と立たせてくれた。
「あ……ありがとう……」
町田くんは、私の肩に肘を回し、もたれかかった。
「ね、俺の友達に何してたの?」
先ほどから「まずいことをした」という焦りの感情を顔に浮かべて呆然と立ち尽くす三人。
町田くんから、聞いたことのないような低い声が出た。
「え、あ……」
「ち、違うんです!この子が勝手に___」
「俺、ずっと見てたんだけど」
「っ……」
その時、町田くんがどんな表情をしていたのかはわからないけど、彼女たちは青い顔をしてその場をそそくさと離れた。
「すぐに助けられなくてごめんな」
優しく微笑んで頭を撫でてくれる町田くんに対して、私の心臓はまるで爆弾を抱えているかのように激しく波打っていた。
「___俺のためにこんなことまでして……怪我したらどうすんの」
気をつけてよ、と困ったように笑う町田くんの瞳が私の視線と絡まる。
「……だって、町田くんと会わせたくなかったから」
「え?」
言っているうちに、自分が何を発言したのかを理解し、すぐに口をつぐんだ。
でも、その言葉はしっかりと町田くんの耳に届いていたようで。
本当は、あの女子たちが町田くんと会って、仲良くなったりしたらどうしようって、心のどこかで思ってた。町田くんのかっこいい顔だけを見ている女子を、町田くんが受け入れてしまったらどうしよう、って。
ずっとずっと不安に思ってた。
そんな私の気持ちがどうしよもなくポロリと口からこぼれてしまったのだ。
やばい、好きなの、バレちゃう___と町田くんから目を逸らす。
「空___」
「多緒ー?打ち合わせするから早く戻ってこい」
彼が何かを言いたげに口を開いた時、奥の方から町田くんを呼ぶ声が聞こえた。軽音部の人だろうか。
「……ごめん、今日は来てくれてありがとう。また招待する、次は特等席な」
町田くんは、はっとしたような表情をしてから私に優しく微笑みかけると、ひらひらと手を振って奥の廊下の方へ行ってしまった。
言ってしまった。町田くん、困ったような顔してたかな。困らせちゃったよね。もしかしたら、町田くんは私の言った言葉を察して、私への態度を一変させてしまうかもしれない。
そう思うと、ふつふつと不安な気持ちが私のお腹に溜まった。胃が重くなると同時に、大きなため息が空気を揺らす。
行き場のない複雑な気持ちを抑え、私は会場を後にした。