やはり、今日も来た。
 もはや、私のギターを聴きにくる常連だと言っていいほどなのかもしれない。それでも、毎日見せてくれる姿を見てホッとしている自分がいる。

「今日は一段と冷え込むよね、本格的に冬って感じ」

 彼が顔を出さない日はなかった、と言っても、彼との接点を持ち出したのは一週間前。同じクラスで、彼を何度も目にしているはずなのに、私の中での町田くんのイメージは大きく変わった。

 町田くんは、ふぅっと息をついて私の隣に腰掛ける。とうとうこの距離感にも慣れてきた頃なのかもしれない。こんな小さなベンチに二人は……と薄々感じていた彼の距離感も気にならなくなっていた。

「今日は何弾いてくれるの?」
「……どうしよう」

 彼もまた、私と一緒のことを思っているらしい。今日は何を弾くのかが楽しみ、とでも言っているかのように口角を上げて首を傾げた。
 その首の傾げ方がたまらなく好きだった。わざと感のない、小慣れたその動作が。

 そんなことを思っていると、彼はさりげなく曲のリクエストを送ってくれる。「じゃあじゃあ!」と言ってスマホに映し出された曲の譜面を見せてくるのだ。
 なんだかんだそれが今日のメイン曲になったりもする。旋律通りに弦に触れて、音を確かめた後、最後まで通して弾く。毎日が大体こんな流れだった。
 
 ほら、もう少し私が考えているふうにしていれば、彼が口を開く。あと少しすれば___。


「じゃあさ」
「え?」


 ほらね。


 町田くんは私をちらりと見ると、少しだけ口角を上げた。

「俺たちが初めて話した日の曲、弾いてよ」

 私の頭の中で繰り返される、一週間前の出来事。

 鮮明に思い出せる。町田くんと初めて接点を持ったあの静かな夕方と夜の境目の場面。
 きっと町田くんは、私の弾いていたあの曲につられて、そこで初めて、その音を奏でる主が私だということに気づいたのだろう。

「一度聞いたのに、それでいいの?」

「あの曲、俺、好きなんだ」

 そう言った彼は、ベンチに深く座り直して足をぷらぷらと自由に揺らした。その時の町田くんは、ひどく誇らしげで自信に満ちたような、そんな表情だった。

 「じゃあ……」と、弦に指を置く。

 私もあの曲が好き、と言えば、町田くんはどんな反応をするだろうか。ギターから奏でられる優しげな音色が、心地よく耳の奥に響く。
 あぁ、そうだ。
 町田くんと出会う数秒前の私の中の感覚も、こんな感じだった。
 音色に酔うかのように、ふわふわとした感じが私を包み込んでいた。今もまさに、その状態である。

 名前も知らないこの曲は、途中から___いや、まさに今から、曲調がガラリと変わる。
 空気を大きく震わせるほどのテンポに、斬新な音の構成が、聞いている人の感覚神経を刺激するほどだ。

 ___この音に、声がついたら。

 その瞬間だった。

 私がそう思うと同時に、いや。思うよりも先にかもしれない。

 私のギターの旋律に重ねるようにして、彼の声があたりに響いたのは。


 心地よい低音の声が、私の音と交差する___。


 例えるならば、コーヒー。ふわりとあたりに広がる香ばしい香りが、人々を安心させるように。
 彼の歌声もまた、安心する音だった。
 なぜだろうか、とても静かな歌声に感じる。メロディは力強いはずなのに、彼の声が入ることによって、大人っぽい聞こえに変わる。

 マイナスとマイナスがかけあわされたような化学反応が、今。
 私の音と彼の音で起こっていた___。

 一度感じたことのある感覚が、私の中によみがえる。

 ギターを弾く手が止まらない。彼の歌声に似合う音を出したい、その一心が、私の手の、耳の神経を繊細にしていく。


 気づけば、いつも見ている風景がそこにはあった。

 まるで、ギターを弾いている間だけが、この場にいなかったような余韻が、いまだ残っている。

 私は、なんとも言えない感情を隠しきれずに、勢いよく町田くんを振り向いた。

「……やっぱりこの曲、いいよな」

 町田くんは、随分と柔らかく微笑んだ。
 かすかに白い息を吐いて、背もたれに肩を預ける。

「その……知ってた、の?この曲」

 この曲にもちゃんと、声があったんだ。
 それを知って、少し安心したような気持ちになった。

 町田くんは、ゆっくりと私を見つめると、誇らしげに「これ」と呟いた。

「俺が作った曲なんだ」

***

 私のすぐ隣で友達が話していた内容を思い出す。
 それは、軽音部の町田くんがかっこいい、というものだった。

 軽音部___そう聞けば、私は一番初めに、ステージの中心で輝きを浴びるボーカルを想像するだろう。

 そうだ。そうだったんだ。

 あの時、あの瞬間。私が、全ての音符に、メロディに。音に魅了されたあの曲は。


 ___隣で笑う彼が歌っていたものだったのか。