どんなに憂鬱でも、やる気がなくても、必ず"明日"という時間はやってくる。

 いつからだろうか、学校へ行くということがこんなにも億劫になってしまったのは。特にこれといった理由はない。別にハブられていたりするわけではないし、友達だっている。それでも、学校へ行くとどこか居心地の悪さを感じてしまうものだ。

 気づけば放課後のことばかり考えている。あぁ、早くあの公園へ行って一人になりたいな、なんて独りぼっちが言うようなことを思ったりもする。

 いや、もう私は完全に独りぼっちという枠に入ってしまっているのかもしれない。

「空ー、次移動教室。早く行こう」
「あ、う、うん」

 名前を呼ばれてハッと気づいた。一限目は選択授業の音楽。もちろんのこと、音楽室で授業をするのだ。

 自分の席に座ってぼーっとしている私に声をかけてくれた、いつも一緒に行動しているグループの二人。
 すでに準備を終え、教材を手に持って私の席の目の前に立った。まだ準備していないのだから、準備する前に言ってくれてもいいじゃないか、なんて理不尽なことを思いながらも準備を急ぐ。
 
「まだ準備してなかったの?空は天然なんだから」
「時間見てよねー」

「ごめんね!急ぐから」

 いつもこうだ。私がぼーっとしていることが多いがために、わざと準備を早くして私を急かす。あははっ、と笑ってのけているけれど、その笑顔の奥には「鬱陶しさ」の感情が混ざっていることにも気づいてはいた。おそらく、私がこのグループから出て行ってほしいのだろう。

 でも、私がここにいなければ他に行くところなんてないのだから。別に過去に友達に関するトラウマがあるわけではない。でも、学校では絶対に独りぼっちになりたくないという変なプライドが、私をさらに窮屈にするのだ。

 私の準備が整うと、三人並んで教室を出る。ポジションは、いつも私が一番左。

「てかさー、昨日の部活でさー___」
「あー、転んだやつ?あれウケたよね」

 いつもいつも、私が知らない話ばかりをされる。だから必然的に、私は話に入っていけないわけで。これはわざとなのかどうなのか、そのくらいは予想がつく。
三人グループというものは思ったよりも面倒臭いものだった。ことあるごとに奇数グループは誰かが必ず独りぼっちになるし、何かを譲らなければいけないから。

 音楽室だって。出入り口の扉は、二人が並んで倒れるくらいの横幅である。もちろん、いつも私以外の二人が先に二人並んで入り、後から私が一人で入る形になるのだ。

 未だ話している二人をよそに、私は黙って席に着く。教室に入ってしまえば、別に一人でもいいのだ。移動する時さえ共にする人がいれば。___たとえ話に入れなくたって。


 授業までの時間は、あと十分。私の学校は特別なことに、休み時間は十五分もある。なんでも、移動教室などで授業に遅れないため、らしいが。

 トイレにでも行って時間稼ぎでもしようか、と立ち上がった時、教室の一角から楽しそうな笑い声が聞こえた。どこか聞き覚えのある声に振り向くと、音楽の授業を選択しているクラスの中心的なメンバーたちだった。いわゆる、"陽キャ"に分類される人たちである。

 

 ___その中に、町田くんもいた。



 笑顔で友達と楽しそうに話している町田くんは、輪の真ん中にいる。昨日の夜、彼と話して、どうして彼の周りに人が集まるのかがなんとなくわかった気がした。

 安心するんだ。

 町田くんのやわらかな笑顔が、言葉が。全てを肯定してくれているような感覚。だから、自然にみんな彼の周りに集まるのだろう。

 不意に彼と目が合う。町田くんの細められた目が私を捉えた。
 なんとなく教室を見渡していて、その視線の先に人がいた、という感覚だったのだろうか、彼はすぐに私から視線を逸らす。いかにもそこに私がいなかったかのような逸らし方だったことに何故か心の内側が曇る。

 何分ここに突っ立っていたのか。気づけば、授業開始まで五分を切っていた。これではトイレで時間を潰すにしても中途半端すぎる。
 再び席に座るけれど、何をしていいのかわからない。じっと前を向いたままならば、変な人だと思われてもおかしくないだろう。

 悩みに悩んだあげく、私は机に突っ伏し、寝たふりをすることに決めた。これで少しの時間稼ぎをすればいいだけだ。

 私の耳にまとわりつくように、教室の騒がしいクラスメイトの声が聞こえる。楽しそうな笑い声。
私だって、こんなに楽しそうな笑い声を上げられたらあのグループで独りぼっちになることはなかったのだろうか。だが、あいにく"楽しそうに笑う"ことができないのだから。まず自分にわからない話をされて、楽しそうに笑える人だなんて、少なくとも私には無理である。

 ふぅ、とため息をついて授業開始時刻を待つけれど一向に始まらない。きっとまだ数十秒しか経っていないのだろう。
 そんな時、私のすぐそばでかすかな足音がした。___その足音は、私のすぐ横で。

___止まった。

「空、体調悪いの?」
「……え……」

 教室内が、静寂に包まれる。時が止まったような感覚。

 でもそれは、一瞬の出来事だった。クラスメイトは再び、それぞれ自分たちがやっていたことをすでに続けている。

 反射的に顔を上げて、私に声をかけた主の方を向く。
 ___見間違いであって欲しいと思った。
 これは夢だと、そう思いたかった。

 私の席の真横に立っている逆光でよく見えない人物のシルエットは、昨日の夜、公園で見た時の姿と一緒だったから。

「……体調悪い?」

 彼は、再び私に問い出す。どうして学校で話しかけてくるのだろうか。

 明るい茶髪を揺らして私の顔を覗き込むようにした彼___町田くんは、首を傾げていた。

「なっ……なんで……」
「なんでって……しんどそうだったから?」

 町田くんは困ったように笑って頰をかく。

「……あ、もしかして昨日の夜のせい?」
「ち、違うよ。なんでもないよ」

 愛想笑いで誤魔化そうとする私の正面に、町田くんはしゃがんで机に顎を乗せた。

「よかった。昨日は俺が長引かせちゃったな、ごめんな」

 でも、空のギターは絶対聞きに行くよ。と言って意気込むマッスルポーズを取る町田くん。
 ___そうだ、だから好かれるんだ。
 どんな時もひとりひとりを気にかけて、笑わせることができる。もっとずっと一緒にいたくなる。
 でも彼は、そんなことは望んでいないと思うから。彼がいなくなると、活気が半分消えてしまった男子たちのグループに申し訳なくなって、つい意地を張ってしまう。

「私は大丈夫だから、戻りなよ。友達が待ってるよ」

 ほら、と目線を男子たちの方へ向けると、町田くんは「ほんとだ」と呟いた。

「体は冷やしたらダメだから、あったかい格好するんだぞ」

 なんてお母さんみたいなことを言って、再びグループに戻っていく町田くんに、笑みが溢れた。

***