翌朝は、ゴーグルの向こうから見える筈もないのに、いつもより念入りに髪をとかした。アバターは朋美本人よりもうんとかわいく作ってあるが、唯一、つやのあるこの長い髪の毛だけは、朋美のリアルをアバターに採用した、朋美自身が自信のあるところだ。

身だしなみを整えて、机の前に座る。ゴーグルを着ければ画面には学校が映っていた。その校門に、続々と生徒のアバターが吸い込まれて行く。朋美も、みんなに倣った。と。

「朋美!」

校門をくぐったところで待っていたのは、美咲だった。ピンク色に咲かせた桜の木の画像が、美咲のやわらかくウエーブした髪の毛に映えて、美咲が春の妖精みたいだった。

「おはよう」

「お、おはよう。待っててくれたの……?」

いつもはそんなことしないのに、今日に限ってどうしたんだろうと思って聞いてみると、美咲は、

「私ね、高校生活、これだけは最後、やっておかないと気が済まないなって思って」

そう言って、朋美の手を引っ張った。おたおたしながら美咲についていくと、桜の揺れる中庭に連れてこられた。そこには緊張した顔の高野くんが居た。朋美は高野くんと思ってもみなかった出会い方をしてしまって、声が出ない。高野くんが真っ直ぐな視線を朋美に寄越すと。

「好きです。付き合ってください」

高野くんは朋美をまっすぐ見たまま、そう言った。朋美は目を点にして高野くんを見つめ返す。勿論その視線には熱っぽいものは含まれず、ただ、唖然、としただけのことだ。

「え? え、なんで? 高野くん、美咲と付き合ってたんじゃ……」

混乱する朋美に、そういう誤解があったから、正したかったの、と美咲は言った。

「私はね、省吾の曾祖母なの」

美咲のアバターの隣に一枚の写真が映し出される。品よく笑う、白髪の老女だった。

「私の学生時代は戦争で学ぶなんていう機会は失われてしまってね。戦争が終わったら、今度は家族を支えるのに必死だった。私の人生が人より劣るとは思っていないけど、学校で学べなかったことだけは悔いが残っていてね」

そんな時に高野くんから聞いたのが、仮想空間で生徒を募集するこの高校のことだったという。

「青春時代をやり直せるのかしら、って思ったの。でも、ほら私、おばあちゃんだから、今の学生の事も仮想世界(この世界)のことも、何も知らないでしょ? だから省吾に付き合ってもらって、あれこれ世話を焼いてもらったの」

その所為で、自分と省吾が恋人同士に見られていたことも知っていたという。

「省吾にそれでもいいのかって、聞いたのよ。でも、自分はこれからいくらでも良い思いで作れるからいいって言ってくれて……。省吾はね、本当にやさしい子なの。私の思い出作りを手伝ってくれたのよね。これ以上はない思い出が出来たわ」

なんて言ったって、朋美に会えたから。

そう言って笑う美咲は、老女と知ってもやっぱり朋美の親友の美咲だった。

「でも、その所為で朋美に我慢を強いてしまって、悪かったと思ってるの。でも、きっと私の言葉が届いてるって、信じてるわ」

――――『一人で俯いてたって、何にもいいことないわ』

それは美咲の口癖だった。その言葉を貰うたびに、朋美は前を向けた。オリエンテーションの時も、キャンプの時も、文化祭の時も、……そして今だって。

前を見る。そこには高野くんが居た。頬を真っ赤に染めて、朋美を見つめてくれる高野くんに、朋美は漸く微笑むことが出来る。

「私も……、ずっと高野くんのこと、好きでした」

緊張の糸が緩むように、高野くんがほどけて笑った。うっそ、やっべ、とか言いながら、朋美を見る。美咲が嬉しそうに私たちを見ていた。

「美咲の思い出作りに三年間捧げたから、俺の青春はこれからなんだけど、付き合ってくれる?」

「うん。二人ならいっぱい楽しいこと出来ると思う」

ざあ、と風が通り抜けて桜の花びらが宙に舞う。三人で見上げた桜の向こうの青空は、でも、作り物。

「実体で、会えるといいね」

この時代、現実(リアル)の体で人と会うことに緊張と怖れを持つものだけど、高野くんのことは三年間見てきて、悪い人じゃないって分かったから。

「うん。リアルの朋美に会いに行く」

前を向く。辛い戦争体験を乗り切って生き抜いてきた美咲が言う言葉には重みがあった。それを私たちは実行していく。
美咲がにこにこと笑って私たちを見守っていた。




春が来た。春が来た。今度は本物の桜の下で会おうと約束をした――――。