「あー、もう明日で高校生活も終わりかあ……。もうこの校舎にも来ることがなくなるんだね。なんだかやり残したことがありそうで、未練があるわ」

「美咲でもそんな風に思うの? 私も一年の時は初めてのことだらけで、右往左往したけど、結構居心地のいい場所だったし、卒業しちゃうのは寂しいわ」

卒業式の予行演習中。パイプ椅子に並んで座っている親友に、こそりと打ち明ける。美咲が微笑んだ。

「ね。このあわただしさの中に、忘れ物がありそうで、私、後ろ髪をひかれっぱなしよ」

でもね。

美咲が前を向いた。

「それも含めて、卒業なんだと思うわ。いつの年でも、完全燃焼なんてありえないんだと思うの。過ごした時が素晴らしければ素晴らしいほど、その時を引き延ばしたくて、みんな後ろ髪を引かれるのね。朋美もそう思わない? やり残したことの一つや二つ、あるでしょう?」

やり残したこと……。それはずっと心の奥に沈めていたものだった。美咲の言葉でそれがぷかりと浮かび上がる。

「う、ううん……。私、こんなだし、そもそも望んだって叶わないわ」

「なに言ってるの。一人で俯いてたって、なにもいいことはないのよ? 前向かなきゃ」

ぱしん、と背中を叩かれて、ハッと前を見る。いつもみんなの中心に居る美咲と、ともすれば教室の隅っこに一人でいる朋美。二人の間には、叶うものの差がありすぎた。しかし、今まで朋美は、美咲のその言葉に救われてきた。最後くらい、自分の為に行動してもいいだろうか、という自分勝手な気持ちが、むくり、と顔を出した。

否応なしに思い出がいっぱいの高校生活が過去になる時期。講堂に並ぶ三年生は、もう未来へ向かう顔をしている。美咲もそのうちの一人だ。それなのに、朋美だけその過去の中に、まだ取り残されている。何でかって。

「美咲―、帰ろーぜー」

HRが終わったあと。朋美と喋っていた美咲を呼びに来たのは隣のクラスの高野省吾くん。私が……、ずっと好きだった人。美咲の、彼氏。

「あー、うん。じゃあね、朋美。また明日!」

「うん……」

内気な朋美は美咲に向かってしか、手を振れない。高野くんがこちらを振り返ったけど、朋美との接点はないから、何のリアクションも出来ない。俯いてため息とつくと、朋美も校門を出てその場から落ちた(・・・)

「朋美。学校終わったんなら、ご飯の支度、手伝って」

眼鏡型ゴーグルを外して振り向けば、自室のドアの所に母が居る。はあい、と返事をして立ち上がった。



仮想世界。そこが人々の営みの大半を占めるようになってずいぶん経つ。あらゆる人が二つの顔を持ち、自助では変えられない生まれ持った顔や姿に係わらず自在に決められるアバターで生活することに、楽しさを覚えていた。

朋美も、内向的な性格がわざわいして空想(マンガ)の世界にのめり込み過ぎた結果、陰鬱な顔に分厚い眼鏡をかけるようになったのを、高校生活およびその他の時間を過ごす仮想世界では、自らをかわいく装い、過ごすことで、いくらかの満足感を得ていた。

……とはいえ、生来の性格は隠しようもなく。朋美は入学したての時のオリエンテーションで、何処のグループにも入れず、一人でいたところを美咲に救ってもらった。

『ねえ、あなた。こっち来なさいよ。一人で俯いてたって、何にもいいことないわ』

一人で俯いていたって。

それは私の人生に革命をもたらした言葉だった。一人が当たり前だったのに、その日から世界が反転した。朋美は美咲と一緒に笑って、憤って、泣くようになった。高校生活が、アバターで装っているからというだけじゃなく楽しかったのは、まぎれもなく美咲のおかげだ。

だから、美咲が高野くんと付き合うことを、否定したいわけじゃない。でも、俯いてなくたって……、顔を上げていたって、変わらないことがある。それが朋美は目立たない子だということで、美咲は周りを明るくする、ムードメーカーだってことだ。そんな二人を並べた時に、高野くんだけじゃなく、どんな子だって、美咲に声をかけたがる。それは、仕方のないことなのだ。

「はあ……」

こんな性格にならなければ良かった。外見を直したのに、中身が伴わないから、高校での朋美はちぐはぐのままだった。にこやかな(アバター)に、内向きな性格を隠しきれずに高校生活を過ごしてきた。クラスメイトだって分かった筈。朋美の本当(リアル)が外面そのものじゃないってことくらい。

……高野くんも、お見通しだよね。

そんなこと、分かっている。でも、高校生活は明日で最後だ。明日が終わったら、アバターを変えちゃえば、もしその後高校の誰かとすれ違っても分からない。そういう意味では、高野くんのことで、美咲と気まずくなりにくい、最初で最後のチャンスだ。高野くんにはいい迷惑かもしれないけど、モテる男子は告白する女子が一人増えたところで、気にしないだろう。罪悪感を持ちつつも、美咲の言葉に励まされて、朋美は明日、高野に告白することを決めた。



翌朝は、ゴーグルの向こうから見える筈もないのに、いつもより念入りに髪をとかした。アバターは朋美本人よりもうんとかわいく作ってあるが、唯一、つやのあるこの長い髪の毛だけは、朋美のリアルをアバターに採用した、朋美自身が自信のあるところだ。

身だしなみを整えて、机の前に座る。ゴーグルを着ければ画面には学校が映っていた。その校門に、続々と生徒のアバターが吸い込まれて行く。朋美も、みんなに倣った。と。

「朋美!」

校門をくぐったところで待っていたのは、美咲だった。ピンク色に咲かせた桜の木の画像が、美咲のやわらかくウエーブした髪の毛に映えて、美咲が春の妖精みたいだった。

「おはよう」

「お、おはよう。待っててくれたの……?」

いつもはそんなことしないのに、今日に限ってどうしたんだろうと思って聞いてみると、美咲は、

「私ね、高校生活、これだけは最後、やっておかないと気が済まないなって思って」

そう言って、朋美の手を引っ張った。おたおたしながら美咲についていくと、桜の揺れる中庭に連れてこられた。そこには緊張した顔の高野くんが居た。朋美は高野くんと思ってもみなかった出会い方をしてしまって、声が出ない。高野くんが真っ直ぐな視線を朋美に寄越すと。

「好きです。付き合ってください」

高野くんは朋美をまっすぐ見たまま、そう言った。朋美は目を点にして高野くんを見つめ返す。勿論その視線には熱っぽいものは含まれず、ただ、唖然、としただけのことだ。

「え? え、なんで? 高野くん、美咲と付き合ってたんじゃ……」

混乱する朋美に、そういう誤解があったから、正したかったの、と美咲は言った。

「私はね、省吾の曾祖母なの」

美咲のアバターの隣に一枚の写真が映し出される。品よく笑う、白髪の老女だった。

「私の学生時代は戦争で学ぶなんていう機会は失われてしまってね。戦争が終わったら、今度は家族を支えるのに必死だった。私の人生が人より劣るとは思っていないけど、学校で学べなかったことだけは悔いが残っていてね」

そんな時に高野くんから聞いたのが、仮想空間で生徒を募集するこの高校のことだったという。

「青春時代をやり直せるのかしら、って思ったの。でも、ほら私、おばあちゃんだから、今の学生の事も仮想世界(この世界)のことも、何も知らないでしょ? だから省吾に付き合ってもらって、あれこれ世話を焼いてもらったの」

その所為で、自分と省吾が恋人同士に見られていたことも知っていたという。

「省吾にそれでもいいのかって、聞いたのよ。でも、自分はこれからいくらでも良い思いで作れるからいいって言ってくれて……。省吾はね、本当にやさしい子なの。私の思い出作りを手伝ってくれたのよね。これ以上はない思い出が出来たわ」

なんて言ったって、朋美に会えたから。

そう言って笑う美咲は、老女と知ってもやっぱり朋美の親友の美咲だった。

「でも、その所為で朋美に我慢を強いてしまって、悪かったと思ってるの。でも、きっと私の言葉が届いてるって、信じてるわ」

――――『一人で俯いてたって、何にもいいことないわ』

それは美咲の口癖だった。その言葉を貰うたびに、朋美は前を向けた。オリエンテーションの時も、キャンプの時も、文化祭の時も、……そして今だって。

前を見る。そこには高野くんが居た。頬を真っ赤に染めて、朋美を見つめてくれる高野くんに、朋美は漸く微笑むことが出来る。

「私も……、ずっと高野くんのこと、好きでした」

緊張の糸が緩むように、高野くんがほどけて笑った。うっそ、やっべ、とか言いながら、朋美を見る。美咲が嬉しそうに私たちを見ていた。

「美咲の思い出作りに三年間捧げたから、俺の青春はこれからなんだけど、付き合ってくれる?」

「うん。二人ならいっぱい楽しいこと出来ると思う」

ざあ、と風が通り抜けて桜の花びらが宙に舞う。三人で見上げた桜の向こうの青空は、でも、作り物。

「実体で、会えるといいね」

この時代、現実(リアル)の体で人と会うことに緊張と怖れを持つものだけど、高野くんのことは三年間見てきて、悪い人じゃないって分かったから。

「うん。リアルの朋美に会いに行く」

前を向く。辛い戦争体験を乗り切って生き抜いてきた美咲が言う言葉には重みがあった。それを私たちは実行していく。
美咲がにこにこと笑って私たちを見守っていた。




春が来た。春が来た。今度は本物の桜の下で会おうと約束をした――――。

作品を評価しよう!

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:7

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作家の他の作品

黒神と忌み子のはつ恋

総文字数/54,317

あやかし・和風ファンタジー19ページ

本棚に入れる
表紙を見る
虐げられた転生少女は守護の鳳に二度、愛される

総文字数/25,840

あやかし・和風ファンタジー14ページ

本棚に入れる
表紙を見る

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア