僕は千尋のことが好きだった。千尋はキリっとした猫顔の美人だ。目尻の上がった大きな目。すっと通った鼻筋。細く整った眉。細い顎とシャープな輪郭。小さく薄い唇。気づけばいつも千尋を見つめていた。鈴のような声も、全部大好きだった。
最後だからと勇気を出して、千尋の隣の座席を選んだ。なのに、何を話していいか分からなかった。そんな時に千尋から気まぐれに話しかけられるだけで心が踊った。
「白い猫って4匹に1匹がオッドアイなんだって。25%だよ。すごくない?」
 猫に関する覚えたばかりの雑学を千尋は無邪気に披露する。
「そうなんだ。もっとレアだと思ってた」
「街中とかじゃ全然見ないもんね。でも、こんなにいっぱいいるんだったら手が届きそう」
 千尋は猫好きだ。猫の話をするときの千尋は優しい目をしている。千尋も幼い頃に、僕と同じように猫を飼いたいと言って親に却下されたと以前聞いた。犬を飼っている部員が多く、犬派が圧倒的多数のサークルだけれど、今なら僕も千尋と同じ猫派だと言えるかもしれない。
「実家出たら、猫飼いたいんだ。片方だけ青い目の猫ちゃん」

 あまりに飛躍した妄想だけれども、僕は勝手に想い描いてしまう。リビングのソファーで猫を撫でる千尋。そして、アイランドキッチンで猫と千尋にホットミルクを作る僕。僕がホットミルクを手渡すと、千尋は鈴のような声でお礼を言う。
「いつもありがとう」
 僕たちは互いの目を見て笑い合う。そんな僕たちを飼い猫はじっと見ている。猫と千尋はそっくりな目をしている。

 千尋の右目は青かった。強い目力を放つ大きな瞳は、空から見下ろした大海原のような色をしていた。22年間生きてきて、魂の色が青く見えたのは千尋だけだ。それが、千尋を目で追うようになったきっかけだった。
 彼女は型破りな人だった。河原でバーベキューをすれば、服のまま川に飛び込んだ。
「今から山手線一周歩いてみない?」
 そう唐突に提案したのは、代々木公園でフットサルをした日の飲み会後のことだった。朝早くに集合して一日中遊んで、飲み会は二次会まで出席して終電間際のその発言にはみんなが驚いた。華奢な体のいったいどこにそんな体力があるのだろう。
 千尋を慕う後輩3人と僕が同行したけれど、千尋はきっと1人でも思い付きを決行したと思う。
「環状線って線路の端っこがないじゃない? こういう場合も『線路は続くよどこまでも』に含まれるのかな?」
 千尋の問いかけに僕は気の利いた回答ができなかった。
「Siriにでも聞いてみます?」
 酔った後輩はiPhoneに笑いながら質問を繰り返していたが、「よく分かりません」と返されるばかりだった。そんな後輩も1時間もすれば疲れて口数が少なくなっていたが、千尋は元気なままだった。千尋の鞄からはずっと同じリズムの鈴の音が聞こえた。
 千尋は夜行性なのかもしれない。深夜の2時頃、よくSNSを更新していた。余計な文章は書かず、写真を1枚だけ。それは夜空だったり、昼間に行った場所だったり、高そうなティーカップに入ったハーブティーだったりと日によってまちまちだった。
 僕は千尋の感性が好きだった。雑貨屋で一目惚れしたと言って名前も知らないどこかの国の民族楽器を買ってきては、部室で綺麗な音色を奏でた。
 破天荒なだけでなく、優しい一面もあった。ある日、みんなで遊園地に行ったときに、部員1人が体調を崩した。千尋はずっと彼女の介抱をしていた。誰よりも気遣いができる彼女は、決して誰かを置いてけぼりにしたりしない。
 白猫のような気高さが千尋にはあった。千尋は日常の所作が美しかった。老舗の呉服屋令嬢と聞いて、妙に納得した。千尋と同じ高校出身の同期がそう言っていた。僕の知らない千尋を知っている人間が羨ましい。千尋のことは知れば知るほど好きになる。千尋のことをもっと知りたい。

 他の人間のことなら、目の色を見れば何となくその人がどういう人間か分かる。たとえば、ヤマさんや吉川は父とよく似た濃い赤色だ。彼らの前ではある程度素を出しても大丈夫。
 反対に、黄緑色に近い人たちは保守的な考えを持っている。そういう面接官にあたった時は、彼らに好まれるような振る舞いをしてきた。就活が無事終わったのも、共感覚のおかげかもしれない。
 22年間フル活用してきた共感覚による処世術も、千尋には通用しなかった。青い色の前例がないので、カテゴライズのしようがない。