「どういうことですか?」
パソコンの画面に映し出された浜は「ん? どうしたのかな?」と首を傾げる。
「私のところに相談に来た社員さんが、クビを切られたんです。そんなことをする会社だなんて、全然、教えてくれなかったじゃないですか」
「教えたら、そこでカウンセリングをしようなんて思わないでしょ?」
「思いませんよっ」
「そうだろうね。でも、そこの会社はいい会社なんだけどな」
「どこがですか? 心を病んでいるって分かったら、社員を即解雇するような会社ですよ?」
「そこの会社は社員を一人クビにしたら、ボーナスを弾んでもらえるからさ。岩崎さんは、入社2、3年で人を回転させたいって考えてんだよ。だから、ちょうどいい頃合いで、『この社員、休ませたほうがいいんじゃないですか』って進言してあげてさ。それが喜ばれて、僕は相当稼がせてもらったよ」
美晴は絶句した。
「でもさ、今はどこの企業もそんなもんなんだよ。一応、法律でどこの会社も心理カウンセラーを雇ってメンタルヘルスに力を入れるって決まってるけど、実際には社員のメンタルなんてどうでもいいって思ってるし。いくらでもクビを切れるんだから、働かせてみて優秀な戦力だったら会社につなぎとめておいて、そうでなければバサバサ切り捨てたいんだよ。そのために我々を利用してるってこと。僕が今勤めている会社でも、今月だけで3人クビになったよ。全員、相談に来てたしね」
「そんな、相談に来た人の心のケアをするのが私達の役割じゃないですか。それなのに、相談に来たらクビになるのなら、まともなカウンセリングできないじゃないですか。私達がいる意味がないっていうか」
「そういうことだね。君も、この業界でやっていきたいんなら、こういうのには慣れないと。それでも給料をもらえるんだから、いいんじゃない?」
美晴は怒りで手が震えるのを感じた。
「……私、浜先生のことを尊敬してたのに」
「失望した? それは期待を裏切って悪かったね」
浜はわざとらしく「ハハハ」と笑った。
「君はイギリスに5年間留学してたんだっけ? その間に、日本の状況は大きく変わったんだよ。今や、正社員は全体の2割しかいない。その2割のパイを巡って、熾烈な戦いが起きてるんだ。残りの8割は、貧しい生活を送るしかなくなるからね。僕が君にカウンセラーの資格を取ったほうがいいと勧めたのは、あながち間違いじゃなかったと思うよ。お蔭で、こうやって企業でポジションを得られるんだから」
「ポジションを得られたって、社員を死に追い込むのを手伝ってるようなものじゃないですか」
「まあ、そう暗く考えずに。だって、君はもう、病院では雇ってもらえないだろ? 患者さんを瀕死の状態に追い込んだんだから」
美晴は黙り込んだ。
「ああ、ごめん、ごめん、言い方が悪かったね。でも、睡眠薬を欲しがっている患者に、君は処方してあげなかった。だから、その患者は闇マーケットで怪しげな薬を手に入れて飲んでしまって、今、植物状態だ。院長が処方するように言っていたのに、従わなかったんでしょ?」
「それは、薬に頼らずに不眠を治すほうが、患者さんのためになるって思ったからで。依存症になりかけてたから」
「依存症になりかけてたんじゃなくて、依存症だったんでしょ。そういう患者には薬をあげるのが一番の治療になるのに」
「そんな、それじゃ、根本的な治療にならないじゃないですか」
「そうだよ、僕らには誰も救えない。今のこの国じゃね。それは分かったほうがいいよ」
浜は大げさにため息をついた。
「まあ、次の会社を紹介してあげてもいいけど。君も、そこの会社にはいづらくなったんでしょ? 僕も、ここはそろそろ辞めて次に移ろうって思ってたし」
「え? まだ半年しかいないんじゃ」
「それだけいれば充分だよ。君のところと同じで、社員はみんな、僕のことを恨んでるんだよ。僕が心を病んでるって診断したら、即クビになるからね。恨まれて刺された同業者もいるって話も聞いてるし。だから、半年ごとに転々とするぐらいがちょうどいいんだよね。影山君が、次にここに来たらいいんじゃない?」
「いえ、結構です」
美晴はノートパソコンを閉じた。
「なんてことなの……」
パソコンに突っ伏す。
――日本でも欧米並みにカウンセリングが必要になるって言われてたから、留学して資格を取ったのに。こんなんじゃやってる意味がないじゃない。
自分を見つめていた高木の、切羽詰った、充血した目。
――彼が悪いんじゃない。悪いのは、この会社だ。
美晴は社長にクビを撤回させようと、席を立った。
美晴は社長室のドアを開けるなり、「一体、どういうことですか?」と鋭く聞いた。
岩崎は「何のこと?」と怪訝な顔をする。
「高木君のことです。私に相談しているのがバレたからクビになったって」
「ああ、それね。だって当然でしょ。メンタルを病んでいるヤツなんか、まともに仕事できないし、いつ倒れるか分からないし。人件費をムダにしてるようなもんだから、早めにクビを切るのは経営判断として当然のことだからね」
「でも、私がここに赴任したときは、長く続く社員がなかなか育たないって、嘆いていらっしゃいましたよね?」
「そうだよ。それで困ってるのは確かだけどね」
「こんな、社員を使い捨てにするようなことをしていたら、長く続かないのは当然じゃないですか?」
「先生、使い捨てなんて、人聞きの悪い。我々はきちんと育ててますよ。社員の能力が低くて、ついてこられないってだけです」
部屋の隅で聞いていた秘書の細見がフォローした。
「能力が低いって……半年間休みなく働かせて、ちょっとでもミスしたらすぐに給料を下げるようなやり方をしてたら、みんな疲弊してまともに仕事できなくなりますよね」
「うちのやり方が気に入らないんなら、辞めてもらって結構。あなたも他のところじゃ雇ってもらえないから、うちに来たんじゃないの?」
岩崎はフフンと鼻で笑う。
美晴は激高しそうになったが、必死で堪えた。
「とにかく、高木君のクビを撤回してください。彼は会社のことを真剣に考えてるんですよ? あんないい社員を失ってしまったら、この会社は」
そのとき、岩崎の背後にある窓の外を誰かが通った――いや、落ちた。人が落ちたのだ。
美晴の後ろで、細見が「あっ」と小さく声を上げた。
「何? どうかした?」
岩崎がいぶかしげな顔をしている。
一瞬だったが、落ちていったのは高木だと分かった。
「高木君が……」
外で悲鳴が上がり、「誰か飛び降りたぞ!」「救急車、救急車!」という騒ぎが聞こえてきた。
岩崎は窓の外に目をやると、「おい、屋上の柵を高くしておかなかったのか?」と細見をにらんだ。
「あの、その、来週業者が来ることになってて」
「飛び降りられないように、柵を高くしておけって、去年から言ってただろ? まだやってなかったのかよ!」
「ももも申し訳ありません」
「ったく。うちのビルから飛び降りられるのは迷惑なんだよ! 明日までに柵を高くしとけ!」
細見は部屋を飛び出した。
美晴は動けないでいた。気のせいだろうが、美晴は落ちていく高木と目が合ったような気がした。自分を恨みがましい眼で見ていたような――。
「あんた、そこで何してんの?」
岩崎の声に、我に返る。
「もうあんたはいいからさ。別のカウンセラーに来てもらうから、あんたはクビ」
社長室を出て廊下を歩いていると、中村が「先生、高木が飛び降りちゃったみたいっすね」と声をかけてきた。
「飛び降りちゃったみたいって」
「警備員にビルの外に放り出されたのに、戻って来て屋上まで行っちゃったみたいっすよ」
「なんで明るく話してるの……? 同僚が飛び降りたんだよ?」
「だって、おかしくないっすか? わざわざ戻って来て飛び降りるなんて。そんなことしなくても、他の会社に転職すればいいだけなのに。おかしいっすよ」
中村はアハハハと笑い声をあげた。周囲の社員は、みな固まる。
「ちょ、中村君?」
中村は腹を抱えて笑っている。どうやら、メンタルを完全にやられてしまっているようだ。
警備員がこちらに向かって来るのが見えた。美晴はその場を離れた。
外では、救急車のサイレンの音が、けたたましく鳴り響いている。
パソコンの画面に映し出された浜は「ん? どうしたのかな?」と首を傾げる。
「私のところに相談に来た社員さんが、クビを切られたんです。そんなことをする会社だなんて、全然、教えてくれなかったじゃないですか」
「教えたら、そこでカウンセリングをしようなんて思わないでしょ?」
「思いませんよっ」
「そうだろうね。でも、そこの会社はいい会社なんだけどな」
「どこがですか? 心を病んでいるって分かったら、社員を即解雇するような会社ですよ?」
「そこの会社は社員を一人クビにしたら、ボーナスを弾んでもらえるからさ。岩崎さんは、入社2、3年で人を回転させたいって考えてんだよ。だから、ちょうどいい頃合いで、『この社員、休ませたほうがいいんじゃないですか』って進言してあげてさ。それが喜ばれて、僕は相当稼がせてもらったよ」
美晴は絶句した。
「でもさ、今はどこの企業もそんなもんなんだよ。一応、法律でどこの会社も心理カウンセラーを雇ってメンタルヘルスに力を入れるって決まってるけど、実際には社員のメンタルなんてどうでもいいって思ってるし。いくらでもクビを切れるんだから、働かせてみて優秀な戦力だったら会社につなぎとめておいて、そうでなければバサバサ切り捨てたいんだよ。そのために我々を利用してるってこと。僕が今勤めている会社でも、今月だけで3人クビになったよ。全員、相談に来てたしね」
「そんな、相談に来た人の心のケアをするのが私達の役割じゃないですか。それなのに、相談に来たらクビになるのなら、まともなカウンセリングできないじゃないですか。私達がいる意味がないっていうか」
「そういうことだね。君も、この業界でやっていきたいんなら、こういうのには慣れないと。それでも給料をもらえるんだから、いいんじゃない?」
美晴は怒りで手が震えるのを感じた。
「……私、浜先生のことを尊敬してたのに」
「失望した? それは期待を裏切って悪かったね」
浜はわざとらしく「ハハハ」と笑った。
「君はイギリスに5年間留学してたんだっけ? その間に、日本の状況は大きく変わったんだよ。今や、正社員は全体の2割しかいない。その2割のパイを巡って、熾烈な戦いが起きてるんだ。残りの8割は、貧しい生活を送るしかなくなるからね。僕が君にカウンセラーの資格を取ったほうがいいと勧めたのは、あながち間違いじゃなかったと思うよ。お蔭で、こうやって企業でポジションを得られるんだから」
「ポジションを得られたって、社員を死に追い込むのを手伝ってるようなものじゃないですか」
「まあ、そう暗く考えずに。だって、君はもう、病院では雇ってもらえないだろ? 患者さんを瀕死の状態に追い込んだんだから」
美晴は黙り込んだ。
「ああ、ごめん、ごめん、言い方が悪かったね。でも、睡眠薬を欲しがっている患者に、君は処方してあげなかった。だから、その患者は闇マーケットで怪しげな薬を手に入れて飲んでしまって、今、植物状態だ。院長が処方するように言っていたのに、従わなかったんでしょ?」
「それは、薬に頼らずに不眠を治すほうが、患者さんのためになるって思ったからで。依存症になりかけてたから」
「依存症になりかけてたんじゃなくて、依存症だったんでしょ。そういう患者には薬をあげるのが一番の治療になるのに」
「そんな、それじゃ、根本的な治療にならないじゃないですか」
「そうだよ、僕らには誰も救えない。今のこの国じゃね。それは分かったほうがいいよ」
浜は大げさにため息をついた。
「まあ、次の会社を紹介してあげてもいいけど。君も、そこの会社にはいづらくなったんでしょ? 僕も、ここはそろそろ辞めて次に移ろうって思ってたし」
「え? まだ半年しかいないんじゃ」
「それだけいれば充分だよ。君のところと同じで、社員はみんな、僕のことを恨んでるんだよ。僕が心を病んでるって診断したら、即クビになるからね。恨まれて刺された同業者もいるって話も聞いてるし。だから、半年ごとに転々とするぐらいがちょうどいいんだよね。影山君が、次にここに来たらいいんじゃない?」
「いえ、結構です」
美晴はノートパソコンを閉じた。
「なんてことなの……」
パソコンに突っ伏す。
――日本でも欧米並みにカウンセリングが必要になるって言われてたから、留学して資格を取ったのに。こんなんじゃやってる意味がないじゃない。
自分を見つめていた高木の、切羽詰った、充血した目。
――彼が悪いんじゃない。悪いのは、この会社だ。
美晴は社長にクビを撤回させようと、席を立った。
美晴は社長室のドアを開けるなり、「一体、どういうことですか?」と鋭く聞いた。
岩崎は「何のこと?」と怪訝な顔をする。
「高木君のことです。私に相談しているのがバレたからクビになったって」
「ああ、それね。だって当然でしょ。メンタルを病んでいるヤツなんか、まともに仕事できないし、いつ倒れるか分からないし。人件費をムダにしてるようなもんだから、早めにクビを切るのは経営判断として当然のことだからね」
「でも、私がここに赴任したときは、長く続く社員がなかなか育たないって、嘆いていらっしゃいましたよね?」
「そうだよ。それで困ってるのは確かだけどね」
「こんな、社員を使い捨てにするようなことをしていたら、長く続かないのは当然じゃないですか?」
「先生、使い捨てなんて、人聞きの悪い。我々はきちんと育ててますよ。社員の能力が低くて、ついてこられないってだけです」
部屋の隅で聞いていた秘書の細見がフォローした。
「能力が低いって……半年間休みなく働かせて、ちょっとでもミスしたらすぐに給料を下げるようなやり方をしてたら、みんな疲弊してまともに仕事できなくなりますよね」
「うちのやり方が気に入らないんなら、辞めてもらって結構。あなたも他のところじゃ雇ってもらえないから、うちに来たんじゃないの?」
岩崎はフフンと鼻で笑う。
美晴は激高しそうになったが、必死で堪えた。
「とにかく、高木君のクビを撤回してください。彼は会社のことを真剣に考えてるんですよ? あんないい社員を失ってしまったら、この会社は」
そのとき、岩崎の背後にある窓の外を誰かが通った――いや、落ちた。人が落ちたのだ。
美晴の後ろで、細見が「あっ」と小さく声を上げた。
「何? どうかした?」
岩崎がいぶかしげな顔をしている。
一瞬だったが、落ちていったのは高木だと分かった。
「高木君が……」
外で悲鳴が上がり、「誰か飛び降りたぞ!」「救急車、救急車!」という騒ぎが聞こえてきた。
岩崎は窓の外に目をやると、「おい、屋上の柵を高くしておかなかったのか?」と細見をにらんだ。
「あの、その、来週業者が来ることになってて」
「飛び降りられないように、柵を高くしておけって、去年から言ってただろ? まだやってなかったのかよ!」
「ももも申し訳ありません」
「ったく。うちのビルから飛び降りられるのは迷惑なんだよ! 明日までに柵を高くしとけ!」
細見は部屋を飛び出した。
美晴は動けないでいた。気のせいだろうが、美晴は落ちていく高木と目が合ったような気がした。自分を恨みがましい眼で見ていたような――。
「あんた、そこで何してんの?」
岩崎の声に、我に返る。
「もうあんたはいいからさ。別のカウンセラーに来てもらうから、あんたはクビ」
社長室を出て廊下を歩いていると、中村が「先生、高木が飛び降りちゃったみたいっすね」と声をかけてきた。
「飛び降りちゃったみたいって」
「警備員にビルの外に放り出されたのに、戻って来て屋上まで行っちゃったみたいっすよ」
「なんで明るく話してるの……? 同僚が飛び降りたんだよ?」
「だって、おかしくないっすか? わざわざ戻って来て飛び降りるなんて。そんなことしなくても、他の会社に転職すればいいだけなのに。おかしいっすよ」
中村はアハハハと笑い声をあげた。周囲の社員は、みな固まる。
「ちょ、中村君?」
中村は腹を抱えて笑っている。どうやら、メンタルを完全にやられてしまっているようだ。
警備員がこちらに向かって来るのが見えた。美晴はその場を離れた。
外では、救急車のサイレンの音が、けたたましく鳴り響いている。