「ハイ、作業やめー!」
 新築マンションの建設現場に、現場監督の声が響き渡った。
 お昼休みにはまだ早いので、みな「なんだ、なんだ?」という感じで手を止めた。
「昨日連絡したけど、投票用紙は持って来ましたか? これから、みんなで投票しに行きます」
 現場監督の言葉に、作業員はみな顔を見合わせる。
「はあ? 投票って?」
「なんで、仕事中に?」
「今日中に、ここの作業しないといけないんだけど」
 みな口々に不満をぶつける。
「あー、その分の日当を削ったりしませんから」
 その一言を聞いて、「ってことは、休憩時間が増えたのと同じか?」「ならいいか」と、作業員たちは顔をほころばせる。

「それじゃ、バスを用意してるので、乗ってください」
 工事現場の前に、マイクロバスが2台止まっていた。
 ぞろぞろと乗り込むと、スーツ姿の男性が最後に乗りこんで来た。
「皆さん、お仕事、お疲れ様です! これからお弁当を配りますので、投票所に着くまで、そちらでも食べて疲れをいやしてください」
 男性はにこやかに語りかける。
 一人一人に弁当とお茶が配られると、「ずいぶん待遇がいいな」「これ、お金払わなきゃいけないのか?」とみな戸惑っている。
「いえ、お金をいただくことはありませんので、安心して召し上がってください。皆さんが汗水垂らして働いてくださってるお陰で、日本の経済は回ってるんです。これは、ほんのお礼です」
 男性の言葉に、「それじゃ、遠慮なくいただくよ」と、一同は嬉々として弁当の蓋を開ける。
「おおっ、ステーキ弁当か」
「えらい高そうな肉だな」
「うわっ、やわらかいわ、この肉!」
 作業員が興奮している様子を、その男性は不自然な笑みで見守っていた。

 公民館の駐車場に着くと、男性は「投票所に着きました。皆さん、投票用紙は持って来てますね?」と確認した。
 何人か、「忘れてしまって」と罰が悪そうに申告すると、「それでも大丈夫ですよ。受付で身分証を出したら、投票用紙をもらえますから」と返した。
「それで、皆さんに一つだけお願いがあるんです」
 男性は人差し指を立てて、ぐるりと見渡した。
「投票用紙には、民自党と、民自党の候補者の名前を書いてほしいんです」
 車内は一瞬で水を打ったようになった。

「もう一度言いますね。党名には民自党、候補者の名前のところには、この地区から立候補している桑田健介の名前を書いてください」
「ど、どういうこと、それ」
 一人がためらいながら聞くと、「簡単なことですよね。民自党に投票する、それだけのことです」と男性は笑みを崩さない。
「いや、オレ、民自党に投票する気はないんだけど……」
 その男が小さい声で言うと、男性の顔から笑みが消えた。

「失礼ですけど、お名前は?」
「えっ……それはちょっと」
「この方の名前は?」
 男性は現場監督をキッとにらむ。
「え、あの、斎藤さんですけど」
「この方を現場から外してください」
「えっ、どういうことだよ!?」
 斎藤は思わず立ち上がる。
「あのマンションは、民自党の幹部が住むことになってるんですよねえ。申し訳ないけど、あなたのように反体制の人には現場に入ってほしくないんです。何をするか分からないから」
「は? 何をするか分からないって、どういう意味だよ? オレが何か変なことをするって言うのかよ?」

「まあまあ、斎藤さん、落ち着いて」
 現場監督が間に割って入った。
「斎藤さんはベテランの職人さんなので、外すのは、こちらとしても困るんです。大目に見ていただけませんか」
 男性の顔色を窺い、「斎藤さんも、仕事がなくなったら困るでしょ」となだめた。
「そりゃ、困るけど」
「今回だけですよ。今回だけ、民自党に入れればいいんです」
 斎藤は腕組みをして、どっかとシートに座った。
「分かったよ。入れればいいんだろ?」
「分かっていただけて良かった」
 男性が再び機械的な笑みを浮かべる。
 もう誰も男性に異論を唱える者はいなかった。


 ――気に入らねえ。

 斎藤は投票所で順番を待ちながら、イライラしていた。

 ――民自党のせいで、今、こんな苦しい生活をしてんのに。脅して言うことを聞かせようって姿勢が気に入らねえ。このまま黙って投票する気にならねえな。

 投票をしている仲間たちの様子を見ていると、ブースで記入した後は、投票箱に用紙を入れているだけだ。投票用紙に何を書いたかまでは、誰もチェックしていない。

 ――一か八か、やってみるか。

 齋藤は自分の番が来ると、投票ブースに立った。目の前に、候補者の一覧表が貼ってある。
「ええと、桑田……」
 その表で確認するフリをして、斎藤は鉛筆で投票用紙に「真実の党 影山美晴」と書き込んだ。

 何食わぬ顔をして、投票箱の前に立つ。入り口に立っていた男性をチラリと見ると、こちらをじっと見ている。
 さすがに緊張したが、心臓の鼓動が速くなっているのを悟られないように、用紙を箱に入れる。
 出口で、男性に「これでいいんでしょ?」と言うと、男性は満足げにうなずいた。
 齋藤は会場を出ると、額に浮かんだ汗を袖口で拭った。



 片田はテレビで行われる党首討論に出席していた。
 野党の党首は3つの党から参加しているが、真実の党は呼ばれていない。
 野党も政権交代などできるはずないと、ポーズだけ反対意見を述べているのが、ありありと分かる討論会だった。

 討論会の終わりで、アナウンサーの女性が「それでは、最後の質問です」と党首たちに向き直った。
「真実の党について、どう思われますか」
 4人は固まった。
「えっ、真実の党ですか」
「その話が出るとは思わなかった」
 野党の党首たちは、素直に動揺している。片田はさっきまで余裕の笑みを浮かべていたのが、みるみる不機嫌そうな表情になった。

「真実の党はネットを中心に注目を集めてますし、世論調査では支持率が2番目に多いので、やはり無視できない存在だと思うんですね。皆さんは、真実の党の候補者とは会って話したことはあるんでしょうか」
 アナウンサーの問いかけに、「いやいや」「全然会ったことはない」と3人は首を振る。

「同じ野党として、もちろん頑張っていただきたいと思っています。政権交代を起こせるぐらいの人数の候補者をそろえたところも素晴らしいと思いますし、私も演説の動画をよく拝見していますが、皆さん苦労された方ばかりで、胸を打たれます。本当は、連携して戦えればよかったんでしょうけど、ゲリラ的に演説をやっていらっしゃるので、なかなかネットワークを築けなくて。選挙は後数日ですが、今からでも共闘してもいいと思ってますよ」
 3番目に支持率が高い党の党首がそつなく答える。

「おや、あんな犯罪者が党首をやってる党と共闘するおつもりですか」
 片田はすかさず嫌味を言う。
「あの党首の影山美晴は、15年前に国会議事堂を占拠しようとした人物ですよ。本来なら、内乱罪でつかまっていなきゃおかしいんです。そんな人物と手を組もうとするなら、良識を疑いますね」

「彼女が議事堂を占拠しようとしたのは、選挙法の改正案を通すのを阻止しようとしたからですよね。あのとき、選挙年齢が40歳以上に引き上げられてしまって、その後も、ずっと我々は年齢を引き下げるように訴えてきたのに、受け入れられなかった。彼女は国民のためにあのとき行動を起こしただけです。法的には問題あったかもしれないけど、道義的には彼女の行ったことは正義だと思います」
 
 他の党首は堂々と反論する。片田は「青臭いことをおっしゃる」と鼻で笑った。

「いいですか? 犯罪は犯罪です。神聖な場所である国会議事堂を暴力で奪おうとしたんですよ」
「暴力をふるったのはあなたたちでしょう。武器を持ってない彼女たちをボコボコにしてたでしょ? 連行されていく様子が映像で流れてたけど、あれはひどかった」
「別に我々が取り押さえたわけじゃないし」
「当たり前です。あなたに命じられた機動隊が暴力をふるったんでしょ?」
「私はあの時はまだ総理大臣じゃなかったから」
「お時間が来てしまいました。今日はお忙しいなか、討論会に参加していただき、ありがとうございました」
 アナウンサーが強制的に議論を打ち切ってしまった。

「いったい、どういうことだ! 真実の党のことを聞くなんて!」
 片田がアナウンサーを怒鳴りつけると、「総理、まだマイクが入ってます」と慌ててディレクターが止めた。
 その一部始終はあっという間にネットにアップされ、拡散されていく。


「これじゃ、真実の党の宣伝をしてあげたようなもんじゃないか!」
 片田は帰りの車で、助手席を背後から蹴飛ばした。
「白石に言っとけ、こうなりゃ、影山美晴を消してもいいって。投票日までに絶対に息の根を止めろって言っとけ!」
「ハ、ハイ、伝えておきます!」
 三橋が震える声で応じた。