「お断りします。お帰りください」

「冷たいなぁ。てゆーか、ご両親の遺言、無視しちゃっていいわけ? 」

「僕は名前も知らない、名乗らないアンタを信用できない。両親の遺言のことだって本当かどうかなんて分からないしね」

男はタバコを咥えたまま、真っ白な封筒をスラックスのポケットから取り出した。少ししわくちゃになっているその手紙のあて先は『想儀屋 黒淵定(くろふちさだめ)様』と間違いなく母の筆跡で書かれている。

「どーぞ」

「ねぇ、タバコは大事に胸ポケットに仕舞ってたくせに、その想儀屋とやらの依頼人である僕の両親から預かった手紙は随分と雑に扱うんだな」

「生意気だねー。大体ね、そもそもキミは両親の職業知ってたけど、その内容は知らなかったよね? 」

「え? アンタ知ってんの? 」

僕の両親は、日本の政府機関で人間の喜怒哀楽の感情について研究を行っていた。父親は脳心理学の博士で、母親は精神科医だった。幼いころから二人の職業は製薬会社での工場勤務だと聞かされていたが、実際は国の研究施設で人間の感情コントロールについての研究・薬の開発に尽力していると二十歳の誕生日の時に聞かされ驚いたことを思い出す。

「俺、愛斗くんの両親と一緒に仕事してたから色々教えてあげようかと思ったけどやーめた」

黒淵は封筒をひらひらと僕の目の前で振って見せる。

「どうでもいい」

半分本心で半分は虚勢だ。

両親は恐らく他人の悪意が聴こえてくる僕に、他人の声が聴こえなくなる薬か何かの研究もしていたんじゃないだろうか?

いつも僕のことを気にかけてくれ、どんなに忙しくても朝だけは必ず、母の手作りの朝食を家族揃って食べていた。ささやかで当たり前の幸せ。でももう、いつも僕と僕の心に寄り添ってくれた両親はもういない。永遠に会えない。ならば今更両親のことを聞いて何になるんだろうか?また哀しい記憶が一つ増えるだけだ、そんな気がした。

「ほら、考え事はあとにして読んでよ。俺が怪しいヤツじゃないってことはわかると思うぜ」

僕は黒淵を睨み上げると封筒をふんだくり、すぐに中身を広げた。