「な、に……?」

火華と目と目を合わせて話すのは滅多にない為、途端に緊張してくる。僕の心臓がトクトク音を立てていくのが分かった。

「いってやれ、火華」

火華は黒淵の言葉に、首を傾げながらにこりと笑った。

「……この仕事の意味は……その人に『気づかせてあげる』ことだよ」

火華の声は不思議だ。あんな力があるからかもしれないが空気が凛と研ぎ澄まされるようで、それでいてパイプオルガンの高音のように心の芯まですっと入ってきてとても心地よい。

「気づかせてあげる……こと? 」

「うん。たとえ恋人でも家族でもその人の心が丸ごと分かるわけでも寄り添えるわけでもない。自分の心に寄り添ってあげられるのは自分自身だから……だから心の中の要らないモノは供養して空に返してあげるの。その人が少しでも楽になれるように。そして自分自身を好きになってくれるように……」

火華は言葉を吐き出し終わると店の入り口へとゆっくり歩いていく。そしてまた積み重なった辞典の上で、今度は猫のように丸くなった。今度は、黒淵が火華に向かって歩いていくと自分のスーツのジャケットを脱いで火華にそっとかけた。

「愛斗にも、いつか気づいてほしいけどね。愛斗しか持ってないモノや愛斗にしかできないことをね」

黒淵はいつになく真面目なトーンでそういうと吸い殻で溢れそうになっているアルミの灰皿に加えていたタバコを突っ込んだ。僕は黙って少年漫画コーナーの本棚の前に移動すると、僕の定位置である木製の踏み台の上に腰を下ろした。

「ほら、愛斗っ」

こちらに向かって放り投げられたリンゴを僕は落っことしそうになりながらなんとかキャッチした。

「夕飯食っとけよ」

黒淵が形の良い唇を持ち上げるとニッと笑った。

(夕ご飯がリンゴね……)

──リンゴの実の花言葉は『後悔』。リンゴの花言葉は『選択』。

黒淵からリンゴをもらうのは二度目だ。僕は黒淵に初めて会った日のことを思い出しながら、真っ赤なリンゴに噛り付いた。