俺の名前は暗木ラク。どうでもいいことだが、上から読んでも下から読んでも「クラキラク」だ。回文のようだが、本名だ。俺の性格は、根暗で神経質で疑り深いし、人間嫌いだ。だから、人に興味はない。男友達、女友達、恋人など全く不要の産物とでもいおう。
 俺は周りを見ることなく、目を背けて生きてきた。ここは俺の世界一リラックスできる自分の部屋だ。友達すらも(友達はいないのだが)入れたことのない俺の空気で固めた部屋になぜ、同じくらいの歳の女がいるのだ? 理解ができない。
 一応、高校生をしているが、いつも一人でただ生きているのが気楽でとても心地いい。変わり者だと言われても仕方ない。見た感じも暗さ全開だ。前髪を長めにして、顔を隠して、声を極力発しない。目立たないように生きている。人前に立って何かするとか空気を読むとかそんなことは面倒だ。だったら読まなければいい。俺が空気になる。無難に静かに暮らしたい、それが俺の願いなのに――
「おまえは、誰だ?」
 不審者や侵入者、泥棒かもしれないと思い、久々に声を出す。
「私は、ラク君の女神だよ」
「はぁ?????」
 俺は、全力で驚いた。自分で女神とか言っているあたり、頭がおかしな女子らしい。やっぱり通報したほうがいいのではと思った。
「私のことは他の人間には見えないの。ラク君しか見えないんだよ」
 女神は鏡で俺の姿を映す。隣にいるはずの女神が鏡には映っていない。おかしな話だ。もしや、幽霊か? 俺がとりつかれたとか? 怖い気持ちが合い混じりながら聞いてみる。
「お、おまえは幽霊か? 呪いの類なのか?」
「違うよ、女神」
「消えてくれ」
 俺は人間が嫌いだ。こいつは幽霊の類かもしれないが、面倒なことに関わりたくない。
「ラク君は人間が嫌いなんじゃなくて苦手なだけだよ。私が消えるには、ラク君が私を好きにならないとだめなの」
「はぁ? 今すぐ失せろ、迷惑だ」
 こういうときは塩対応が一番いいはずだ。
「でも、神様から命令されているのよね。暗木ラクが私を好きだと思うまで、ずっとそばにいろって」
「神様? そんなものいるわけないだろ」
「でも、私は女神だし」
「どこまで本当かわからんな、幽霊が適当な嘘をついているんだろ」
「私、幽霊じゃないよ」
「じゃあ神の類なのか? 妖精とか?」
 ありえない言葉を並べてみる。
「お前を好きになるなんて無理だ。俺は今まで人間を好きになったことがない。友達もいないからな」
「だから、試練としてラク君を与えられたみたい。簡単に人を好きになるような相手だと試練にならないでしょ」
「消えてくれないか」
「鬼対応だなぁ。基本、ラク君の傍から離れられなれないんだよね」
「24時間監視する気か?」
「そうなるかな。好きになってくれたら、いなくなるからさ」
「じゃあ、好き、これでいいだろ」
 心にもないことを言う。一応生まれてはじめての告白だが、感情は1ミリもない。
「嘘の好きだと、私、ラク君から離れられないから」
 愛情なしの好きじゃだめか。
「私、この世にいないものだと思っているでしょ。でも、この世界のどこかで生きている人間なの」
「嘘だな。人間が宙に浮いたりするはずはないし、勝手に侵入できるはずもない」
「じゃあ、人間だっていう話を信じて私が何者なのか探ってよ。仕方なく、陰湿な男子のそばにいなければいけない日本一かわいそうな女の子が誰なのかだっていうことを当てて」
 女神は俺の方に手を伸ばすが、透けてしまい、接触は不可能のようだ。やっぱり、幽霊か悪魔なんじゃないのか? 俺は、ついその辺にあったお守りを握り、女神に向かって消えてくれと心の中で叫んだ。
 しかし、女神は消えない。
「何してるの? 私、ずっとこれからラクの近くにいるから安心してね」
「なんだよそれ、俺は1人が大好きなんだ。しかも呼び捨てかよ」
「ラクを24時間見守るのが私の仕事だし。まあ呼び捨てでもいいでしょ」
「はぁ? 寝てるときもそばにいるつもりか?」
「仕方ないのよ。これは私自身のためなんだから。これから、私の正体でも暴いてみたら」
 余裕の笑みの女神。
「新手のストーカーだな!!」
 どうやら俺は何者かにとりつかれたらしい。そして、静かな平穏とは程遠い人生になってしまったらしい。暗木ラク、《《暗をとるとキラク》》が残る名前になっているのだが、どうやら《《気楽という一番人間として大切な生活の安心感を失った日となったのだった。》》俺はトータルで女神に負けたような気がする。敗北感だけが残った。
 学校に女神はついては来ない。途中まで登校に付き添っていたりするのだが、なぜかあまり学校にいるのが好きではないようで、俺のそばにはいない。つまり、ようやく静かな一人の時間が学校という場所で訪れたということだ。女神は学校が嫌いなのだろうか? でも、あいつがいないほうが女神調査がはかどる。別にずっとそばにいなくてもいいなら、俺の部屋に入り浸るのはやめてほしい。地縛霊ってわけでもないみたいだしな。俺から離れることも可能なようだ。
 いつも通りの学校でいつも通りの時間が流れた。そのまま掃除が終了すると帰宅の途につく。いつもどおり鍵をあける。そして、いつもどおり誰もいない家に帰り、電気をつけた。
「ハッピーバースデー!! ラク」
 電気をつけると同時に女神がクラッカーを鳴らす。机の上には1ホールのケーキがろうそくと共に置かれていて、花束まで置いてあった。
「おまえ、これを準備していてついてこなかったのか?」
「まぁ、それもあるけど、学校ってそんなに好きじゃないし」
「これ、全部用意したのか?」
 結構簡単に準備はできるようだったが、俺はその気持ちがとてもうれしかった。生まれて初めて祝ってもらったのだから。そして、俺はケーキをたらふく食べた。
「女神は食べないのか?」
「私は食べなくても大丈夫な体なのよ」
「俺は女神に触れられないけど、おまえから物に触れることってできるのか?」
 すると女神がすっと俺の近くに来て、手を握った。
「おめでとう」
 それは一瞬だったが、女神側からは触れることができる事実が証明された。しかし、体温とか温かさは何もないようだった。やはり死人だろうかなんて疑ってしまう。
「女神の呪いとかではないよな? 触れられたら俺の体も気体になるとか」
「ここは胸キュンするところでしょ。あきれた性格だわ」
「ラクの髪はさらさらしていてきれいだね」
女神が突然褒め出す。そんなことを言われたのは生まれてはじめてだ。今日は何もかもがはじめてのことばかりだ。どちらかというと暗くて苦手とか、キモイとかそういった扱いしかされていなかったように思う。だから、きれいなんていう言葉はとてもくすぐったい単語だった。今日は俺の完敗だ。そんなことを思っていると――
「乾杯!!」
 ジュースを用意した女神が祝ってくれた。父親は深夜にしか帰宅しないし、自宅に帰らず職場に泊ることもしょっちゅうで、気兼ねすることもない。もっとも、女神の存在は俺にしか見えないので、誰かに見られたら一人でひとりごとを言う、危ない奴にしか見えないだろうが。やっぱり俺の完敗だ。
「俺に好かれたらめっちゃ金がもらえるとか、実は女神同士の罰ゲームだったりして?」
「疑り深いなぁ。そんなわけないし。性格曲がりすぎだし、被害妄想強すぎ」
じっと俺は女神の瞳を見つめた。嘘をついていないか目を見ればわかるというからな。
「そんなに穴が空くほどみないでよ! にらめっこは苦手なんだから」
そう言うと女神は視線を反らす。あ、今俺の勝ちだな。俺はそんなどうでもいいことを考えてしまう。やはり俺は、素直に喜ぶとかそういった思考が苦手なようだ。まあ、俺はこいつの正体を暴いてみせる。何の根拠もないがな。
「そういえば、ラクって成績いいんだよね? 県内一の進学率の高い高校で、ずっと一番なんでしょ」
「成績はいいけど。――そういえば、入学して一番最初のテストの時は2番だったけど、ずっとあとは1番だな」
 俺は普段自慢する相手もいないので、得意気に語ってみた。しかし、なぜ知っているんだ。これは正体を暴くチャンスかもしれない。
「ラクって努力型なの? だって、友達いないし、部活もなにもしていないから、勉強くらいしかすることないって感じでしょ」
 俺は、先程から軽く見下す女神という得体のしれない女に対していら立ちを感じていた。
「私も実は成績が良かったんだよね。学年1位だったし」
女神の真実がひとつ明らかになる。成績優秀らしい。
「今は違うのか?」
「こういう状態だからテスト受けられないのよ」
 ここはなんともリアクションがしずらい。女神という存在がよくわからないからだ。幽霊で死んでいるならば気の毒だとも思えるし、生きているならばなぜこんなことになっているのか、なぜテストが受けられないのかもよくわからない。
 とりあえずここにいる女神の正体をまず知っておかなければ。俺のそばから離れてもらう方法がわかるかもしれない。
「おまえ、生きているのか?」
「うん、この世界のどこかでね」
「今、おまえはこの世界では、意識はないってことか?」
「なんで?」
「俺と話しながら、もうひとつの自分の生活を送るなんて無理だろ」
「それはそうだけれど」
 俺は今になって、学年で一度だけ1位を譲ってしまった生徒のことが気になった。どうせ最初だけがんばったとか、まぐれだったのかもしれないが、なんという名前だったのだろう。たしか女子だったような気がする。気楽に聞くことができる友達もいない俺は、スマホで毎回自分の学年順位を写真に収めていることを思い出す。なんとなく、気になったのだ。どんな奴が俺以上の成績を取ったのか。はじめて他人に興味をもったような気がする。
 女神がその辺でくつろいでいるときに、俺はスマホで写真をチェックする。記録のために貼りだされた成績表の順位の名前をスマホに収めていた。つまり、自分の名前の前後の名前も記録されているということだ。もちろん、チェックしたのは、女神からはスマホの画面が見えない位置にいるときだ。
 その映像によると、同じクラスの女神燈子《めがみとうこ》が最初のテストで1番をとった生徒だったらしい。そんな名前の生徒いたかな? 俺は人に興味がないので、クラスメイトの顔と名前が一致していないし、覚えようとも思っていないので、どの人が女神燈子なのか、わからずだった。そして、女神という変わった苗字と目の前にいる女神が同じ名前を名乗っていることに気づいた。
 翌日、学校で女神という人物を探したが、来ていない。不登校なのだろうか。でも、確認する話せる友達もいない。俺は、途方に暮れた。
 朝のホームルームの時間、俺はほとんど話を聞いていないことが多いのだが、今日はあるワードに反応して真剣に耳を傾けた。
「実は、現在入院中の女神燈子さんのことでみんなに報告がある。いまだ、意識はない。しかし、みんなからひとこと書いた色紙を送ろうという話が一部の生徒から提案があった。そこで、今日は色紙を書いてもらい後日病院に届けることにした」
 女神燈子が入院? どこの病院だ? 病気なのだろうか?
 クラスの集合写真が壁に掲示されていた。それは、今まで興味もなく見たこともなかったが、4月の新学期に全員で桜の下で撮ったものだった。俺ははじめてクラスメイトに向き合った。毎日見ているのに、写真を見ても顔を覚えていない俺はどこかおかしいのかもしれないし、見ないように意識を逸らしているのかもしれない。
 写真に写る人間を端から順番にひとりひとり見る。はじめて他人の顔をじっと見たような気がした。しかし、いつのまにか他人を見ようともしなくなっている自分がいた。知らない顔ばかりの中に、最近よく見る女子の顔があった。女神だ。やっぱり女神燈子が女神だったのだ。というか女神って女神様ではなく本名だったらしい。しかし、彼女の入院を知らなかった。クラスメイトにも関わらず彼女の存在も入院の原因も知らない俺はどうかしているな。はじめて自分を客観的に見ていた。
 俺は、入院の事実を知らないふりをすることにした。女神燈子という名前で生きているが、入院中であり、俺と同じクラスの女子だということまでは突き止めた。しかし、なぜ女神が俺のところに毎日入り浸っているのだろう。自分の体に戻れないのだろうか?
 今、交通事故で意識不明の入院中の女神燈子。女神という名前は嘘じゃなかった。そして、俺はその日、教師が口にした女神が入院しているという病院に向かう。事故で命が消えかけているっていうのになんであんなに明るいんだよ。
 放課後、病院へ向かう。女神は学校にはついてこないから安心して行動できる。入院病棟には面会時間があるが、病室へ向かうと看護師がちょうど通りかかった。
「あら、ここの患者さんは、家族以外面会謝絶だから」
 と事務的に言ってそのまま行ってしまった。でも、この目で見ないと絶対に納得いかないと思った俺は、扉を開けた。そして、病室に入る。
 そこには、寝たきりの少女が一人ベッドにいた。植物状態というのだろうか。俺はその姿を入り口から見たのだが、どうにもよくわからない気持ちになった。それは生まれて初めて人を尊敬したような気持だったと思う。動けない世界一不幸になった人間が元気に俺に話しかけて来る日々を思い返すと、せつないというか、尊い気持ちになった。俺が同じ立場ならば、普段から暗いのだから、寝たきり状態になったらもっと暗くなるだろう。もし、誰かのところに幽体離脱しても、絶対に明るくふるまうなんて無理だろう。ひとかけらも辛さを見せなかった女神を思うと自然と涙が流れた。彼女の人間としての強さに尊敬の念を抱いていた。
「見ないで。ようやく私の正体と存在に気づいてくれた」
 女神がいつのまにかいた。やっぱり見張っていたのか。
「私が動けない姿をラクには見てほしくないの。私が学校についていかなかったのは、元気なみんなと本当の自分を比べたくなかったからなんだ」
 俺は気づかれないように涙をぬぐった。女神だって弱い部分があるのに、ひた隠している。そんな全身全霊で元気を演じた女神に俺は完敗した。
「なんで、おまえは生きているのに幽体離脱状態なんだよ」
「実は、死神様って名乗る者が私のところにやってきたから、私と勝負しないかと持ち掛けられたの」
「死にそうな人間がよく、勝負なんて引き受けるな」
「だって、そのまま死にたくないでしょ」
「その気持ちはわかるが」
「死神様が変わり者でね。生きたいのだったら人間が嫌いで、人を好きになったことがない男が同じクラスにいるから、そいつに好きになってもらえ。そうしたら、俺の采配で意識を取り戻して元気にさせてやるぞって言ってきたんだ」
「そいつ、大丈夫なのか? 悪魔とか悪い奴じゃないのか? そんな適当な約束で元気になるのかよ」
「でも、元気になれるならどんなことでもしようと思ったの。ただ、死んでいくしか、なすすべがなかったのだから。本当は根暗なラクに接する自信なかったんだ。同じクラスでも私の顔も名前も知らないくらい無関心だったし。でも、今は唯一話すことができる相手だから、楽しもうって思ってさ」
 どこまでも前向きな女神はすごいな。俺とは正反対だ。
『女神燈子。おまえの意識を取り戻してやる』
 どこからともなく声が響く。低く神聖な声という印象だった。
「死神様の声だ」
 女神が説明する。俺はあたりを見回したがそれらしい人影はいない。声だけだ。
「死神様、ラクは私のこと好きになっていないよ」
 死神様と会話する女神。
「好きには色々な形がある。暗木ラクは素晴らしい人間としておまえのことを認めている。流した涙が証拠だ」
「ラク、泣いてくれたの?」
「別に……」
 俺は、事実をひた隠す。
『恋愛感情より人として好きになってもらうほうが難題だ。お前はミッションをクリアした。さあ、特別な采配で元の健康を取り戻すことを許可する』
 すると女神の体から光があふれた。
「ラクは、人が嫌いなんじゃない。食わず嫌いなだけだよ。ありがとう、またね」
 その瞬間、女神の本体に意識が戻り、同時に俺のそばには女神はいなくなった。意識が戻ったことを看護師に伝えると、病院では医師や看護師が慌ただしく動き出した。俺は、そのまま誰もいない暗い自宅に戻った。そして、自分で電気をつけて部屋に入る。俺の部屋はいつも通りの静かな時間が戻る。俺の気楽な生活が戻ったのだ。それ以来、あいつは現れない。それは、命が戻ったと解釈すればとてもおめでたいことだったのだが――どこか寂しい毎日が流れた。何かが足りないような穴が開いたような感情が残る。俺はひとりぼっちになった。元々一人が大好きなわけだから、今まで通り過ごすだけなのだがな。
女神は自分が生きるために、俺に好きになってもらおうと必死だったわけだ。そうじゃなかったら、絶体に俺に好きになってもらおうとか、あちらから話しかけてくることもなかっただろう。薄暗い部屋で、一人になった俺は、そんな当たり前の理屈を受け入れていた。おめでたいのだが、どこか敗北感がつきまとった。

 あれから、数週間が経ったころ、俺はいつも通りのつまらない毎日を送っていた。そんなある日、俺が忘れ物を取りに放課後の教室に戻ると、一人見慣れた姿がそこにあった。かつてつきまとわれた女神の本体である生身の女神燈子だった。
「ただいま。明日から通常登校できるようになったから、先生に挨拶に来たの。一緒に帰ろう」
 女神が鞄を持って振り返る。ちょうど窓から夕陽が差し込んで女神を照らし出す。なぜか神々しい。
「俺と勝負して勝ったら帰ってあげようか」
 女神とならばコミュニケーションが取れるようになってることに気づく。他の人とは相変わらず話すらもできていないけれど。
 俺と女神は夕日に照らされた廊下を歩き出す。そんな放課後も悪くない。
 暗木ラク(アンラッキー)になるのか、暗木ラク(ラッキー)になるのか……女神次第になるのかもしれない。
(アン=暗、ラッ=ラク、キー=木)(暗いを取ると、ラッ=ラク、キー=木)