あの日からもうじき1週間が経つ。
 友達の家に泊まるとか家出とかいうごまかしが効かなくなってきて、お母さんたちは騒ぎ出している。
 事態は警察に届出を出す寸前まで来ていて、流石にやばい。
 でも、帰る気にはなれない。

 もしもわたしが元に戻ったら、七海くんとは会えなくなってしまう気がする。
 七海くんと会う時間は、かけがえのない時間だ。
 2人の間に、ほどよい距離感があるから、だろうか。
 七海くんは、わたしが消えた理由を尋ねて以来、踏み込んだ質問をしてこない。
 わたしを心配してか、相談には乗ってくれるけど、基本とりとめのない話ばかりしているから、七海くんについて、詳しいことは何も知らない。
 七海くんのとなりでいたいから、距離感を保つ。それだけだ。

 それに、日が経つにつれて『七海くんに会いたい』って気持ちが大きくなっていく。
 わたし自身も、この気持ちが何なのか、薄々だけど気づき始めている。

 でも、気持ちは伝えない。
 半分死んでるような身だ。
 こんな幽霊みたいなわたしが想いを伝えたら、彼は困ってしまうだろうから。

          *

「岩城、私服か」

「それは七海くんもでしょ。日曜なんだから普通だよ」

 目新しい七海くんの私服姿に胸が高鳴る。
 白いTシャツの上に薄手のシャツを羽織っていて、下に履いたパンツとも相まってすごく大人っぽく見える。

 今日は、2人で『県文化部展』に行くことになっている。
 なんでも、七海くんの写真が飾ってあるらしく、せっかくだから見に行こうということになった。

「岩城は他の人には視えないから、会場だと別行動になるな。流石にカメラ持ち回るのは変人だし」

「そっか。七海くんの解説とか聞いてみたかったなぁ」

「それくらい後から教えるけど」

 2人で並んで(他の人には七海くんしか視えないけど)、会場の県立ホールに向かう。

「あ、見て。すごいよあの看板」

「あぁ。立派だな」

 『県文化部展』と筆文字で書かれた看板はすごい迫力で、県内でもトップレベルの作品が飾られているんだろうなとすぐに分かった。

「この中に七海くんの作品があるんでしょ? すごいね」

「ま、北高は部活が強いしな」

「中高一貫だからだっけ?」

「ん。高校受験ない分、技術向上に時間割けるんだってさ」

 確かに、県規模の展覧会や大会になると、北高の名前をよく見かける。
 学校全体のレベルが高いってことなんだろう。

「お、七海!」

 明るい声に2人揃って振り向くと、50代くらいの男の人がニカっと笑っていた。
 たぶん、七海くんの顧問か何かだ。

「来てたんだな。お前の作品見たぞ。相変わらずだな」

「はぁ……」

 そのまま七海くんはおじさん先生に連れられて行った。
 申し訳なさそうにこっちを見ていたけど、別行動の約束だったし、七海くんがか気に病むことはない。

 1人残されて、会場の空気を深く吸い込んだ。
 この、なんとも言えない落ち着く香り。
 思わず笑顔が浮かんでくる。

 わたしは展覧会が好きだ。
 そんなところに行けば、自分の才能のなさを見せつけられて虚しくなるって分かってるのに、それでも行き続けてしまうのはなんでだろう。
 自分の作品が飾ってあるかもって、期待してるから?
 それとも、自分より下を探したいから?
 どちらにしろ最低だ。

「こんなすごいとこに、わたしレベルのものがあるわけないよ」

 誰に言うでもなくひとりごちって、会場を見回す。
 右に行けば書道、左に行けば美術、まっすぐ行けば写真、花道、技術作品、その他もろもろ。
 迷うことなく写真の区画へ行って、たくさん展示された写真の中から、七海くんの名前を探す。

「七海彩人、七海彩人……あ、あった」

 そこにあるのは、夜の廃校の写真だった。
 隣には『準グランプリ 1年 七海彩人』と書かれた紙が貼られている。
 去年の作品みたいだ。

 準グランプリって、すごいな。
 七海くんは写真がすごく上手だから、そんなに驚くことじゃない。
 でも、1年で2位相当って、相当すごいんじゃないかな。

「あ、けど、なけなしの佳作はウザいって言ってたな」

 でも、これはなけなしなんかじゃないか。
 じっくり眺めてみると、七海くんの工夫が見えてくる。
 荒れ果てた廃校に差し込む夜の光。
 その光によってできる机の影が怪しげになるような配置。
 なるべく光が見えないように景色を切り取っている。
 黒と灰色だけで撮られた写真。
 昔見た写真もそうだけど、こんなに少ない色で心情を表現できるのって本当にすごい。
 黒で表現することの難しさは、書道部のわたしがよく知っている。

「すごいなぁ……」

 七海くんのだけじゃない。
 この会場には、すごい作品がいっぱいある。
 わたしとそう歳の変わらない人たちの、大人に顔負けしない作品が展示されている。
 すごいとしか言いようがない。

 書道の区画へ行くのはなんだか怖くて、美術の方へ足を踏み入れる。
 まるで写真みたいにリアルな絵がたくさんだ。
 そのなかに、七海くんの絵があった。
 正確に言うと、七海くんの写真みたいな絵があった。

 中学1年生の作品らしい。
 『わたしの家族』というタイトルで、県美術展のグランプリ作品。
 赤、青、黄、緑、紫、橙で塗られた6人の人影。
 表情は描かれていないのに、幸せそうな顔をしているんだろうな、と伝わってくる。
 この作品も、使っている色は少し多いけど、それでも人を1色で塗り上げているところは七海くんと似ている。
 でも──

「なんか、この絵はあたたかいな」

 七海くんとテーマが違うから、感じることが違うのは分かる。
 だけど、七海くんが前に言っていた言葉が引っかかる。

 ──息苦しくはならないけど、色が消える。

 色が消えて、七海くんの世界に黒と灰色しかなくなっちゃったのなら、あの廃校を撮ったとき、七海くんは苦しんでいたのだろうか。
 あの目の写真もそうだ。
 あれも真っ黒だった。

 七海くんの写真からは、苦しさが痛いほど伝わってくる。
 それが、七海くんが本当に感じていた気持ちをそのまま表現していた故に感じる気持ちなら。

「1年のときから、苦しんでた?」

 先生に話しかけられてげんなりしている背中を見つめる。
 あの背中で、苦しさを背負い続けているんだろうか。
 1年からなら、わたしよりずっと長くだ。

 1人で背負い込んで、投げ出すこともできずに、写真に気持ちをぶつけて──?

 暗い話題になったときの七海くんの反応をふと思い出す。
 いつだって彼は肯定してくれた。
 でも、それは優しさじゃなくて、ほんとにそう思ってた?

 考えれば考えるほど、嫌な想像が浮かび上がってくる。

 ──七海くん、君は何に苦しんでるの?

 わたし、七海くんのことを何も知らない。
 何があったのか、どういう風に生きているのか。

 まだ出会って1週間だけど、それでも。
 わたしの苦しみだけぶちまけてしまって、七海くんが苦しんだままなのは嫌だ。
 だから──。

「救いに行くよ。七海くん」