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 授業が終わり、昼休みになった瞬間、おれは教室を抜け出す。
 そして人のいない生物室に逃げ込む。
 生物室は、薬品の臭いがしたりいろいろな模型が置いてあったりして、生徒たちはあまり寄り付かない。
 それさえも、おれにとっては好都合だ。

「ねぇ」

 弁当箱の蓋を開けようとした瞬間に、小さな子供の声がした。
 でも、学校に子供なんているわけがない。
 きっと気のせいだ。
 岩城の言うとおり、おれには霊感があるのかもしれない。

「ねぇ、聞こえてるんでしょ? ちーちゃんの声」

 気のせいだなんて言えない事態になってしまった。
 子供に制服のシャツを引っ張られている。

「……なんだよ」

「お兄ちゃん、恵真のことが好きなんでしょ」

 にぃっと不気味に笑うその子供。
 突然図星を刺されて言葉が詰まった。

「ちーちゃんは知ってるんだよ? お兄ちゃん、恵真に一目惚れしたんだ。ピンク色の写真を撮りたいって思ってる。だけど、大切だって思うのが怖いんでしょ? 知ってるよ。ちーちゃんは物知りだもん」

 ちーちゃんと名乗るその子供はケラケラと笑って、おれから手を離さない。

「いいの? 恵真はいなくなっちゃうよ?」

「……は? 今日も会おうって約束して──」

「無駄だよ」

 笑顔の少年の瞳には温度がない。

「だって、恵真は消えるんだもん」

 さっきからふわふわとかわされて、話の核心に迫れない。

「ぜーんぶ教えてあげよっか? 恵真は、恵真を大事って思ってくれる人がいないと消えちゃうんだよ。お兄ちゃんが『大切だ』って伝えないと、完全にいなくなっちゃう。
 ──あ、でも、そっちの方がちーちゃんは嬉しいなぁ。恵真とずっと一緒にいられるし、こっちの世界は空気が綺麗なんだもん。
 早くしなよ、お兄ちゃん。真実の愛をちーちゃんに見せて?」

 馬鹿にするように笑ったあと、その子供はふつっと姿を消した。
 意味がわからない。
 岩城が完全に消えるとか、真実の愛だとか、馬鹿げてる。
 でも今の事態──人間が姿を消せることだって、もうすでに馬鹿げてる。
 だから、あの子供の言うことも、本当なのかもしれない。

 岩城がいなくなったら、おれは。
 おれは、壊れてしまうだろう。

 岩城のためにも、おれのためにも、この気持ちを伝えることがいちばんだ。
 でも、拒絶されたらと思うと、怖くて仕方がなくなる。

「無理だ…………」

 立っていられなくて、ずるずると座り込む。

 あの子供に言われたって、どんな理由を並べられたって、おれは結局。
 怯えて何もできずに、うずくまっているだけなんだ。