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「天御門星は、まだ見つからぬのか?」

 星との連絡がとれなくなって、すでに三日が経っている。
 後宮内で雷烈に封印術をほどこし、雷烈が少しの間休んでいた間にいなくなったのだ。
 後宮内で行方知れずとなったことで、和国からわざわざ呼び寄せた陰陽師でさえ敵わぬ妖が後宮には潜んでいるのだと噂になっている。

「陛下、後宮内で宦官以外の、しかも和国の者がいればすぐに気づきます。ですが誰も見ていないということはすでに……」
「……だまれ」
「和国の陰陽師がいなくなってから陛下はほとんど休まれておりませんし、あきらめられては……」
「黙れと言っておろう! 和国から呼び寄せた客人をぞんざいに扱っては庸国の威信にかかわる。星は、陰陽師天御門星は必ず生きている。探すのだ」
「は、はい! 仰せのままに」

 雷烈のあまりの剣幕に太監は「ひぃ」と小さな叫び声をあげ、慌てて去っていった。

 庸国の若き皇帝雷烈は、和国から来た小柄な男の陰陽師に懸想(けそう)している──。
 今や後宮内でも噂となっていることは雷烈も知っていた。だがそんなことはどうでもよいことだった。

(星、おまえは今どこにいるのだ。星がおらねばオレは鬼の力を抑えられぬ。何よりオレは星のことを……)

 星の正体が女であることに気づいているのは雷烈だけだ。星がなぜ男装してまで庸国にいるのか雷烈は知っているし、できるだけ協力してやりたいと思っていた。
 一方でひとりきりとなってしまった星を、このまま庸国に留めておきたいと思い始めていた。雷烈に眠る鬼の力を抑えてもらいたいためであったが、星の前でだけはすべてをさらけ出せることを雷烈自身も自覚していた。
 愛されることに慣れてない少女が時折見せる笑顔、雷烈の裸を見てしまった時に見せる恥ずかしそうな表情、封印術を操るときの凛々しい顔……。
 星の何もかもが雷烈は愛おしい。

(とっくに気づいていたさ。星がオレにとって大切な存在となっていることに。だが兄の仇を討ちたいという星の思いを無視するわけにはいかなかった)

 星がいなくなってしまったことで、星への狂おしいほどの恋情が芽生えていることを雷烈は自覚してしまった。もはや思いは止められそうもない。

(星、必ずおまえを見つけ出す。待っていろ)


 ***

 星は夢を見ていた。双子の兄である優が生きていた頃のことを。
 閉ざされた館を出ることは許されず、書物と夜空に輝く星々だけが星の慰めだった。
 母は亡くなり父からは見放され、兄の優だけが星のすべてだった。
 優が星を守って死んでしまったことで、この世界に絶望した。兄の仇を討ったら、自分も天に召されよう。星にとってこの世には何の未練もなかったのだ。
 ところが庸国の皇帝雷烈は、星の孤独をすべて受け入れてくれた。「ありがとう」と感謝の言葉を伝えてくれる。雷烈と共にいると、絶望が未来への希望にぬりかえらえていく。できることならずっとそばにいて、雷烈を支えていきたい。

(雷烈様を守れるなら、私は何があっても怖くはないわ)

 雷烈を守りたい一心で、栄貴妃に黙って捕らえられた星。嫉妬にかられた栄貴妃が、自分にどんなことをするのか考えるだけで恐ろしい。それでも星は、雷烈の負担になりたくなかった。

「雷烈様……」

 かすかな光にすがるように、星は雷烈の名を呼んだ。
 会いたい。あの方に。せめてあと一度だけでも──。

「わたくしの前で、陛下の名を呼ぶとは、なんて無礼な『女』なのでしょう」

 栄貴妃の冷たい声が、星の意識を喚び醒ます。
 
「おや。ようやく目を覚ましたのね。さぁ、もう一度始めましょうか。今度は何をしてほしい? 水の桶に顔をうずめる? 女官に頬を叩かせるのも楽しいわね」
「…………」

 星を捕らえた栄貴妃は、自らの宮殿に連れ帰ると、嬉々として星を虐め始めた。星を守るために、雷烈が栄貴妃を怒鳴ったのが許せなかったのだろう。
 なぶられるうちに衣がはだけ、星が女であったことが栄貴妃に知られてしまった。

「あら、あなた。女人であったの? ふぅん、そう……」

 星が女だと知ると、栄貴妃は星の顔をやたらと叩かせるようになった。頬が腫れ、口の中が切れて血がでても、星はうめき声をあげることなく我慢した。

「叫んで許しを乞えばいいのに。許すつもりはないけれど」

 三日間もの間、星は栄貴妃の仕打ちに耐え抜いた。泣いて詫びでも、栄貴妃は星をさらに攻撃するとわかっていたからだ。

「泣き叫ぶと思っていたのに、つまらないわねぇ。そろそろ捨てようかしら」

 なぶるおもちゃに飽きたら、栄貴妃は星を解放するだろう。その時を、星はずっと待っていた。ようやくその機会が来たようだ。

「な~んて。そんなこと言うと思ったぁ?」

 栄貴妃は星の顔をのぞきこみ、にたりと笑った。上品な貴妃の表情とは思えない。

「おまえ、まだ気づかないの? わたくしがなぜおまえを捕らえたのか。ただ虐めて楽しむつもりではないのよ?」

 星には意味がわからなかった。栄貴妃は何を言おうとしているのだろう。

「うふふふ。『人間』というのは本当に愚かよねぇ。復讐するつもりでここまで来たのに、すっかり忘れて陛下に夢中なのだから。愚かにもほどがある。滑稽で笑えてくるぞぉ」

 鈴のように軽やかな栄貴妃の声は、野太い男の声へと変わっていく。
 驚く星の前で、栄貴妃の背後に凶悪な気配が現れ始める。

「これは、この気配は……!」

 この気配に覚えがある。大好きだった優を殺した憎き、鬼。
 栄貴妃はかくりと倒れ、代わりに恐ろしい形相をした鬼が目の前に現れる。
 高貴な妃のひとりである栄貴妃に、鬼が憑いていたのだ。

「天御門家を襲い、優を殺した鬼だな!」
「ようやく気づきおったか。和国から庸国へ逃げて、後宮へと隠れた。この女はな、嫉妬と妬みで心が荒んでいた。ゆえに容易に憑りつくことができたわ」
「では後宮に現れる妖というのは」
「そうさ、他の妃から気力や霊力を奪い取るためだ」

 栄貴妃に鬼が憑りついていると気づいていたら、あっさり捕まったりしなかった。

「後宮の妃たちに、妖除けに強い香を使うといいと教えたおかげで、俺様が栄貴妃に憑いていると誰も気づかなかった。陰陽師であるおまえでさえもな。実に愉快だったぞ」
「おまえのせいで優は……絶対に許さないっ!」
「どう許さぬのだ? 囚われの身で」

 星の手を縄できつく縛ってあるのは、星が印を結べないようにするためだったのだ。今更ながら、自分の浅はかさに泣きたくなってくる。仇を討つために庸国まで来たというのに、まんまと騙されてしまうなんて。

「しばし楽しませてもらったが、そろそろ終幕としよう。おまえには死んでもらうぞ」

 鬼の手が星の細い首に迫る。囚われていては逃げることはできない。だがせめて何か反撃したい。
 星はありったけの力を込めて鬼に頭突きした。不意打ちだったためか、敵の鼻に的中したようだ。鬼は痛みでうめいている。

「おのれ、よくも!」

 怒った鬼は星の衣を掴み、ぐいっと持ち上げた。すると衣の中にしまっておいた霊符が、ひらりと落ちてきた。
 雷烈の鬼の力の一部を封印した、大切な霊符だ。
 鬼の手からすばやく逃れ、四つん這いとなった星は落ちた霊符を口と歯で噛んで拾い、唇でしっかりとはさんだ。

(印が結べなくても、やってみせる!)

 雷烈の鬼の力を感じながら、星は心の中で呪文を唱え始める。

(封印術天の印・解!)

 霊符が輝き始めたかと思うと、星のくちびるから宙に舞い、白い鳥の形へと変化していく。霊符の鳥は、縄で縛られた星の手にむかって勢いよく飛んでくる。
 霊符の鳥はくちばしの先で、縄を切った。すべて切れたわけではないが、手が動かせるようになれば印は結べる。

「封印術・星の印!」

 五芒星が宙に浮かびあがり、光を放って鬼へ向かって飛び、鬼の体に貼りついた。じゅう、と肌が焼ける音がして、鬼の体の中へと押し入っていく。

「ぎゃああっ!」

 完全に優位に立っていた鬼は油断しており、星の突然の猛攻になす術なくわめいた。

「おのれぇぇぇ」

 星は必死に鬼を封印しようとしたが、三日間食事をろくに与えられず痛めつけられた体では、これが限界だった。すでに立っているのがやっとの状態なのだ。

(せめて鬼を道連れにしてやる。雷烈様、最後に一目お会いしたかった……)

 覚悟を決めた星は、再び印を結ぼうと手を動かし始めた。
 呪文を唱えようとした、その時。

「星、そこか。そこにいるのか!」

 剣を手にした雷烈が、突如飛び込んできたのだ。

「雷烈様!? なぜここが」
「おまえ、オレの力を封印した霊符を使ったろう? あれでわかった。星が封印術を使ったのだと」

 雷烈を呼んだつもりはなかったが、結果的に雷烈に居場所を知らせる形となったのだ。霊符の力を感じた瞬間に、すべてをかなぐり捨てて走ってきたのだろう。

「あれが星の兄と、我が庸国の後宮を陥れた鬼か。皇帝雷烈の名にかけて、きさまを成敗してくれよう!」

 雷烈が剣を構え、鬼に向かって切り込んでいく。
 星も雷烈を助けるため、残った力で封印術を発動させる。
 雷烈が剣をふりあげた瞬間を見計らい、呪文を唱えた。

「封印術星の印・封!」

 五芒星が鬼の力を抑え込み、動けなくなったところを、雷烈が剣で一刀両断で切り倒した。

「ぎゃあああ!!」

 断末魔の叫び声をあげながら、鬼が倒されるのを、星と雷烈は見届けることができた。悪鬼は塵となり、完全に消滅していった。

「やった……やったわ、優」
 
 力を使い果たした星は、その場でふらりと倒れてしまった。

「星っ!」

 咄嗟に星を抱きかかえたのは雷烈だった。

「しっかりしろ、星!」
「雷烈様……」

 最後に一目会いたかった雷烈様が、目の前にいる。それだけで十分だった。

「雷烈様、星はあなた様をお慕いしております……。私は優が待つ天へと……」
「ダメだ、死ぬのは許さぬ。星、オレはおまえが好きだ。永遠にオレのそばにいてくれ」
「ですが私はもう……」
「星は死なぬ。オレが死なせるものか!」

 雷烈は星の頬にふれ、自分のほうへ顔をあげさせると、そのまま深く口づけした。
 雷烈に眠る鬼の力が、くちびるを通して星の中へと霊力を流し込んでいく。
 冷え切っていた星の体が少しずつ温かくなり、鼓動も力強く打ち始めた。

「星はオレのものだ。勝手に死ぬなど許さぬからな」

 星からくちびるを離した雷烈が、星の温もりを確かめるように、しっかりと抱きしめた。

「雷烈様……すき……」
「オレもだ。星を愛している」

 心から慕う人に抱かれる喜びを感じながら、星の意識は少しずつ遠くなっていった。