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 息を整え、手で印を結ぶと、雷烈に向けて星は封印術をかけ始めた。

「封印術・天の印」

 星が呪文を唱えると、『天』の文字が光を放ちながら宙に浮かんだ。
 雷烈が少し驚いていると、宙に浮かんだ『天』の文字は雷烈の体に覆いかぶさるように貼りついた。やがて吸い込まれるように消えていったが、すぐに雷烈の体に激しい痛みが走る。

「くぅ……」

 かすかなうめき声をあげたものの、雷烈は封印の痛みに必死に耐えていた。
 鬼の力の強さを思えば、封印される際の痛みは、床に転げ回って叫びたいほどであるはずだ。だが皇帝である雷烈が叫び声をあげれば、太監や宮女たちが何事かと飛んでくることになる。そうなれば封印術どころではないし、なにより星と雷烈の正体が発覚してしまう。それだけは避けねばならない。どれだけ苦しくても、雷烈には耐えてもらわなくてはならないのだ。

(やはり想像以上に抵抗が強い……! 何度かに分けて封じなければ抑えられそうにない)

 苦しいのは雷烈だけではなかった。封印術をほどこす星もまた吹き飛ばされそうなほど強い霊力に耐えながら、懸命に術をかけ続けていた。
 星が生まれた天御門家の封印術は特殊な力なのだと、優から聞かされたことがあった。天御門家の封印術を用いれば、どれほど凶悪な(あやかし)も化け物も、神でさえも封じることができるのだと。ゆえにその力は跡継ぎのみに伝えられ、秘かに守られてきたのだ。
 ところが鬼の襲撃を受けたことで、天御門家の陰陽師は星だけとなってしまった。優から力を受け継いだとはいえ、完全な封印術を星は知らない。

(それでもやるわ。お願い、優。力を貸して!)

 懐から白い紙を取りだし、すばやく鳥の形に折ると、雷烈にむけて印を結ぶ。白い紙の鳥は生きたように動き出し、羽ばたきながら雷烈に向かって飛んでいく。

「天の印・封!」

 雷烈の体から『天』の文字が再び浮かび上がり、今度は白い紙の鳥に吸い込まれていく。雷烈の鬼の力の一部を吸い取った白い紙の鳥は、寝所の中でしばし飛び回っていたが、やがて霊符となって地に落ちていった。
 
「少しですが、陛下の中に眠る鬼の力の霊符に写しとることで封じさせていただきました。ですがこれで終わりではなく……」
「わかっている……。何度も封じなくては、オレの中の鬼の力は封じられないということだな……」

 全力を出し切った星と、激しい痛みに耐えた雷烈。共に息も絶え絶えといった様子だ。

「これを何度もくり返さなくてはいけませんが、耐えられますか?」
「耐えてみせるさ。どれだけ苦しくともな」

 余裕の微笑みを浮かべている雷烈であったが、体中からとめどなく汗が流れている。どれほどの痛みであったか、想像できる気がした。

「汗をかかれたので着替えをしなくてはいけませんね。誰か呼びましょうか」
「必要ない。男の陰陽師と二人きりなのに、汗だくだったら、何をしていたのか疑われるぞ」
「そ、そうですね」

 雷烈はふらつきながら立ち上がると、着ていた(ほう)を無造作にはぎ取った。鍛え上げた雷烈の半裸身があらわとなり、汗をかいていることで、なまめかしいほどに艶めいていた。

「着替えと。ん? 星、どうしたのだ。顔が真っ赤になっているが」
「だ、だって。陛下、は、裸に……」

 皇子だった頃から多くの宮女や宦官に世話をされていた雷烈と違い、星は人の裸身を見たことがない。兄の優が自分と違う体であることは知識として知っていたが、見たことは一度もないのだ。

「星、ひょっとして男の体を見たことがないのか?」
「な、ないです。すみません、失礼いたします!」

 雷烈が男であることはもちろんわかっていたが、これまで意識したことは一度もなかった。皇帝という尊い存在、という認識でしかない。それなのにいきなりたくましい体を見せつけられ、星はすっかり混乱してしまった。
 寝所を飛び出ていくつもりが、封印術に全力を使った星の体は思った以上に疲弊していた。駆け出した瞬間、つるりと足を滑らせてしまった。

「きゃっ」

 後ろにひっくり返る形となり、頭をぶつけると思った星は頭を抱えるようにして身を縮めた。
 ところがいつまで経っても、頭に痛みを感じられない。それどころか大きな何かに体を支えられていた。
 
「星、大丈夫か?」

 気づけば星は、上半身が裸となった雷烈に抱かれていた。転ぶ寸前の星を、雷烈が咄嗟に守ってくれたのだ。

「はい、だいじょうぶ……って、えええっ!?」

 裸の雷烈の体が、自分に密着している。そのうえ、雷烈の美しい顔が星をじっと見つめている。心配してくれているのはわかるが、あまりに至近距離だった。汗ばんだ雷烈の体から強烈な男の色香を感じ、星は目まいがしそうだ。

「どうした、星。気分が悪いのか?」
「ら、らいしょうぶです。どうかお放しくだ、しゃい」

 庸国の話し方を忘れてしまうほど、星は狼狽していた。顔も体も、湯気がでそうなほど熱くなっているのを感じる。
 どうにか手を離してもらいたいのに、なぜか雷烈は星をがっしりと抱いたままだ。
 やがて雷烈は星を見つめながら微笑んだ。

「男の姿をしているから、女であることを捨てているかと思ったが、可愛らしい反応をするものだ」
「か、かわいい……?」

 一度も言われたことがない言葉だった。恥ずかしさで頭がおかしくなりそうだ。

「どれ」

 悪戯心がわいたのか、雷烈は星の顎をくいっともちあげた。

「よく見れば、顔立ちもなかなか愛らしい。男の姿も悪くはないが」

 星という少女に興味を抱いたのか、雷烈は星を離してくれそうもない。
 封印術で疲れたところに、皇帝からの突然の抱擁。転びそうになった星を救うためとわかっていても、もはや何も考えられなかった。

「星? どうした、星よ」

 皇帝陛下の呼びかけを聞きながら、星はかくりと気を失ってしまった。