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「私が女だと、いつ気づかれたのですか?」

 ようやく気持ちが落ち着き始めた星は、なぜ自分の正体がわかってしまったのか雷烈に聞いてみた。船に乗り込み、和国を出発してからずっと、誰にも女だと気づかれなかったのだ。

「最初の謁見(えっけん)の時だ。かすかだが、女の匂いを感じた。だが違和感もあった。男の匂いも交じっていたからな」

 ということは、最初の出会いから星が女であると感じていたことになる。どんな嗅覚をしているのか。まるで獣のようだ。

「男の匂いも交じっているとおっしゃいましたが、それはどういう意味でしょう?」

 男の姿をしてはいたし、動きも兄をまねるようにしていたが、さすがに匂いまでは真似できなかったと思う。

「おまえの中に、男の気配を感じるのだ。星に似ているから血縁者だと思うが、違うか?」

 驚いたことに雷烈は、双子の兄である優の力が星の中に宿っていることまで感じていたのだ。

「それは私の双子の兄です。兄の優は私を鬼から守り、陰陽師としての力を私に託して亡くなりました……」
「ではその兄の力が、おまえを守っていてくれたのだろう。他の者から見た星が女と気づかれないようにな」

 そうかもしれない、と星は思った。
 優はいつだって妹の星を守ってくれていた。そして天御門家の陰陽師として優秀だった。優のおかげで、星は誰にも正体を悟られなかったのだろう。
 残念ながら、鬼の血を引くという雷烈皇帝にだけは通用しなかったようだが。

「ありがとう、優……」

 天に召されても妹を守ってくれる兄の愛を感じ、星は泣いてしまいそうだ。

「男装してまで庸国に来たのは、その兄の死が関連しているということか?」

 涙がにじんだ目を拭い、星は慌てて顔をあげた。

「はい。兄の仇である鬼が庸国に逃げていったと聞きましたので」
「兄の仇を討ちたいわけか。よかろう、その仇討ちはオレも協力してやる。その代わり、オレの願いも忘れるな」

 優の愛情を感じ、涙ぐんでいた星であったが、雷烈の言葉で現実へと引き戻されてしまった。

(そうだわ。陛下に眠る鬼の力を封印しなくてはいけないのだった)

「お聞きしたいのですが、これまでは鬼の力は発動しなかったのですか?」
「お気楽だった末っ子皇子時代はな。皇帝なんてなるはずもないと、オレも周囲も思っていたから。だが様々な事情が重なり、オレは皇帝となってしまった。その頃からだ。自分の中に鬼の力が眠っていて、皇帝となったことで目覚め始めたのを」

 大国を統べる皇帝となったことで自身を奮起させた結果、鬼であった母親から受け継いだ鬼の力が覚醒してしまったのだろう。
 星は陰陽師として、そのように判断した。

「おそれながら、陛下の中にいかほどの鬼の力があるのか、視させていただきたいのですが」
「ああ、かまわんぞ」
「失礼いたします」

 雷烈にできるだけ近づき、星は両手をかざして目を閉じた。息を整え、全神経を集中する。優に託された知識と術を用いて、目の前にいる皇帝を霊視していく。

(これは……なんて力なの!?)

 陰陽師としてはまだ経験が浅い身ではあったが、そんな星でもすぐに感じとれるほど、雷烈に眠る鬼の力は強いものだった。圧倒的な精気と霊力。加えて父が皇帝であったからか、神気さえ感じられる気がした。
 必死に霊視しながら、雷烈が放つ霊力に星は引きずりこまれていった。
 星の意識の中に、美しい姿をした女人の姿が見えた。その隣には立派な身なりをした男性が連れ添っている。とろけるほど幸せそうに微笑む女人は人間ではない、と星はすぐに察知した。

(ひょっとして、この女性が陛下のお母様? では隣におられる方は)

 鬼であったという雷烈の母親は、庸国の前皇帝を誘惑してたぶらかし、関係をもったのではないかと星は思っていた。
 だが星の意識の中に見える雷烈の母と父は、このうえないほど幸福な様子だった。たぶらかされた関係とは、とても思えない。

(ひょっとして御二人は純愛だったのかも……)

 二人の愛が本物だったのではないかと思った瞬間。星の意識に見える雷烈の母、鬼の女が星に顔を向け、静かに頭を下げたのである。
 まるで「わたくしの息子をお願い致します」とでも告げているかのように。
 驚いた星は目を開けてしまい、二人の姿は視えなくなってしまった。

「どうした? ずいぶんと驚いた表情をしているが」

 星は乱れた息を整えながら、雷烈に視線を向けた。

「霊視の中で、陛下のお父様とお母様のお姿が視えました」
「そこまでわかるのか? たいしたものだな、星の力は」

「視えた」というより、「視させられた」が正解だろう。それほど雷烈の中に眠る鬼の力は強い。

「おそらく陛下のお母様は、かなり力の強い鬼だったのだと思います。そのため和国を追われたのかもしれませんが、恐ろしい方のようには思えませんでした」

 鬼というものは人間を獲物としか思っていない、極悪非道な存在だと星は思っていた。兄の優を殺した鬼のように。
 しかし極悪ではない鬼もいるのかもしれない。

「そうであろうな。母の正体が(あやかし)とわかっていても、深く愛していたと父は話してくれた。名家の出身ではないため、身分は下級の妃のままだったが、母が後宮にいてくれただけでも十分幸せだったとな。すでに母も父もこの世におらぬが、二人は確かに愛し合っていたと思っている」

 身分も立場も、種族さえも乗り越えて愛し合った二人から生まれたのが、目の前にいる雷烈皇帝なのだ。圧倒的な精気と霊力を有するのは当然のように思えた。

「それではなぜ、鬼の力を封印したいのですか? 大切に思ってらっしゃるのでしょう? お母様のことを」

 鬼の力を封印するのは簡単なことではない。なぜ鬼の力を封じたいのか、理由を聞かなくては星も術を使えないと思った。

「この庸国という国と民の安寧を守るためだ。父である前皇帝に託されたのだ。『庸国を、民を頼む』と。鬼の力でもって民を束ねるのではなく、人として民を幸せにしてやりたいのだ。そのためにはオレの中の鬼の力が、これ以上目覚めるのは困る」

 すべては国と民の平和のため。
 若き皇帝ではあったが、統治者としての雷烈の覚悟と才覚を感じ、星の体はかすかに震えていた。

(心して臨まなければ、鬼の力を封印できないかもしれない。それでもやる。やってみせるわ)

 心を決めた星は、姿勢を正して雷烈を見すえた。

「私がもつ全ての力を用いて、これより陛下に封印術をかけさせていただきます。強いお力を感じますので、陛下自身にも痛みを感じるかもしれません。それでも耐えられますか?」

 星の決意を感じたのか、雷烈はにやりと不敵な笑みを浮かべた。

「オレを誰だと思っている。どれほどの痛みであろうと耐えてみせるさ」
「わかりました。それでは始めさせていただきます」

 男装の陰陽師である星と、鬼の血を引く皇帝雷烈。
 不思議な繋がりではあったが、お互いの目的のため、二人は心をひとつにして挑むこととなった。