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真っ暗な中、一人の侍女が手提灯を頼りに夜道を歩いている。
場所は後宮内の西の区画。
新しい帝が擁立し、後宮の妃賓の総入れ替えが始まった。
昼間は輿入れしてきた多くの妃賓の荷物が溢れかえり賑やかだったのに、今はただ暗がりが広がるばかり。
「まったく、こんな夜中に職房に行けだなんて、侍女頭も人が悪い」
職房とは布を織る房室。帝がそれぞれの妃賓のために作らせた帯を取りに行くのをうっかり忘れていて、夜更けに取りに行けと命じられた。
本来ならそう急がずとも良いものを、主人が早く見たいと駄々をこねたせいで、提灯片手に慣れない道を歩き、職房の扉を叩き頭を下げ、嫌味を言われ帯を受け取ってきた帰り。
まったく役損だとばかりに侍女はため息をつく。
(やってられない)
こうなれば近道をしようと、まだ妃嬪が輿入れしていない空の宮を通り抜けるため、裏門からこっそり中に入る。仕えている宮の何倍もの広さ、井戸のあたりを通り抜けたころざわりと背筋に寒気か走った。
(気味が悪い)
何やら空気が濁っている、そう思った瞬間、侍女の前を白い影が侍女の前を横切った。
「ひっ」
悲鳴を上げて尻もちをつく侍女に気付いたかのように白い影は立ち止まり、近づいて来る。
近づくにつれ煙は人型となり、あろうことか腰を抜かした侍女の前にしゃがみ込むと、大きく口を開け言葉を発しようとする。
しかし、その言葉は侍女に届かない。
真っ黒な木の洞のような瞳。
はくはくと言葉を発せないのに動く唇。
髪は血でねったりと頭皮に張り付き、その枯れ枝のような手が侍女に伸び。
「ぎ、ぎゃぁぁ!!」
張り付いていた喉から悲鳴を発すると、侍女は這う這うの体で自らの宮へ転びかえった。
一新された後宮で起こった怪異の噂は瞬く間に広まり、帝が後宮に赴くのが延期された。
祈祷師が呼ばれ、宣託者が先祖の言葉を告げ、魔よけの札があちこちな貼られ。
それでも怪異は収まらない。
誰かが言った。
「こうなったら祓いやを呼ぶしかない」
※※※※※
秦の国は大陸のほぼ中央に位置する大きな国。
東と西が海に面し、北は山脈、西は砂漠が広がっている。
その王都、碁盤の目によって整備された街の片隅に、かつて栄光を誇った祓い屋がある。
しかし、今、幽鬼を祓うことができるのは陽蓮華一人だけ。
「蓮華、お前しかいないのだ、分かっておろう」
人にものを頼むにしては横柄な物言い。
代々祓い屋として生業を立てていたにも関わらず、祖父以降、その能力を引き継ぐものは現れなかった。
父も、その弟も、異母兄弟も。蓮華を除いては。
蓮華には二人の腹違いの弟がいるが、どちらも幽鬼を見る目をもたない。今は父の後に隠れた蓮華が幽鬼を祓い、それを父の手柄のように振る舞うことで辛うじて陽家は成り立っている。
女が家督を継げない以上、苦肉の策である。
「お父様と一緒に後宮に行けば良いのですね」
それならばいつもと変わらない。
場所が市井から後宮に、報酬を払うのが金持ちから国の頂に変わるだけ。
はいはい、と早々に立ちあがろうとした蓮華を父親は手で制する。
「今回の場所は後宮。本来なら男は入れない場所だ。そのため一人だけ寄越せと言ってきた」
「一人だけ」
予想外の言葉に蓮華の眉に力が入る。
「従って、お前は弟、蓮奏の振りをしていけ」
とんでもないことを平然と言う。
蓮奏はまだ十三歳。そんな子供を遣わすことを帝は納得したのだろうか。
(大方、いつもの持病の悪化を装ったのね)
都合の悪い時の近道の常套手段だ。
蓮華は十七歳。背丈は小柄で五尺ほど。
高い声も華奢な身体も十三歳の男児といえば通る、かも知れない。
佳人とはいかないもそれなりに整っている容姿は切れ長の瞳と涼やかな面立で、男児で通る、かも知れない。
凹凸の少ない身体は問題なく男児で通るだろう。
祖父により、祓いの技術は全て蓮華に受け継がれている。
自ら望んで得た技術ではない。泣きながら、鼻水垂らして、時には逃げて、捕まり棒で殴られ。素質のない父の代わりに無理矢理教えこまれた。
そらなのに、父は蓮華を労るどころか嫉妬から憎んでさえいる。
女では後を継げない、女の癖にと罵りながら、跡取りを作るためだと多くの妾を作ったが、今のところ素質のあるものは産まれてこない。
だから蓮華は祓い屋の仕事と、複数の女性を囲う男か嫌いった。