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 事故に遭うだけと言われても、やはり死ぬのはほぼ間違いないらしい。
 それに関しては最初から薄々分かっていたが、今になってそれは核心に変わろうとしていた。
 なぜかは分からないが、「この運命は誰かが犠牲にならなければいけない」と私の勘が言っていた。
 自分の死期が近づくと人間は心が穏やかになると聞いたことがあるが、いざ自分の心が穏やかになっていくのを思うと不思議な感じがした。
 不要なものが剥がれ落ちてゆき、これからの残り僅かな自分に必要なものだけが見えてくる。
 それに純粋に従い私は生活した。
 つまり、考えることをやめたのだ。
 演技もやめた。
 その途端心は見違えるように軽くなり、目には何気ないものが全部輝かしく映った。
 お母さんやお父さん、友達とのやり取り一つ一つが事細かく、それでいて深く脳に刻まれた。
 それでも尚、一番私の心を満たすのはやはり空人君だった。
 終業式の日、私たちは一緒に帰った。
 私にとっては最後だけど、そんなことなど微塵も思っていない空人君はとても無邪気だった。
「そう言えば二十五日ホワイトクリスマスになるかもしれないらしいね。」
「ふふっ・・そうなの?」
「うん。世界最大級のモミの木を雪と一緒に見れるなんて、この先二度とないかもしれないよ」
「そうだねぇ」
 私の心は極めて穏やかだった。
「なんか、あまり乗り気じゃない?」
「ん?なんで?」
「だって、いつもより元気がない気がするから」
「えー、そんなことないよ。
・・・ねぇ、空人君。
私のこと好き?」
「え?う、うん。好きだよ?」
 空人君は少し困惑していた。
「うん。私も好き。
・・・じゃあさ、空人君。
ぎゅってして?」
「え、でも、人が居るし・・・」
 私が空人君の前で腕を広げると、流されるがままにハグをしてくれた。
「・・温かい」
「そっか。それはよかった。
・・ねえ、やっぱなんかあった?」
「ううん。何にもないよ」
「そっか。ならいいけど」
 私の家に着くまで私たちはこの“傍から見れば痛い”やり取りを繰り返した。理由は、私が最後に空人君を“堪能”したかったからだ。
 他意はない。
 最後だと思えば、どんなに無茶ぶりな甘え方をしても許される気がしたし、実際に空人君は私の無茶ぶりにすべて答えてくれた。
 「私が部屋のベランダから顔を出すまで、マンションの入り口で待ってて」という最後の願いにも嫌がることなく答えてくれて、私はベランダから元来た道を折り返していく空人君の後ろ姿を見つめていた。
 空人君が小さくなっていく。
 あ、次の角で左に曲がっちゃう。
 そう思った時、空人君は一度振り返り大きく手を振った。
 私もそれに応えるように大きく振り返した。
 そして、姿が見切れるその瞬間まで彼の後ろ姿を目に焼き付けた。
 涙は出なかった。
 悲しくもなかった。
 それはきっと悔いがない証拠なんだと思う。
 それから私はギリギリまで、“身辺整理に似たような行為”を繰り返した。空人君にかけがえのないものをたくさん貰いそれが自分の一部となった私は、次にそれを誰かに与えたくなったのだ。
 どんなに些細な事でも心残りが出来ないようにと、お世話になった人たちに可能な限り配った。
 まるでサンタクロースになったみたいだった。
 お父さんとお母さんには日頃の感謝をありったけ伝えた。
 壱也君を含めた友達には、クリスマスプレゼントという名目でささやかな贈り物をした。
 こうやって貰いに貰い、配りに配った私にできることは、いよいよ“運命”を待つのみとなった。
◆◇◆◇
 その日は、部屋のカーテンを開けると世界が銀色に包まれていた。
 雪に太陽が反射して町中が輝いていて、クリスマスとしては完璧な一日になりそうだった。
 空人君の言ったことが現実になったのだ。
 外の景色以外はいつもと変わらない朝に、いつもと変わらない朝食を済ませた後、毎朝のルーティンを一つ一つ確実にこなして、身支度をした。
「集合場所の駅まで、電車動いてるかしらねぇ」
 玄関で靴を履いていると、後ろでそれを見守るお母さんが口を開いた。
 もちろん行くつもりはなかったが、安心させるためにお母さんには一応デートに行くと言っておいた。
「うん、大丈夫みたい」
「道滑りやすくなってるだろうから、気を付けるのよ」
「わかってるよ。
それじゃあ、行ってきます」
 このまま話していると決心が揺らぎそうだったので足早に家を出ようすると、お母さんは私の手を引き留めた。
「はい、これ。
空人君に会うまで指先だけでも温めておきなさい」
 そう言って私に握らせたのは一枚のカイロだった。
 こういう時に限って親というものは無遠慮な優しさを押し付けてくる。
 「ありがとう」と言おうとしたが、声を出すと震えてしまいそうだったので言えなかった。
 すると、お母さんはそんな私の背中を軽く叩き、
「ほらっ、遅れないようにいってらっしゃい!」
と笑顔で送り出してくれた。