それからは“幸福”というたった二文字に支配されたような日々が続いた。
 私と空人君の距離はゆっくりだけど着実に縮まっていった。
 そのじれったさが“私たち”という感じがしてそのたびに心は満たされた。
 しかしその代わりに、時の流れは恐ろしく早かった。
 タイムリミットが存在すると、体感的な時間の流れは飛躍的に上がる。
 楽しいという意味では“一周目”でも付き合い始めてからの時間の流れは早く感じたが、楽しさに約一年後という時間制限が設けられた“二周目”は比べ物にならないくらい早かった。
 季節が移ろい、気付いたら三年生になっていた私たちの現実に焦りを感じ始めて、人知れず心も移ろいやすくなり始めた私は必死にこれからの進むべき道を探していた。
 だからといって、空人君と付き合い始めたことを後悔しているというわけではなかった。
 むしろ、私の二周目の人生は一周目よりもっと多くのことを感じて、心が豊かになっていた。
 あそこで恋人同士になっていなかったら、私のその先の人生にはただ“運命”が待ちわびているだけで、今頃は腐っていただろう。
 その道中を鮮やかなに色どってくれたのが空人君だった。
 空人君の笑顔や何気ない優しさに触れるたび切なく思うことはあったが、私の表情作りは前と比べて明らかにうまくなってるようだった。
 あれ以来、心の隅に存在する小さな影を壱也君に見抜かれることはなかった。壱也君が見抜けないなら、空人君は気付かないだろうな。
 そんなことを振り返りながら、今私は自分の部屋のベランダから明かりに包まれた夜の街を眺めて、夜風に当たっていた。
 スマホをつけると 13 July と表記が出た。
 七月、例の“運命の日”まであと約五か月かぁ。
 ただぼんやりとそんなことを思いながら、空人君との昨日のメッセージ画面を開いた。

『今週末の花火大会、五時半に〇〇駅集合でいい?
そこから二人で歩いて行こう』

『分かった!!楽しみにしてる!しっかりリードしてくれるとか偉いじゃん。笑
ちゃんと彼氏してるね!』

 空人君のことだから壱也君に予定は自分から決めろとか言われたんだろうなぁ。
 そう思い、笑みがこぼれた。
花火大会か。
 “一周目”では私が―――
「未羅ー!ちょっと部屋から出てきてちょうだーい」
 記憶に飲まれそうになった瞬間、お母さんに呼ばれて我に返った。
「はーい。何?お母さん」
 そう言ってリビングの扉を開けると、
「ジャーン!」
とお母さんが何やら大きな布をバサッと私の目の前に掲げてきた。
 近すぎたので一歩引いて見た時、やっとその正体が分かった。
「え・・これ・・・」
 私は自分の目を疑った。
 こんなの予想してなかった。
「お母さんが着てたものよ」
 それは浴衣だった。
 一周目ではこんなことなかった。
 気合の入りすぎた私がわざわざバイト代を貯めて自分の浴衣を買ったからだ。
 それに気付いた時、目頭が熱くなった。
 しかもその浴衣は私が買ったものなんかよりずっとずっと綺麗だった。
 勿体ないことしたなぁ。
 そう思ったが、必死にこぼれ落ちそうになるものをこらえた。
「どお?
ふふっ・・綺麗で言葉も出ない?」
 私の気なんて知らないお母さんの楽しそうにはしゃいでる姿が、さらに私の感情を煽った。
「うん・・うん・・・すごく、すごく綺麗」
 我慢できずにこぼれ落ちると、その場にいたお父さんとお母さんは一度目を合わせ、優しく笑った。
「こっちへいらっしゃい。
一度着付けてあげる」
◆◇◆◇
 約三十分後、着付けが終わった私とお母さんは再びお父さんの所へ戻った。
「ど、どおかな」
 自分でもまだ鏡を見ていないので分からないが、お父さんの目は潤んでいた。
「・・すごくきれいだよ、未羅。
本当若い頃の母さんにそっくりだ」
「もぉ、やめてよ。恥ずかしいじゃない」
 二人が仲良さそうにじゃれ合っている姿がとても眩しかった。
 ・・・私も、空人君とこんな風に話せるときがくればいいのになぁ。
 視界が滲んでしまった。
「あら・・今日は泣いてばかりね。
せっかく化粧したのに崩れちゃうじゃない。
ほら、涙拭いて。
本番は明日なのに浴衣を汚しちゃ大変だわ」
 そう言って、お母さんがティッシュを箱ごと渡してきた。
「それと、はい」
 今度はお父さんが小さな紙袋を渡してきた。
 涙を拭きながら紙袋を開けると、また涙があふれてきた。
 中から出てきたのは、簪だった。
 先端についている朱色のビー玉がお母さんの浴衣にぴったりだった。
「・・いい子なんだろ?空人君。
お母さんから話はたくさん聞いてるよ。
いつも一緒に笑いながら帰ってくるのがベランダから見えるって。
毎回毎回家まで送ってくれるなんて優しい子じゃないか。
高校生最後の夏祭りなんだから、未羅の綺麗な姿、空人君に見せてあげなさい」
 “最後”なのはきっと“高校生”だけではない。
 無遠慮な二人の優しさが、私の心の奥の奥を潤した。
「もうっ、いい加減泣き止みなさい。
明日目が腫れたら大変だわっ」
 お母さんが涙を浮かべた笑顔でそう言った。