あの日以来、私の頭の中は散らかったままだった。
 気が緩んだせいで図らずとも空人君と接触してしまい、それを情けなく思う一方で、喜んでしまっている自分がいるのも確かだった。
 別れ際に「また話そう」という意思を伝えてしまった以上相手からの接触は拒めないから、今まで以上に一人の時間を作らないようにしてるけど、放課後になると日が暮れるまで教室を離れられない自分が居る。
 今日はお母さんが帰ってくるの遅いからとか、家じゃ読書に集中できないからとか、自分が教室に残ることを正当化するような理由をこじ付けて、毎日毎日教室に残っていた。
 毎日毎日彼が教室に入ってこないことに安堵しながら悲しみ、結局帰ろうと席を立つと自分のしていることの虚しさに足がすくみ、その場を動けなくなる。
 そんな虚無な日々が続いて一週間が経った頃、その日も一人で教室にいて、なんとなく空人君の机の前に立ってみた時の事だった。
 その時私はこの間のように満たされない自分に気付いた。
 一度禁断の果実を味わってしまった私は、机という“物”から彼を感じるだけでは物足りなくなってしまっていた。
 空人君に会いたい。
 空人君に私のことを知ってもらいたい。
 その思いは、とうに目的を越えていた。
 そして、その思いにこたえるかのように、待ち望んだ足音が廊下から聞こえてきた時は、心臓が飛び上がった。
 その足音が空人君のものという保証はどこにもなかったのにもかかわらず、直感で確信できた。
 それは彼の足音で、こっちに向かってきていると。
 とりあえず急いで自分の席に戻り、本を読んでるふりをしてみる。
 本に固定した視線を一瞬だけ入口の方に向け、空人君だということをしっかり確認したうえで口を開いた。
「やっほ。久しぶりだねぇ。
また忘れ物?」
「いや、忘れものじゃない。
冬野さんに用があったから来た」
 かろうじて読んでるふりを続けていたい手が止まってしまった。
 変な意味じゃないと分かっていても嬉しかったし恥ずかしかった。
「そっか。
もしかしてあの小説のこと?」
 声が上擦らないように最低限の単語で言葉を構成する。
「そう。面白かったよ」
「それだけのために来てくれたの?」
 答えは分かっているのにあえて聞いてみた。
「まあ、そうなるね」
「へぇ。以外だなぁ。
もう忘れられてるかと思ってたよ」
 これは本心だった。
 初めて話した次の日もいつもと変わらない君のせいで私は気になって仕方なかったし、色々なこと考える羽目になったし、散々悩んだんだよ。
「それはこっちも同じことを思ってた。冬野さん、絶えずにいろんな人と話してるから、もしかしたら僕との会話忘れてるかと思ってたよ。
だから、今日ここに来るのも若干不安だったんだけどね」
 苦笑いしながら空人君は言った。
 私が空人君との会話を忘れる?
「あははっ・・」
 乾いた笑いが口からこぼれた。
 一周目での会話だって、その時の空人君の表情だって、目を閉じれば録画した映像を再生するみたいに鮮明に思い出せるんだよ?
 そんな私がついこの間のあなたとの会話を忘れるわけ、
「・・・・・・ないよ」
 本当は今すぐ伝えたい思いの片鱗が声になって漏れた。