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「・・・あつい」
 目が覚めた時、私の体は強い日差しに照らされていた。
 体を起こし、目覚まし時計に目をやると、二〇一七年九月四日七時と表記されていた。
 本当に戻ってきたんだ。
 久しぶりに感じる夏の日差しと、引っ越してきてまだ間もない頃の段ボールの山という既視感のある光景が、実感を加速させた。
 部屋を出て洗面所の鏡を見ると、そこには若干髪が短くなった私が立っていた。
 なんか変な感じだ。
 “あの空間”から送り出されて目が覚めるまで、ずいぶんと長く眠っていたような気がする。
 まるで、実際に過ごした時間を同じ時の流れの速さで逆行していたのではないかと思うほどに。
 全部夢だったりしないのかな。
 歯を磨く自分と見つめ合いながらそんなことを考えていた。
「あら。おはよう。
自分から起きてくるなんて珍しいじゃない」
 リビングに行くと、お母さんが卵焼きを作りながら私に向かって言った。
「うん、おはよう」
 私はそう言って椅子に座り、すでに用意されている甘めのコーヒーに口をつけた。
 テレビでは朝のニュースが流れていて、お天気お姉さんが笑顔を振りまいている。
 今日は残暑厳しい一日になるらしい。
 そんないつ見ても変わらないようなものを流し見ていると、ある一つのニュースが流れてきた。
「昨日午後三時ごろ、川で遊んでいた男の子が溺れる事故が発生しました」
 さっきまでの雰囲気とは、まるで異なる神妙な面持ちでアナウンサーが言った。
「あら。可哀そうに」
 ニュースを聞いたお母さんが卵焼きに集中しながら、ぽそっと呟いた。
 “事故”というワードにひどく敏感になっている自分に気付いた。
 いっそ本当に全部夢だったらいいのに。
 夢じゃなかったら私は、この先の未来で必ず事故に遭うんだ。
 嘘だと、ドッキリだと、誰かに言ってほしかった。
 そうだ。
 今までのは全部悪い夢だったんだ。
 引っ越しの疲れで見た、長い長い悪夢だったに違いない。
 不思議なことにそう自分に言い聞かせると、ほんとに夢だった気がしてきた。
 お母さんの作った卵焼きを食べて、制服に着替え、靴を履いた。
 その時、制服や靴をしっかりと見ることはなかった。
 だって既視感を覚えたくなかったから。
「今日から新しい学校ね。
あまり緊張しないで、リラックスしていってらっしゃい」
 そう言うお母さんに見送られて家を出た。
 調べなくても分かってしまう学校までの行き方をあえて調べて、自転車を漕ぎながら体感一年以上ぶりに見る光景を懐かしいと感じてしまう心を押し殺しながら学校まで向かった。
 学校に着き、職員室で初めて会うはずの担任の顔を見れなかった。
「あぁ。君が冬野さんだね。
担任の加藤です。よろしく」
 聞き覚えのある声と名前も知らないふりをした。
 聞いたことない。
「〇〇高校から来ました。
冬野未羅です。
よろしくお願いします」
 目を先生の上半身辺りに固定したまま言った。
「早速で悪いんだけど先生今からホームルーム行ってくるから、もう一度迎えに来るまでここで待っててもらえるか?」
「はい。わかりました」
 そう言って先生が職員室を出て行ったあと一人になった私は、今までの出来事は夢だと思いたい気持ちと、随所に感じてしまう“二周目”の現実との間で激しく揺さぶられていた。
 単に“死にたくない”という気持ちが私をそうさせた。
 要するに私は、不幸な運命なんてものを聞かされて素直に受け入れられるほど、大人ではなかった。
 一度そう思ってしまうと、思いの波は強くなる一方で留まることを知らず、絶え間なく押し寄せる。
 約一年三か月後のタイムリミットが怖くて怖くて仕方なかった。
 試合が始まる前はイメージトレーニングをして前向きになれても、いざ試合が始まってしまうとイメージ通りになんていかない。
 私の心は、まるで知らない土地で迷子になってしまった幼子のようだった。
 そこから進むことも戻ることもできず、震えていた。
 死ぬと決まったわけじゃないと言われても、そんなの気休めでしかない。
 いや、それどころか当事者の私から言わせれば、気休めにすらなっていない。
 現に私は一度死んだ。
 そしてもうチャンスはこの一度きりで後がない。
 もし失敗すれば私は・・・。
 そう思い、自分の手に目をやる。
 確かに感じる自分の鼓動と、血が通った自分の手に寒気がした。
 嫌。
 死ぬなんて嫌。
 なんで死ぬって分かってるのにこんな生き地獄に一年以上も居なきゃいけないんだろう。
 ・・・あれ?
 そもそも私ってなんで人生をやり直してるんだっけ?
 あれ、おかしい。
 思い出せないや。
 どうしよう。
 なんで―――。
―――――ガラガラガラッ。
 職員室の扉が開く音で現実に引き戻された。
「はい冬野さん、お待たせ~。
って、あれ?緊張してる?
大丈夫大丈夫。
俺のクラスいい奴ばかりだから」
 先生が首をひねり、ポキポキと音を鳴らしながら言った。
 そんなことわかってる。
「・・・はい」
 私は小さく消えそうな声で返事をして、言われるがままに先生の後をついて行った。
 先生と歩いてる間、会話は無くて、ただひたすら二人の足音がコツコツと響いていた。
 クラスまでの道のりはひどく憂鬱だった。
 考えている途中で現実に引き戻されてしまったため、頭の中が散らかったままだったのだ。
 一人でじっくりと考える時間が欲しかった。
 歩きながらだと、深く考え込む事が出来ずさっきの答えはまだ出ていない。
 ただ忘れてはいけないものが自分の頭の中から消え去ろうとしている感覚だけがあり、焦りは募る一方だった。