でも、まだ希望はあった。
「で、でもその記憶って、戻る地点から今までの記憶ってことですよね?」
「はい、そうです」
「じゃあ戻るのが今日の朝とかだったら、無くすのはたった一日の記憶ってだけですよね?」
「・・・いえ、あなた方が戻るのはもっと前です」
 また嫌な予感がした。
「・・・いつに戻るんですか?」
「二〇一七年九月四日、あなた方が出会う日です」
 全身の力が抜けて、視界がぐにゃりと歪んだ。
「なんで・・・どうして私にこんな話するんですか!?
どっちが記憶を失うかまでは分からないんですよねっ!?」
 あまりの不条理さに口調が強くなってしまい、感情がむき出しになった。
「・・・いえ、その後に研究して分かったのですが、どちらの記憶を消すかは我々で操作する事が出来るみたいなんです」
「だったらっ!!
・・だったら、私の記憶を消してください・・・」
 自分が最低なことを言っていると気付いていながら、そう願うことをやめられなかった。
 だって、今まで積み重ねてきた二人の大切な思い出を覚えていない空人君とまた一から出会い直すなんて、私には耐えられない。
 私の目には空人が映っているのに空人君の目には私が映っていないなんて嫌。
 また話す事が出来ても、お互いの温度が違う。
 私だけが空人君のことを好きでいる。
 私だけが空人君を目で追うことになる。
 私だけが・・私だけ・・私だけ・・。
「それは、おすすめできません」
 私の、ドロドロと溢れ出す底が知れない沼のような思考を綺麗に断ち切ったのは、シイナさんの乾いていて且つ芯が通った一言だった。
「なんでですか!?
あくまで選択を本人に委ねるのがあなた方の決まりなんですよね!?
大体、どうしてそんなに前なんですかっ!?
事故を避けるだけなら、今日の朝でいいじゃないですかっ!!
デートの場所を変えればいいだけでしょ!?」
 こんな自分好きじゃない。
 やめて。
 止まって。
 そう心の奥で思っていても溢れ出るものを止めることは不可能だった。
 一通り私が言いたいことを吐き出し終わると、しっかり最後まで聞いて受け止めたうえでシイナさんがこう言った。
「それは、あなたの“運命”が関係してくるからです」
 運命。
 生きていればどこかで散々耳にする言葉。
 でも、この一連の流れでは初めて出てくる言葉だった。
 新しく出てきた情報に一瞬冷静になると、シイナさんはさらに続けた。
「・・冬野さんは、運命を信じますか?
運命の“運”という漢字には、“運ぶ”ではなく“巡り合わせ”という意味があります。
“命の巡り合わせ”。
つまり、絶対に訪れる事。
悪く言えば、どう足掻いても避けられないこと、という意味です。
私たちは、人の可能性の樹形図を研究する過程で、ある一つの発見をしました。
それは、人の樹形図にはどんな選択をしても必ず同じ結果にたどり着くポイントが存在するということです。
それは、重大な事だったり、他愛もない事だったりします。
ですが、そのポイントに差し掛かれば、家で寝ていようが、出かけていようが、お風呂に入っていようが、何をしていようが、“それ”が起こるのです。
我々は、それを言葉の意味に則り”運命“と呼んでいます」
「・・・私の・・運命?」
 そんなものがあるなら、なぜさっき二人でいる時に言わなかったのだろう。
 うまく事故を乗り越えるために大いに役立つ情報のはずなのに。
 そんなことをぼんやり考えていたら、目の前のシイナさんが過去の話をしている時と同じような顔をしていることに気が付いた。
 なんでそんなに悔しそうなの?
 ここまで考えた時、すべてが繋がった気がした。
 ああ、なるほど。
 なんでそんな前に戻らなければならないのか。
 なんで私にこんな話をするのか。
 なんでシイナさんはそんなに躊躇うように話すのか。
 この疑問も全て、“ある一つの答え”になら収束する。