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 結局数日経っても彼女から返信は来なかった。
 秘密裏に開催された屋上パーティの次の日、同じく僕がメッセージを送った次の日から、冬野は僕と喋っていない。
 にもかかわらず、いつもと全く変わらない、いや、むしろ前より元気になったような冬野を見て、たった数日前に一度固められた決心は早くも歪みつつあった。
「なあ、お前なにしたんだ?
ありゃ見るからに空元気だろ」
 昼休み、パンを大きな一口で雑に食いちぎった壱が口をもごもごさせながら唐突に聞いてきた。
 なんで僕が何かしたことが前提なんだろう。
 気にはなったが、見方によっては間違いではない気がしたので明確に否定はしなかった。
「やっぱそう思う?
ん-、何かしたと言えばしたのかな?いや、なにもしてないよ、多分。あれは何かしたうちに入らないはず」
「こりゃやったな」
 殺人犯の自己肯定のような自問自答をする僕を見て、あきれたように鼻で笑った。
「いや、本当に何もしてない。・・・うん、何もしなかったんだよ」
 本当にどうするのが正解だったのだろう。
 僕は確かに恋愛に疎いが、空気を読めないほど致命的ではない。
 だからこそ分からないんだ。
 確かに最初は冬野を困惑させてしまったが、あの日の終盤は完璧だったはずなんだ。
 正直自分で言うのもなんだが、多少なりとも冬野は僕に好意的なものを持っていたに違いない。
 じゃなきゃ異性の名前を自分の特別なものだなんて言わないだろう。
 ただ思わせぶりな態度をとっていただけなら納得できるのだが、彼女の表情に嘘はない。
 なんとなくそれだけは分かってしまう。
 だからこそ分からない。
「ほんとに・・・どうすればいいのか分かんないんだ」
 自然と漏れていた。
「ふーん・・・そんなに難しいかね?」
 あくび交じりの壱に少し腹が立つ。
「そりゃ今まで他人とコミュニケーションとってこなかった奴からしたら無理難題だよ」
「はぁ~、お前本は好きなのに馬鹿なのな」
 本当に遠慮がない奴だ。
 もはや憤りを通り越して尊敬の念すら抱く。
「そこまで言わなくても良くないか?」
「そこまで言わなきゃわかんないなら言うしかないんだよ。
たまにはな。
おまえ、文学好きなのにそれが何のためにあるのか考えたことないだろ」
 言っている意味が分からず困惑していると、壱は立て続けにこう言った。
「何で作者の考えていることがお前に伝わると思う?
なんでその人の想像の詳細までお前は知る事が出来ていると思う?
それはな、文字通り“書いてるから”だよ。
いや、分かり易く言うなら言葉を使っているからだ。
いいか?
当たり前のことだなんて思うなよ?
その当たり前のことですらきっとお前は出来なかったんだろ?
なんでそんなに文章好きな奴がそれを使わないんだ。
お前は俺よりも多くの表現を知っている。
つまり、お前は本気を出せば俺なんかよりずっとコミュニケーションがうまくできるはずなんだよ。
口に出すのが怖かったらメッセージでも何でもいいからまずは考えていることを伝えるきっかけを作ってみろよ。」
 クラスのざわめきで遮られてしまうくらいの淡々とした声で話す壱だったが、僕はまるで雷に打たれたような衝撃を受けていた。
 そうだった。
 僕は何をしているんだ。
 一度決心したんだ。
 僕の気持ちが伝わってしまったと勝手に決め付けていたが、まだ肝心なことは一言も言葉にしていないじゃないか。
 彼女の一挙一動で彼女の気持ちを勝手に想像して決め付けていただけじゃないか。
 仮に、想像通りだったとしても言葉で聞かなきゃいけないんだ。
 なぜ返信してくれないのか。
 なにが原因なのか。
 屋上で言ったことは本心なのか。
 やはり広い友好関係を持ち、僕の知らないところでも様々な経験をしてきた僕の親友が話すことには並々ならぬ説得力がある。
 彼に背中を押されると何でもできる気がしてくる。
 まるで大きなクッションに包まれてるような、そんな安心感がある。
 よし、今僕にはあの壱からの助言がついてるんだ。
 なんとかなるさ。といった具合に。
 そういえばここ最近壱が親友で良かったと思わされることが多い気がする。
 それはきっと自分の世界から飛び出そうとしているからだ。
 今までは人間関係で迷うことがなかったから壱のすごさというか存在の大きさを認識したことは少なかった。
 コテツが死んだとき以来だ。
 いざ新たな人と新たな関係を築こうとすると本当に何をしたらいいかわからないことが多い。
 そうやって自分の前に壁が立ちはだかる度に、こういう時壱ならどうするんだろうって考えている自分がいることに気づいた。
 まあ今は停滞してしまっているし、もし進んだとしてもそれが良くない方向に向いてしまうかもしれない。
 でも色々あっても冬野とここまでこれたのは、そうやって壱のことを無意識に道標として進んできたからなのは間違いない。
 壱の親友としていつも隣に居なければ、冬野と友達にすらなれなかっただろう。
「まったく、本当に壱には敵わないよ」
 尊敬の意と呆れが入り混じったため息をつきながら席から立ち上がると
「当り前よ。
何年お前の一歩前を歩いてきたと思ってんだ」
と口角を挙げながら壱は言った。
 さて、一番心強い味方に背中を押してもらい立ち上がった僕が次にやるべきことは一つだけだった。
 方向を定め、意を決して前に踏み出す。
 足は傍から見てもわかるくらいに震えていた。
 一歩一歩目標が近づくにつれ緊張が増し、地面がぐにゃりと歪む感覚が全身を襲う。
 視界は目標だけを捉え他の情報はすべてシャットアウトしていた。
 進むにつれてクラスの視線が僕に集まり、それだけで頭がおかしくなってしまいそうだからだ。
 そして目標、つまり冬野の前で立ち止まって声をかけた。
「ふ、冬野!!・・・さん・・」
 緊張で上擦った声は必要以上に大きくなってしまい、クラスの注目を一瞬で集めてしまった。
 教室が静まり返り、その静寂が僕の精神をじりじりとすり減らす。
「は、はい・・・」
 とても驚いたようで、空元気はどこかに消え去っていた。
 困惑した様子で小さな返事を返した冬野は目を合わせようとしない。
 その代わりに冬野の番犬的な役割を担っている女友達二人がこれでもかというくらい冷ややかな視線を真っ直ぐ僕にぶつけてきた。
 それに加えてクラスの
「え?葉山って冬野さんと接点あったっけ?」
とか
「なになに?急にどうしたの?」
という野次馬的な声がひそひそと聞こえてくる。
 本当に勘弁してくれ。
 注目を浴びるのは大嫌いなんだ。
 本当に君と出会ってから慣れないことの連続で疲れるし、分からないし、発見が多いし、そして、楽しかった。
 だからこのままじゃ嫌なんだよ。
 モヤモヤして何も手につかないんだよ。
 臆病だった自分が今こうして無計画で人の注目を集めるような行動をとるようになってしまったんだよ。
 無計画だが、言葉だけは決まっていた。
 メッセージじゃダメなんだ。
 今回は直接言わなきゃいけない。
 僕らの間に余計な言葉はいらないよな。
 この一言があれば、君も答えを出しやすいだろう。
 そう思いながら、俯き動揺している冬野に一言だけ、こう言った。
「今日、日が暮れる頃に教室で」
「・・・わかった」
 やっと顔を上げてくれた冬野は、震えるかすかな声で返事をした。