◆◇◆◇
そんな関係が続いて一か月が経ち、十月も半ばに差し掛かり、景色はだんだんと黄色へと変化していった。
日が沈むのが早くなり、今では五時前くらいから集合するのが普通になった。
そして、今日もいつものようにある一冊の本について語り合っている。
「ねえねえ、この本読んでみたんだけどさ、アキト君はどう判断した?
この女の子の存在と主人公の記憶について。
彼の彼女に関する記憶は本当に作られたものなのかな?」
今日の話題は、悪魔との契約で三十年の時間と引き換えに幸せな記憶を望んだ男が、ある一人の少女の記憶を脳に植え付けられる小説についてだ。
展開的には、その少女にそっくりな女の子が出てくるのだが、結局その子は実在したのか男の妄想だったのか、最後は分からずに終わるのだ。
読者の想像に任せる、とでも言っているかのような終わり方だった。
「まあ、僕は話の内容を理解してうえで納得したけど。
彼の少女に対する記憶は結局作られたものってことでいいんじゃないかな」
「えー、それ本気!?
絶対ありえないでしょ。
最初からそういう風に匂わせておいて結局そのままの落ちってありえなくない!?
小説の醍醐味が失われてるよ」
「醍醐味?」
「そう、醍醐味。
最初から浮上していた説を否定的に考えて真実を予想しながら読むのも小説の楽しさでしょ」
「そうなの?
僕はただ純粋に次どうなるのかが気になるから読み進めてることが多いけど」
「それじゃあ作者が可哀そうだよ。
ミスリードをさせるためにあえて真実から遠ざかるような話の展開をしてる作者もいるのに」
顔をグッと近づけて、頬を膨らませながら抗議してくる。
顔が近すぎて直視できない。
僕は目を逸らすように窓の外を向いた。
「だ、だとしたら、そういう読者がたくさんいるからあえてミスリードしないでそのまま話を完結させたんじゃないの?」
「最近の流行をあえて逆手に取る的な?でも、結末に色々な考えの余地があると人によって捉え方違うから話が弾むよねぇ~」
冬野はどうやらこの小説に惚れ込んでいるらしい。
両手で胸にその小説を抱きかかえながら、夢見る少女のような顔をしていった。
「そういうこと。
まあ、記憶とか夢がテーマの話って解釈の仕方に限りがないからさ。
そこを読者に委ねて自分だけの結末を楽しんでほしいんだよきっと。
まったく、作者ってずるいよなぁ~。
一つの答えを求めてる読者だっているのに。
一度でいいから好きな作者の脳内覗いてみたいな」
「あー、確かにねぇ~」
ヒューっと窓の隙間から、わずかに風が吹き付け頬を撫でた。
今日は久しぶりに蒸し暑い日だったので、秋がまたどこかへ消えて行ってしまったのではないかと若干不安になったが、しっかりととどまっていてくれているようだ。
「ねぇ・・・アキト君はさ、自分の昨日までの記憶がもし書き換えられてるとしたらどうする?
・・昨日までの記憶がちゃんと自分のものだって言える?」
まただ。
それはいつも急に来る。
そういう彼女の表情には何度か見覚えがある。
愛おしさと切なさにあふれた顔。
この顔はきっと何かに向けて思いを馳せている顔だ。
今にも何かが溢れだしそうな顔。
この時の僕は、まだその「何か」を知らずにいた。
冬野は何を考えているのだろう。
ほんとに本のことだろうか。
他人事とは思えないが、そのような目を向けられる覚えもこの身にない。
確かに記憶とは実に頼りないものだ。
五秒前に置いた携帯の位置を忘れるし、こなした宿題を鞄に入れ忘れた挙句、その入れ忘れたという事実すら思い出せない。
だがさすがに何かしらの出来事を完全に記憶から消し去ってしまったということは、この高校生の若い脳ではありえないだろう。
しかし冬野の目は明らかに僕に何かを訴えかけている。
だが、僕はそれに応えてあげることができない。
というより、それが何なのかを知ろうとすらしていなかったのかもしれない。
あまり深く考えていなかった。
ただただこの時間がずっと続けばいいのにと、そんな子供のようなことを考えていた。
そこに踏み入れれば次のステップに進んでしまうことが本能的に分かっていて、どうやら僕はその準備ができていなかったらしい。
そんな愚かな僕は
「さあ、それは想像もつかないね」
と曖昧に言い逃れることしかできなかった。
そんな関係が続いて一か月が経ち、十月も半ばに差し掛かり、景色はだんだんと黄色へと変化していった。
日が沈むのが早くなり、今では五時前くらいから集合するのが普通になった。
そして、今日もいつものようにある一冊の本について語り合っている。
「ねえねえ、この本読んでみたんだけどさ、アキト君はどう判断した?
この女の子の存在と主人公の記憶について。
彼の彼女に関する記憶は本当に作られたものなのかな?」
今日の話題は、悪魔との契約で三十年の時間と引き換えに幸せな記憶を望んだ男が、ある一人の少女の記憶を脳に植え付けられる小説についてだ。
展開的には、その少女にそっくりな女の子が出てくるのだが、結局その子は実在したのか男の妄想だったのか、最後は分からずに終わるのだ。
読者の想像に任せる、とでも言っているかのような終わり方だった。
「まあ、僕は話の内容を理解してうえで納得したけど。
彼の少女に対する記憶は結局作られたものってことでいいんじゃないかな」
「えー、それ本気!?
絶対ありえないでしょ。
最初からそういう風に匂わせておいて結局そのままの落ちってありえなくない!?
小説の醍醐味が失われてるよ」
「醍醐味?」
「そう、醍醐味。
最初から浮上していた説を否定的に考えて真実を予想しながら読むのも小説の楽しさでしょ」
「そうなの?
僕はただ純粋に次どうなるのかが気になるから読み進めてることが多いけど」
「それじゃあ作者が可哀そうだよ。
ミスリードをさせるためにあえて真実から遠ざかるような話の展開をしてる作者もいるのに」
顔をグッと近づけて、頬を膨らませながら抗議してくる。
顔が近すぎて直視できない。
僕は目を逸らすように窓の外を向いた。
「だ、だとしたら、そういう読者がたくさんいるからあえてミスリードしないでそのまま話を完結させたんじゃないの?」
「最近の流行をあえて逆手に取る的な?でも、結末に色々な考えの余地があると人によって捉え方違うから話が弾むよねぇ~」
冬野はどうやらこの小説に惚れ込んでいるらしい。
両手で胸にその小説を抱きかかえながら、夢見る少女のような顔をしていった。
「そういうこと。
まあ、記憶とか夢がテーマの話って解釈の仕方に限りがないからさ。
そこを読者に委ねて自分だけの結末を楽しんでほしいんだよきっと。
まったく、作者ってずるいよなぁ~。
一つの答えを求めてる読者だっているのに。
一度でいいから好きな作者の脳内覗いてみたいな」
「あー、確かにねぇ~」
ヒューっと窓の隙間から、わずかに風が吹き付け頬を撫でた。
今日は久しぶりに蒸し暑い日だったので、秋がまたどこかへ消えて行ってしまったのではないかと若干不安になったが、しっかりととどまっていてくれているようだ。
「ねぇ・・・アキト君はさ、自分の昨日までの記憶がもし書き換えられてるとしたらどうする?
・・昨日までの記憶がちゃんと自分のものだって言える?」
まただ。
それはいつも急に来る。
そういう彼女の表情には何度か見覚えがある。
愛おしさと切なさにあふれた顔。
この顔はきっと何かに向けて思いを馳せている顔だ。
今にも何かが溢れだしそうな顔。
この時の僕は、まだその「何か」を知らずにいた。
冬野は何を考えているのだろう。
ほんとに本のことだろうか。
他人事とは思えないが、そのような目を向けられる覚えもこの身にない。
確かに記憶とは実に頼りないものだ。
五秒前に置いた携帯の位置を忘れるし、こなした宿題を鞄に入れ忘れた挙句、その入れ忘れたという事実すら思い出せない。
だがさすがに何かしらの出来事を完全に記憶から消し去ってしまったということは、この高校生の若い脳ではありえないだろう。
しかし冬野の目は明らかに僕に何かを訴えかけている。
だが、僕はそれに応えてあげることができない。
というより、それが何なのかを知ろうとすらしていなかったのかもしれない。
あまり深く考えていなかった。
ただただこの時間がずっと続けばいいのにと、そんな子供のようなことを考えていた。
そこに踏み入れれば次のステップに進んでしまうことが本能的に分かっていて、どうやら僕はその準備ができていなかったらしい。
そんな愚かな僕は
「さあ、それは想像もつかないね」
と曖昧に言い逃れることしかできなかった。