大奥での任務を終えた私は、父に我儘を言い、次の任務をすぐに回してもらう事にした。しかも出来れば遠い所でという願望を添えて。
まだ行き先は決まってはいない。けれど、父が任務地を精査してくれているとの事だ。だから近いうち、私は江戸を離れる事になるだろう。
***
現在私は、くノ一連い組の仲間と共にいる。
それぞれ普段着である色とりどりの小袖に襷掛けし、やる気いっぱいで下着の洗濯中である。
水の入った大きな桶にひと煮立ちさせた米の研ぎ汁を入れ、ジャブジャブと下着を揉み洗いする。冬の寒さに耐えかね、いつもより研ぎ汁を温めすぎたせいか、意外にも顔が火照るほど。
「ねぇ、長期任務だったんだから、少しは休めばいいのに」
「琴葉は動いてないと死んじゃう、ええと」
「マグロ?それともサンマ?」
「カツオかもよ」
久々顔を合わせたはずのい組の面々は、以前と変わらず私をからかう。
私はみんなに魚にたとえられたとしても、江戸を離れたいと願う気持ちの方が勝っている。よって、みんなからの愛あるからかいを甘んじて受け入れている。
「そんな急いで江戸を離れたいなんて、何かあったの?」
くノ一らしく、勘のいい質問を投げかけられ、私はドキリとする。
「特にないよ。それにしても今日は洗濯日和だよね」
咄嗟に話を逸らし、空を見上げた。そして私の顔はすぐに曇る。
何故なら、天下普請と呼ばれる、全国の諸大名に土木工事をさせ築かせた石垣の向こう。千鳥破風が美しく均整に並ぶ白亜の城が、嫌でも目に入るからだ。
東雲家の権力を象徴するかのような、優美で立派な江戸城天守を眺めると、どうしたって帷様を思い出してしまう。
(しかもよく目立つように高台に立っているのが、これまた具合が悪いのよ)
半蔵門近くにある服部家の屋敷からは、どこにいても見上げれば天守が視界の片隅に嫌でも映り込んで来る有様だ。
(これじゃ、忘れようと思っても無理!)
私は早く任務で江戸を離れたいと、改めて思うのであった。
「それよりさ、琴葉はどうだったの?」
「あー、そうだよね。女の花園にいたんだもんね」
「いじめられた?」
「琴葉は見た目、ぬぼーっとして見えるもんね」
「そうだよねぇ」
私の切ない想いなど知るよしもない仲間達は好き勝手、盛り上がる。
「大奥での事は一切他言無用。忍び者が率先して口を割るわけないでしょ」
私は手を止めず、会話に参加する。
「そうだけどぉ。ちょっとくらい教えてよぉ」
「知りたいと思う気持ちを抑えきれない」
「だって私達はくノ一だから」
私を除く、全員が同時に頷く。
「…………」
正直なところ、口外できない事だらけなので、黙っているしかない。しかし、そうする事でみんなの興味は深まるばかりとなるわけで。
「女同士で恋に落ちるって本当?」
「やっぱり陰険ないじめとかあったわけ?」
「みんな綺麗な顔だった?」
「公方様にお会いした?」
「どんな御方だったの?」
次々と質問を浴びせられるも、答えようがない。
「ああ、もう!何も話せないんだってば!」
困り果てた私は救いを求め、視線を泳がす。
すると、こちらに大慌てで駆けて来る、い組の仲間の姿が視界に入る。
「大変!!何かめちゃくちゃ色男な人がお頭の元に来てる」
「え!?何それ!!」
「誰よ、その男」
「めちゃくちゃ色男な部分を具体的に教えて」
い組の面々が一斉に騒ぎ出す。
「ええと、色白で優男っぽい」
「それで、それで」
「まるで床屋帰りみたいな、すっごい整った髷に、キリリとくっきりとした眉」
「ふむふむ」
「それから、つるりとした肌に凛とした切れ長の目元。とにかく華がある感じで、みたことないくらい、素敵な人だった」
目撃した子の証言を元に、各々が頭で自分好みの色男を形作ること数秒。
「きゃぁ~!!」
「見たい、見たい」
「忍び込もう」
「そうしよう!!」
一気に沸き立つ面々は、桶に入れた手を勢いよく引き抜く。そのせいで私の顔に水飛沫が飛んでくる羽目になった。しかしみんなはお構いなしで大騒ぎ中。
(どうせ、帷様より素敵な人なんているわけないじゃない)
それにどんなに素敵な人だとしても、双子という運命を背負う私には関係がない。
一人やさぐれ気味に下着をゴシゴシと擦る。
「ちょっと何してるの?琴葉。行くわよ」
くノ一同期の、お花ちゃんが私の腕をガシりとつかむ。
「ええと」
どう断ろうか。
「い組は集団行動が掟でしょ」
「そんなのいつ出来たの?」
「今よ!!」
興奮したお花ちゃんに詰め寄られ、私は困惑する。
「でも、洗濯途中だし」
「あのねぇ、洗濯はいつでも出来るけど、色男はいつでも鑑賞できるわけじゃないのよ?」
お花ちゃんは実に「ごもっとも」だと頷きたくなる意見を述べた。
(まぁ、見るだけならタダだし)
それで何かが変わる訳ではない。
ただ、気晴らしにはなるような気もする。
何より後でその色男の話題についていけなくて、除け者になるのは寂しい。
私は自分に都合の良い理由を思いつき、立ち上がる。
「よし、しゅっぱーつ!!」
「おーっ!」
「久々滾る!!」
「待ってろ、色男」
い組のみんなが、気合たっぷり声をあげる。
(まさに合戦前って感じ)
生死を賭ける勢いで気合たっぷり、走り出すい組の面々。
私も置いていかれないよう、後をつけて走り出す。
こうして私は何故か自分の実家を偵察する事になったのであった。
***
色男を一目見ようと画策する乙女ない組に立ちはだかるのは、|伊賀者、と組の男衆だ。
「そんな事だろうと思ったぜ」
と組をまとめる、豊吉が呆れたように溜息をつく。
因みに豊吉がまとめあげる「と組」の男衆は、お花ちゃん、それから私と幼なじみになる男性陣が中心となる若手ばかりを集めた班だ。そしていつぞや裏庭に艶本を隠していた正輝がつるむ仲間たちでもある。
(つまり、良くも悪くも一緒に修行をした、見知った仲だということ)
私達の行動を良く理解していると思われる、馴染みある者達を既に配置して置くとは。父の元に訪れた色男の正体が益々気になるというもの。
「さぁ、帰れ」
豊吉達が横一列になり、母屋へと繋がる通路を塞ぐ。
「トヨ、邪魔」
「どいてよ」
「ちょっとくらい、いいじゃん」
「そうだよ」
お花ちゃん達が唇を尖らせる。
「駄目だ。絶対通さないぞ。お頭から鼠一匹、この門を通すなと言いつけられているんだからな」
豊吉がきつく言うと、みんな一様に不満げな顔をした。
「だってさ、琴葉はどう思う」
お花ちゃんに突然話を振られた私は、慌てて答える。
「えっと、やっぱり色男だったら、ちょっとくらい顔を見たいって思っちゃうかも」
「ほら、お頭の可愛いお姫様が「見たい」って言ってるんだから、早くそこをどきなさいよ」
(ええええー)
普段は私の事を「お頭の娘」扱いなど一切しない、お花ちゃん。しかしここぞとばかり、私にまつわる頼りない権力を振りかざす。
(でも、あんまり意味ないような)
そもそも忍びの中で、父が私を特別扱いする事は滅多にないのだから。
「誰だろうと通すわけにはいかん」
と組の豊吉は正義感溢れる顔で私達をにらみつける。
「わからずや。あんた達だって、美女がいたら鼻を伸ばして見に行く癖に」
「それは……」
口ごもる豊吉。どうにも嘘をつけない質は未だに健在のようである。
「私達の乙女心を、あんたの足りないオツムで理解したなら、そこをどいて」
お花ちゃんがわざと煽るような事を口にする。
(喧嘩するほど仲がいい)
まさにそれは豊吉とお花ちゃんの事を言う。
「は?五欲のうちの一つ。色欲にまみれたお前に言われたくはないぞ」
「くっ、仕方ないじゃない。私だっていい人が欲しいのよ!!」
お花ちゃんがついに心の内を明かす。すると、い組の面々が一斉に「そうだそうだ」と騒ぎ出す。
「くっ、俺達は絶対に通さんぞ」
「ちぃ、この堅物」
「誰が堅物だ!!大体、こんな所で油を売っている暇があるのか?今日は洗濯日和じゃないか」
「うるさい!こっちは遊びじゃなくて、仕事で来てるの。あんたこそ暇があるなら鍛錬しなさいよ、もやし男!」
(えっ、これは仕事なの?)
内心冷静に指摘する。
「だーかーらッ、俺たちだって今まさに任務中なんだ。わかったらとっとと帰れ、ごぼう女!」
「ごぼ……!?」
お花ちゃんが豊吉の言葉に絶句する。
「わかったわ。そこまで言うなら、強行突破よ」
お花ちゃんが殺気立った目で豊吉を睨みつける。
「くの一連、い組者、私に続けーー!!」
お花ちゃんが声を張り上げるや否や、豊吉に向かって飛びかかる。
そんなお花ちゃんの掛け声に賛同する、い組の面々。
「最近、鈍ってたし」
「いっちょ、やりますか」
「弱小班、と組なんかに負けたら恥だからね」
「りょーかいっ」
みんなは喜々とした声をあげると、と組の男衆に女豹のごとくしなやかに飛びかかった。
(嘘、ここで戦うってこと?)
思わぬ方向に進み、思わず固まる私。
とその時、私の前に影が落ちる。
「琴葉、日頃の恨み……は全然ないが、まぁ、たまには手合わせしようぜ」
私の目の前にやる気なさげな顔をした、と組の空太が現れた。
「え、本気?」
「本気じゃないけど、それなりにやっておかないと、トヨがうるさいだろ」
空太は何かを示すように、くいっと顎を動かす。私は視線の先を追う。すると豊吉とお花ちゃんが本気で組み合っていた。
それはまさに、竜虎相搏の大決戦……に見せかけた痴話喧嘩のよう。
「行くぞ」
空太が拳を突き出す。
「あ、ちょっと待ってよ」
私は辛うじて空太の攻撃を避け、慌てて構える。
こうなったらやるしかない。
私は集中し、顎を引く。
そして動きやすいよう、ガバリと着物の裾を割った。
「さぁ、琴葉、本気でこい」
「いくよ」
私は空太に向かって思い切り踏み込むと、腰を落とし足を掴もうと手を伸ばす。
「甘いな」
空太はそう呟くと、私の手を払いのける。
(まぁ、この一撃で決まるなんて思ってないから)
私は地面に落ちる砂をつかむと、空太に向かって投げつける。
「うわ、卑怯だぞ!!」
咄嗟に顔を覆う空太。怯むその間に私は空太の背後に移動する。
「相変わらず身軽だな」
こちらを振り向き、苦笑いになる空太。
「ありがと」
空太に拳を突き出す。
しかし空太はニヤリと笑うと、その拳を手で受け止めた。
「くっ」
「隙だらけだぞ」
そのまま手を掴まれる。そして、空太は私を引き寄せた。
「えっ」
次の瞬間、視界いっぱいに広がるのは抜けるような青空だ。
「痛った」
背中に衝撃を感じ、地面に押し倒された事に気づく。
「ほら、やっぱり。まだまだだな」
空太は得意げに笑みを浮かべた。
「むぅ」
私は勝ち誇る空太に向かって手をのばす。
いつぞやの帷様の真似だ。
「何だよ」
怪しげに眉を寄せる空太。
「いいから、起こしてよ。私はか弱いくノ一なんだから」
「どこがか弱いんだか」
呆れた顔をしながらも空太が私に手を伸ばす。
「油断大敵」
にっこりと微笑んでみせる。
「はっ!?」
私は腕を引き、全体重でのしかかり、空太を押し倒す。すると今度は空太が私の下敷きになった。
「くっ」
不意打ちに動揺したのか、目を丸くする空太。
「これで形勢逆転ですよ、空太様」
馬乗りになったまま、得意げな声を出す。
「やるじゃん」
「当然」
私達は互いに見つめ合いながら、不敵に笑い合う。
「よし、続きだ」
「もちろん」
「そこまでだ!!」
突如として聞こえた声に、私達は同時に顔を上げる。
そこには仁王立ちをする私の兄、正澄がいた。しかも何故か屋敷にいる時の着流し姿ではなく、まるで登城する時のように、紋付き袴という出で立ちだ。
「全くお前らは、こんな所で何をやっているんだ」
兄は怒りを通り越した様子で、大きなため息をつく。
「正澄様!!」
豊吉の顔が見事に青ざめる。
「た、ただの手合わせです。そうだよね、トヨ」
しどろもどろになりながら、お花ちゃんが豊吉に同意を求める。
「あぁ、そうだ。これはあくまで鍛錬であって、決して遊びではないのです」
豊吉はお花ちゃんに同調するように答える。
「全くお前たちは……。まぁ遊びではないのであれば、くれぐれも怪我だけはしないように頼むぞ」
(いやいや、この状況でそれはないし)
どうみたって乱闘騒ぎの真っ最中にしか見えない。
しかし兄はこの状況を見過ごすつもりのようだ。
「承知しました!!」
「はい!!」
窮地を乗り切ったであろう、豊吉とお花ちゃんは揃って声を張り上げる。
「で、琴葉……。今すぐ空太から降りなさい」
兄の言葉に私は空太のお腹の上に馬乗りになっていた事を思い出す。
「あ、ごめん」
私は下にいる空太から慌てて飛び退く。
「思ったより重かったけど、大丈夫だから」
空太はしっかりと嫌味を口にし、立ち上がる。
「お前は……」
兄の視線が私の頭の天辺からつま先までを確認するように忙しなく動く。
どうやら、砂埃で無惨に汚れた紅掛花色をした着物の乱れ具合にため息を付きたいところ、みんなの手前もあって、グッと堪えているようだ。
「……もはや、何も言うまい。そのままでいい。父上がお呼びだ」
呆れた顔で兄は私に告げた。
(父上か……)
普段、伊賀者として用事があり私を呼びつける時、兄は父を示すために「お頭」という言葉を使う。しかし今は「父上」と口にした。つまり今回は個人的なというか、家族的な用事だという事だ。
(もしかして色男と関係があるのかな?)
私は少しだけ期待する。
「ほら、せめて襟を正しなさい」
兄は私の胸元の合わせに視線を送る。
言われた通り、まさに襟を正していると。
「コホン」
お花ちゃんの空咳が響く。
するとお花ちゃんはわざとらしく瞬きをした。
(なるほど、色男の事を探れって事ね)
長年の付き合いからそう悟った私はお花ちゃん同様、不自然な瞬きを返したのであった。
まだ行き先は決まってはいない。けれど、父が任務地を精査してくれているとの事だ。だから近いうち、私は江戸を離れる事になるだろう。
***
現在私は、くノ一連い組の仲間と共にいる。
それぞれ普段着である色とりどりの小袖に襷掛けし、やる気いっぱいで下着の洗濯中である。
水の入った大きな桶にひと煮立ちさせた米の研ぎ汁を入れ、ジャブジャブと下着を揉み洗いする。冬の寒さに耐えかね、いつもより研ぎ汁を温めすぎたせいか、意外にも顔が火照るほど。
「ねぇ、長期任務だったんだから、少しは休めばいいのに」
「琴葉は動いてないと死んじゃう、ええと」
「マグロ?それともサンマ?」
「カツオかもよ」
久々顔を合わせたはずのい組の面々は、以前と変わらず私をからかう。
私はみんなに魚にたとえられたとしても、江戸を離れたいと願う気持ちの方が勝っている。よって、みんなからの愛あるからかいを甘んじて受け入れている。
「そんな急いで江戸を離れたいなんて、何かあったの?」
くノ一らしく、勘のいい質問を投げかけられ、私はドキリとする。
「特にないよ。それにしても今日は洗濯日和だよね」
咄嗟に話を逸らし、空を見上げた。そして私の顔はすぐに曇る。
何故なら、天下普請と呼ばれる、全国の諸大名に土木工事をさせ築かせた石垣の向こう。千鳥破風が美しく均整に並ぶ白亜の城が、嫌でも目に入るからだ。
東雲家の権力を象徴するかのような、優美で立派な江戸城天守を眺めると、どうしたって帷様を思い出してしまう。
(しかもよく目立つように高台に立っているのが、これまた具合が悪いのよ)
半蔵門近くにある服部家の屋敷からは、どこにいても見上げれば天守が視界の片隅に嫌でも映り込んで来る有様だ。
(これじゃ、忘れようと思っても無理!)
私は早く任務で江戸を離れたいと、改めて思うのであった。
「それよりさ、琴葉はどうだったの?」
「あー、そうだよね。女の花園にいたんだもんね」
「いじめられた?」
「琴葉は見た目、ぬぼーっとして見えるもんね」
「そうだよねぇ」
私の切ない想いなど知るよしもない仲間達は好き勝手、盛り上がる。
「大奥での事は一切他言無用。忍び者が率先して口を割るわけないでしょ」
私は手を止めず、会話に参加する。
「そうだけどぉ。ちょっとくらい教えてよぉ」
「知りたいと思う気持ちを抑えきれない」
「だって私達はくノ一だから」
私を除く、全員が同時に頷く。
「…………」
正直なところ、口外できない事だらけなので、黙っているしかない。しかし、そうする事でみんなの興味は深まるばかりとなるわけで。
「女同士で恋に落ちるって本当?」
「やっぱり陰険ないじめとかあったわけ?」
「みんな綺麗な顔だった?」
「公方様にお会いした?」
「どんな御方だったの?」
次々と質問を浴びせられるも、答えようがない。
「ああ、もう!何も話せないんだってば!」
困り果てた私は救いを求め、視線を泳がす。
すると、こちらに大慌てで駆けて来る、い組の仲間の姿が視界に入る。
「大変!!何かめちゃくちゃ色男な人がお頭の元に来てる」
「え!?何それ!!」
「誰よ、その男」
「めちゃくちゃ色男な部分を具体的に教えて」
い組の面々が一斉に騒ぎ出す。
「ええと、色白で優男っぽい」
「それで、それで」
「まるで床屋帰りみたいな、すっごい整った髷に、キリリとくっきりとした眉」
「ふむふむ」
「それから、つるりとした肌に凛とした切れ長の目元。とにかく華がある感じで、みたことないくらい、素敵な人だった」
目撃した子の証言を元に、各々が頭で自分好みの色男を形作ること数秒。
「きゃぁ~!!」
「見たい、見たい」
「忍び込もう」
「そうしよう!!」
一気に沸き立つ面々は、桶に入れた手を勢いよく引き抜く。そのせいで私の顔に水飛沫が飛んでくる羽目になった。しかしみんなはお構いなしで大騒ぎ中。
(どうせ、帷様より素敵な人なんているわけないじゃない)
それにどんなに素敵な人だとしても、双子という運命を背負う私には関係がない。
一人やさぐれ気味に下着をゴシゴシと擦る。
「ちょっと何してるの?琴葉。行くわよ」
くノ一同期の、お花ちゃんが私の腕をガシりとつかむ。
「ええと」
どう断ろうか。
「い組は集団行動が掟でしょ」
「そんなのいつ出来たの?」
「今よ!!」
興奮したお花ちゃんに詰め寄られ、私は困惑する。
「でも、洗濯途中だし」
「あのねぇ、洗濯はいつでも出来るけど、色男はいつでも鑑賞できるわけじゃないのよ?」
お花ちゃんは実に「ごもっとも」だと頷きたくなる意見を述べた。
(まぁ、見るだけならタダだし)
それで何かが変わる訳ではない。
ただ、気晴らしにはなるような気もする。
何より後でその色男の話題についていけなくて、除け者になるのは寂しい。
私は自分に都合の良い理由を思いつき、立ち上がる。
「よし、しゅっぱーつ!!」
「おーっ!」
「久々滾る!!」
「待ってろ、色男」
い組のみんなが、気合たっぷり声をあげる。
(まさに合戦前って感じ)
生死を賭ける勢いで気合たっぷり、走り出すい組の面々。
私も置いていかれないよう、後をつけて走り出す。
こうして私は何故か自分の実家を偵察する事になったのであった。
***
色男を一目見ようと画策する乙女ない組に立ちはだかるのは、|伊賀者、と組の男衆だ。
「そんな事だろうと思ったぜ」
と組をまとめる、豊吉が呆れたように溜息をつく。
因みに豊吉がまとめあげる「と組」の男衆は、お花ちゃん、それから私と幼なじみになる男性陣が中心となる若手ばかりを集めた班だ。そしていつぞや裏庭に艶本を隠していた正輝がつるむ仲間たちでもある。
(つまり、良くも悪くも一緒に修行をした、見知った仲だということ)
私達の行動を良く理解していると思われる、馴染みある者達を既に配置して置くとは。父の元に訪れた色男の正体が益々気になるというもの。
「さぁ、帰れ」
豊吉達が横一列になり、母屋へと繋がる通路を塞ぐ。
「トヨ、邪魔」
「どいてよ」
「ちょっとくらい、いいじゃん」
「そうだよ」
お花ちゃん達が唇を尖らせる。
「駄目だ。絶対通さないぞ。お頭から鼠一匹、この門を通すなと言いつけられているんだからな」
豊吉がきつく言うと、みんな一様に不満げな顔をした。
「だってさ、琴葉はどう思う」
お花ちゃんに突然話を振られた私は、慌てて答える。
「えっと、やっぱり色男だったら、ちょっとくらい顔を見たいって思っちゃうかも」
「ほら、お頭の可愛いお姫様が「見たい」って言ってるんだから、早くそこをどきなさいよ」
(ええええー)
普段は私の事を「お頭の娘」扱いなど一切しない、お花ちゃん。しかしここぞとばかり、私にまつわる頼りない権力を振りかざす。
(でも、あんまり意味ないような)
そもそも忍びの中で、父が私を特別扱いする事は滅多にないのだから。
「誰だろうと通すわけにはいかん」
と組の豊吉は正義感溢れる顔で私達をにらみつける。
「わからずや。あんた達だって、美女がいたら鼻を伸ばして見に行く癖に」
「それは……」
口ごもる豊吉。どうにも嘘をつけない質は未だに健在のようである。
「私達の乙女心を、あんたの足りないオツムで理解したなら、そこをどいて」
お花ちゃんがわざと煽るような事を口にする。
(喧嘩するほど仲がいい)
まさにそれは豊吉とお花ちゃんの事を言う。
「は?五欲のうちの一つ。色欲にまみれたお前に言われたくはないぞ」
「くっ、仕方ないじゃない。私だっていい人が欲しいのよ!!」
お花ちゃんがついに心の内を明かす。すると、い組の面々が一斉に「そうだそうだ」と騒ぎ出す。
「くっ、俺達は絶対に通さんぞ」
「ちぃ、この堅物」
「誰が堅物だ!!大体、こんな所で油を売っている暇があるのか?今日は洗濯日和じゃないか」
「うるさい!こっちは遊びじゃなくて、仕事で来てるの。あんたこそ暇があるなら鍛錬しなさいよ、もやし男!」
(えっ、これは仕事なの?)
内心冷静に指摘する。
「だーかーらッ、俺たちだって今まさに任務中なんだ。わかったらとっとと帰れ、ごぼう女!」
「ごぼ……!?」
お花ちゃんが豊吉の言葉に絶句する。
「わかったわ。そこまで言うなら、強行突破よ」
お花ちゃんが殺気立った目で豊吉を睨みつける。
「くの一連、い組者、私に続けーー!!」
お花ちゃんが声を張り上げるや否や、豊吉に向かって飛びかかる。
そんなお花ちゃんの掛け声に賛同する、い組の面々。
「最近、鈍ってたし」
「いっちょ、やりますか」
「弱小班、と組なんかに負けたら恥だからね」
「りょーかいっ」
みんなは喜々とした声をあげると、と組の男衆に女豹のごとくしなやかに飛びかかった。
(嘘、ここで戦うってこと?)
思わぬ方向に進み、思わず固まる私。
とその時、私の前に影が落ちる。
「琴葉、日頃の恨み……は全然ないが、まぁ、たまには手合わせしようぜ」
私の目の前にやる気なさげな顔をした、と組の空太が現れた。
「え、本気?」
「本気じゃないけど、それなりにやっておかないと、トヨがうるさいだろ」
空太は何かを示すように、くいっと顎を動かす。私は視線の先を追う。すると豊吉とお花ちゃんが本気で組み合っていた。
それはまさに、竜虎相搏の大決戦……に見せかけた痴話喧嘩のよう。
「行くぞ」
空太が拳を突き出す。
「あ、ちょっと待ってよ」
私は辛うじて空太の攻撃を避け、慌てて構える。
こうなったらやるしかない。
私は集中し、顎を引く。
そして動きやすいよう、ガバリと着物の裾を割った。
「さぁ、琴葉、本気でこい」
「いくよ」
私は空太に向かって思い切り踏み込むと、腰を落とし足を掴もうと手を伸ばす。
「甘いな」
空太はそう呟くと、私の手を払いのける。
(まぁ、この一撃で決まるなんて思ってないから)
私は地面に落ちる砂をつかむと、空太に向かって投げつける。
「うわ、卑怯だぞ!!」
咄嗟に顔を覆う空太。怯むその間に私は空太の背後に移動する。
「相変わらず身軽だな」
こちらを振り向き、苦笑いになる空太。
「ありがと」
空太に拳を突き出す。
しかし空太はニヤリと笑うと、その拳を手で受け止めた。
「くっ」
「隙だらけだぞ」
そのまま手を掴まれる。そして、空太は私を引き寄せた。
「えっ」
次の瞬間、視界いっぱいに広がるのは抜けるような青空だ。
「痛った」
背中に衝撃を感じ、地面に押し倒された事に気づく。
「ほら、やっぱり。まだまだだな」
空太は得意げに笑みを浮かべた。
「むぅ」
私は勝ち誇る空太に向かって手をのばす。
いつぞやの帷様の真似だ。
「何だよ」
怪しげに眉を寄せる空太。
「いいから、起こしてよ。私はか弱いくノ一なんだから」
「どこがか弱いんだか」
呆れた顔をしながらも空太が私に手を伸ばす。
「油断大敵」
にっこりと微笑んでみせる。
「はっ!?」
私は腕を引き、全体重でのしかかり、空太を押し倒す。すると今度は空太が私の下敷きになった。
「くっ」
不意打ちに動揺したのか、目を丸くする空太。
「これで形勢逆転ですよ、空太様」
馬乗りになったまま、得意げな声を出す。
「やるじゃん」
「当然」
私達は互いに見つめ合いながら、不敵に笑い合う。
「よし、続きだ」
「もちろん」
「そこまでだ!!」
突如として聞こえた声に、私達は同時に顔を上げる。
そこには仁王立ちをする私の兄、正澄がいた。しかも何故か屋敷にいる時の着流し姿ではなく、まるで登城する時のように、紋付き袴という出で立ちだ。
「全くお前らは、こんな所で何をやっているんだ」
兄は怒りを通り越した様子で、大きなため息をつく。
「正澄様!!」
豊吉の顔が見事に青ざめる。
「た、ただの手合わせです。そうだよね、トヨ」
しどろもどろになりながら、お花ちゃんが豊吉に同意を求める。
「あぁ、そうだ。これはあくまで鍛錬であって、決して遊びではないのです」
豊吉はお花ちゃんに同調するように答える。
「全くお前たちは……。まぁ遊びではないのであれば、くれぐれも怪我だけはしないように頼むぞ」
(いやいや、この状況でそれはないし)
どうみたって乱闘騒ぎの真っ最中にしか見えない。
しかし兄はこの状況を見過ごすつもりのようだ。
「承知しました!!」
「はい!!」
窮地を乗り切ったであろう、豊吉とお花ちゃんは揃って声を張り上げる。
「で、琴葉……。今すぐ空太から降りなさい」
兄の言葉に私は空太のお腹の上に馬乗りになっていた事を思い出す。
「あ、ごめん」
私は下にいる空太から慌てて飛び退く。
「思ったより重かったけど、大丈夫だから」
空太はしっかりと嫌味を口にし、立ち上がる。
「お前は……」
兄の視線が私の頭の天辺からつま先までを確認するように忙しなく動く。
どうやら、砂埃で無惨に汚れた紅掛花色をした着物の乱れ具合にため息を付きたいところ、みんなの手前もあって、グッと堪えているようだ。
「……もはや、何も言うまい。そのままでいい。父上がお呼びだ」
呆れた顔で兄は私に告げた。
(父上か……)
普段、伊賀者として用事があり私を呼びつける時、兄は父を示すために「お頭」という言葉を使う。しかし今は「父上」と口にした。つまり今回は個人的なというか、家族的な用事だという事だ。
(もしかして色男と関係があるのかな?)
私は少しだけ期待する。
「ほら、せめて襟を正しなさい」
兄は私の胸元の合わせに視線を送る。
言われた通り、まさに襟を正していると。
「コホン」
お花ちゃんの空咳が響く。
するとお花ちゃんはわざとらしく瞬きをした。
(なるほど、色男の事を探れって事ね)
長年の付き合いからそう悟った私はお花ちゃん同様、不自然な瞬きを返したのであった。