伊桜里(いおり)様は夜着を頭から被った状態で、布団の上に前のめりになっている所を、奥女中に発見された。それからすぐに、伊桜里様の死は、岡島(おかじま)様に知らされる事となった。

 (一体どの時点で書簡が盗まれたのか)

 伊桜里様の書簡(しょかん)の行方について探ろうと、私は引き続き(とばり)様に質問をぶつける。

「もし書簡を盗む機会があるとしたら、最初に発見した人達が怪しいですよね?」

 (そういえば(たぬき)ちゃんは伊桜里様の長局(ながつぼね)を担当していたって言ってた)

 だとすると。

「美麗様の子分であった狸ちゃんかお夏さんがもし、伊桜里様の亡骸(なきがら)が発見された現場にいたのだとしたら、手紙を盗む事は可能だと思うのですが」

 私は気付いた事を口にする。

「それはないだろう」

 折角思いついた推理は帷様によって即座に否定される。

「え、どうしてですか?」
「美麗を起こすのは、御末(おすえ)ではないからだ」
「そうなんですか?」
「無防備な状態となる(あるじ)を起こすこと。それは伊桜里と同じ屋根の下に住む、部屋方(へやかた)達を取り仕切る(つぼね)の仕事だ」

 (そっか。確かに起きたては、警戒しずらいもんね)

 よって信頼を寄せる人しか部屋に入れたくはない。それは至極、理にかなった考えだ。

「だとすると、伊桜里様の部屋方の(おさ)であるお局様が咄嗟(とっさ)に書簡を隠したのでしょうか」
「そのように考えるのが自然だ。とは言え……」

 屏風(びょうぶ)の向こうにいる帷様は、言いづらそうに口ごもる。

「伊桜里が発見された時、かなり大騒ぎになったと聞いた。岡島が伊桜里の元を訪れるまで、現場は混乱を極めていたようだ。何事かと集まった者達で、長局の中も外もごった返していたらしい」
「まぁ、そうでしょうね」

 江戸城本丸大奥は、最も将軍に近い安全な場所。皆の頭の中には当たり前のようにそんな認識がある。そんな安心安全な場所で死者が出てしまった。しかも亡くなったのは光晴様が寵愛されていた伊桜里様だ。

 そして大奥(ここ)は、良くも悪くも常に話題に飢えている。

 よって大奥で起きた大事件は、町方で発生する火事と同じようなもの。
 立ち上がる炎は周囲の家屋を瞬く間に飲み込み延焼していく。そして一度広がった炎を素早く鎮火(ちんか)するのはとても困難なことだ。

 だから当時の朝。伊桜里様の住まいである長局の前には、延焼する炎のように、もはや収拾がつかないほど混乱し、興奮する奥女中達でごった返していたに違いない。

 私はさほど努力せずとも、その情景がありありと脳裏に浮かんだ。

「そもそも伊桜里が書簡を残していた。その事実も最近判明したばかりだ」
「それはどのような経緯で?」
「これがまた実に意外なところでな」

 帷様が勿体ぶったように口を閉じる。

「実は、大奥に出入りする御用(ごよう)商人からなんだ」
「えっ!?」

 乾いた室内に、思いの外私の驚きの声が響く。

 (だって伊桜里様の書簡は一部の者しかその存在を知らないはずでしょ?)

 だとしたら一体どのように商人にその書簡の話が伝わったのか。その流れが皆目見当がつかない私は、浮かんだ疑問をそのまま帷様にぶつける。

「何故商人が、大奥内で隠された書簡の事をご存知だったのでしょうか?」
「大奥に出入りを許される御次(おつぎ)御用商人の妻は、奥女中達に物を売るだけではなく、どうやら話し相手としての役割も持たされているようだ」
「あ、確かにそうですね」

 私は幽霊騒動の際、奥女中達が「魔除けの(たぐい)を仕入れるように」と、町方で流行りの着物を粋に着こなす女性にせがんでいた姿を思い出す。

 男子禁制の大奥内において、長局に商品を売りに来るのは当たり前だが女性だ。そしてその多くは御用商人の妻である。

 そもそも御用商人とは、公儀(こうぎ)への物品調達を独占的に行う特権を与えられた商人のこと。
 そして大奥に限定すると、「御上(おかみ)御用」と呼ばれる御殿(ごてん)担当の他に、奥女中が個人的に欲しがる物を扱う、「御次(おつぎ)御用」を担当する者と、二種類の商人が出入りを許されている。

 因みに現在長局に住まう奥女中達のお気に入りは何と言っても、山田屋(やまだや)だ。
 何でも山田屋は一族の女性をかつて何人も奥奉公(おくぼうこう)に上がらせ、その伝手を使い大奥で顧客を広げていったそうだ。

 しかし大奥内で見知ったことは、門外不出。それはたとえ御用商人だとしても例外ではない。

 (となると、山田屋の女将(おかみ)さんが口外するはずはないし)

 一体どこの誰から伊桜里様の書簡の件が漏れたのだろうと、私はまたもや素朴な疑問に突き当たる。

「そもそもどのような経緯で帷様のお耳にこの件が入ったのですか?」

 私は噂を流す犯人を絞ろうと、帷様に探りを入れる。

「どうも菓子業者、金沢丹後(かなざわたんご)屋の妻がそう口にしていたらしい。それが重臣達の奥方の耳に入り、そこから俺たちの耳に届いた」
「え、お菓子屋さんからですか……」

 思わぬ名前が飛び出し、再度驚く。

「あ、そっか。お菓子屋さんは御台様(みだいさま)のほうにも長局のほうにも顔を出すから、より多くの情報を仕入れる事が出来るのか」

 (特に金沢丹後の(あめ)細工は美しいものね)

 私の脳裏に本物の蝶と見間違えるほど、色美しく、繊細(せんさい)な飴細工が思い起こされる。
 金沢丹後は、砂糖に水飴(みずあめ)を加えた物を煮詰めた|南蛮(なんばん)菓子、有平糖(ありへいとう)で有名な銘店(めいてん)だ。そして茶道の菓子として用いられることが多い金沢丹後の有平糖は、季節ごとに彩色をほどこし、細工をこらしたものが、他にはないものとされ、武家の奥方(おくがた)を中心に大人気なのである。

 (つまり金沢丹後は武家屋敷にも出入りしてるから)

 顔が広いと言える。しかし、忘れてはいけない。

 (大奥内で知り得た事は一切口外してはならぬの(おきて)

 それは出入り御用商人にも適用されるはずだ。
 私は早速その点について帷様に確認する。

「大奥内で知り得た事を、お菓子屋さんが口外してはまずいのではないでしょうか?」
「情報の出処(でどころ)とされる金沢丹後の店主の妻は、噂を広めるつもりはなかったと弁解している。あそこは口が軽いとなれば、御用達の権利を剥奪(はくだつ)されかねないからな」

 確かにそうだと、私は布団の中で頷く。
 御用商人は誰でも簡単になれるというわけではない。その権利を勝ち取るためには、伝手(つて)も必要だが権力者への(そで)の下なども必要だと(ささや)かれているのである。

 (だからきっと、金沢丹後のご主人はそれなりに貢物(みつぎもの)やお金をばらまいていたはず)

 そして金沢丹後はかなりの経費をかけても、御用商人となりたかったに違いない。何故なら菓子類は大奥では特に人気のある商品だからだ。よって、金沢丹後はかなり儲けている筈だ。となれば、苦労して手に入れた美味しい権利をやすやすと手放すような真似はしない。

「金沢丹後の店主が言うには、伊桜里の母に大奥でいじめがあったのでは、と涙ながらに問い詰められ、大奥に出入りする妻から耳にした事を主人がポロリと漏らしてしまったそうだ」
「伊桜里様のお母様にですか?」
「あぁ。彼女は四十九日(しじゅうくにち)の法要で、伊桜里の好きだった、金沢丹後の飴細工を頼もうとしたようだ。そこで屋敷に呼びつけた金沢丹後屋の主を問い詰めたのだろう」

 四十九日と聞き、私は唇を噛む。

 (表に出れぬ者は、別れにも参加出来ない)

 忌み子である私が参列し、迷惑になってはいけない。そう思うから、私はそもそも四十九日の法要に参加したいと父に願い出たりしていない。そしてそういった制約を知らず()らずのうちに、自分で設け、当たり前だと受け入れている。

 (私は日陰者(ひかげもの)

 だからこそ、こういう任務に向いているのだ。

 (それくらいしか取り柄がないなら、やるしかない)

 伊桜里様の無念を晴らすこと。それは私に出来る唯一の(とむら)い方なのだから。

 私はつい落ち込みそうになる思考を切り替え、目の前に積まれた問題と向き合う事にする。

 金沢丹後が大奥に出入りする御用商人である事は多くの者が知っている。何故なら店側がそれを大々的(だいだいてき)に誇らしく宣伝文句として(うた)っているからだ。

 だとすると。

「伊桜里様のお母様が金沢丹後の主人を呼びつけた。それは故意に、でしょうか?」
「あぁ、計画はしていただろう。娘を突然失った母親であれば、「自害した」という公儀側の説明だけでは到底納得が出来ないだろうからな」

 屏風の向こう側から帷様のため息と、それから寝返りを打った音が聞こえる。

「そして伊桜里の母は金沢丹後の主人から聞き出した話を、自分の知り合いである武家の妻達に広めた。そして、その話を妻から聞いた重臣達が書簡を探そうと躍起(やっき)になり、俺の元に話を持ち込んだというわけだ」
「つまり帷様は真実を明るみに出そうとされたわけですね。ご自分の為にも、そして伊桜里様のためにも」
「…………まぁ、そんなところだ」

 帷様は辛い気持ちを思い出したのか、しばし間をあけた後、私の考えを肯定した。

 私はその返事を耳にしながら、この依頼を受けた時、帷様が口にしていた言葉を思い出す。

 『伊桜里が最後に残した言葉。それは駄目元でも探す価値あるものだ』

 その工程はまさに、帷様がこれから公方様として先に進むために必要な事なのだろう。

 (だからご自分で女装までして大奥に潜入し、書簡を探そうと、そして伊桜里様の死の真相を探ろうとしている)

 とても辛い気持ちをひた隠し、帷様は前に進もうともがいているに違いない。

 (やっぱり、消えた書簡の行方を何としてでも追わなければ)

 今更だけれど、自分の任務の重要性を再確認する。

「帷様の耳に、伊桜里様の書簡が残されているという話が届いた経緯は理解しました」

 重要だと思われる質問を控え、口を閉じ、()をつくる。

「では、書簡があったと金沢丹後の店主の妻に証言したのは、一体誰なんですか?」

 最悪大奥内での事を公言した罪に問われるかも知れない人物だ。
 私は質問をしながら緊張する。

「書簡の存在を金沢丹後の妻に漏らした人物。それについては、未だ誰も口を割らんようだ」
「口を割らない?」
「なんでも信用問題にかかわるらしい」
「え、でも伊桜里様のお母様には、ちゃっかり書簡の情報を漏らしたんですよね?」

 (それって、今更じゃない?)

 確かに伊桜里様のお母様の気持ちを思えば、金沢丹後の店主が真実を話したくなる気持ちはわかる。けれど。

「公方様の「知らせろ」という命令に背いたら、御用商人を取り消される可能性があると思うんですけど……」

 たかが奥女中一人を守るより、そちらのほうが金沢丹後としては痛手なはずだ。

 (それでも言わないとなると、一体どれだけ偉い奥女中なのよ……)

 私はハッとする。

「まさか、御台(みだい)様や岡島(おかじま)様が噂を漏らしたのでしょうか?」

 私はギュッと掻巻の中で両手を握る。
 自分で思いついて、とんでもない事だと怖くなったからだ。

「それはわからん。ただ、この件は私的に動いている事であって、そもそも公儀からの圧を金沢丹後にかけようとはしていない」
「それはつまり」

 (どういうこと?)

 私は混乱する。

「つまり、将軍の名をかざすつもりはなく、私的に動いているということだ」
「あ、もしかしてこれ以上朝廷側を刺激したくはないからでしょうか?」
「……そのようなものだ」

 何となく含みを持たせた解答に、すんなり納得できない気はする。

 (でも深く首を突っ込んでいい問題じゃないもんね)

 忍びは与えられた任務を成功させるだけ。そして今回私に与えられた任務は、伊桜里様の件を探ることだ。よってこれ以上、深く追求するのはやめておこうと私は口を(つぐ)むのであった。