このラーメン店には、禁断の何品かある。禁断っていうのは何かって? それは、まずはスープの色が変。そして、フルーツなどの変わった味がする麺だ。そういった変わったラーメンも気になっていたが、食べることが怖いような気がしていて、未だにチャレンジできていない。珍しいので、マスコミやネットなどで紹介されることも多いが、実際に食べている人をあまり見たことはない。たまに変わり種ラーメン目当てでやってくるけれど、それはネットにあげるためだとかそういう趣旨の人が多い。

 私は無難なものが好きなので、冒険できずにいつも醤油ラーメンだ。普通のラーメンももちろんお店にはたくさんある。そして、私がこの店に通うのは、ここの店主がイケメンであり、密かに恋愛対象として狙っているというのもある。これは、秘密事項だ。ただ、見ているだけでいい。相手が自分という存在を認識してくれるだけでいい。私は常連だが、話すこともできない臆病者だ。

 すると、見慣れない美しい女性が店内に入ってきた。

 最近売れっ子のアイドル上がりの女優だ。芸能人に接するのは初めてだ。本当はサインや握手を求めたいところだが、そんなことをしたら失礼な気がして、気が付かないふりをする。実際街中で有名人にあっても気づかないふりをするパターンはわりとありそうだ。

 子供の学校の保護者に有名人がいたとしてもきっとみんな本人の前で騒ぎ立てないだろう。本人も黄色い声をかけられるよりは、みてみぬふりをするほうがいいのだろう。客の一人として見守る。

「注文はどうしますか?」
 タイミングを見計らって注文を取る。

「おなかすいたので、がっつりで」
 意外なことを言う。女優とラーメンって意外とイメージが合わない。

「ラーメンが食べたかったの。食事制限があって、あまりがっつりしたものは食べられなかったので」
 食べるぞという意欲が感じられる。

「じゃああっさりした深海のりんごラーメンはいかがですか? ヘルシーで低カロリーな一品ですよ」
 相変わらず爽やかな男性店主。

「噂の青いスープのラーメンでしょ。気になっていたのよね」

 女優はとてもうれしそうに微笑む。やはり美しい。

「このラーメン、りんごの果汁を練りこんだ麺に醤油スープをベースにして、りんご果汁が入っています。本物のりんごが上にのっています。スープは鮮やかなブルー。これは、深海をイメージしたものです」
 かっこいい店主はラーメンについて説明をしていた。こんな感じで自然に私も彼と会話ができたらいいのに――。でも見ているしかできない自分がいた。

「名付けて深海のりんごラーメン。これを食べると病みつきになってしまう恐ろしい一品ですよ。毒入りではないですが、中毒性があるので気を付けてください」

 噂の澄んだブルーのラーメンについて、面白おかしく解説する。これは、正直挑戦心がないと手を出せそうもない。

「まぁ面白い、いただくわ」

 この女優さんは顔に似合わずチャレンジャーで珍味好きな変わり者なのかもしれない。私が感じたその予感は当たることになるのだが――
 
「ラーメン出来上がりました」

「面白い!! こんな素敵なラーメンに出会えるなんて。いただきます」

 女優は躊躇することなく、ズズズと音を鳴らして美味しそうに食べる。勇気があるな。チャレンジャーだ。美味しいのかどうか表情をみる。美味しそうだ。演技ではなさそうだ。今度挑戦してみようかな。そう思わせる笑顔だった。女優は勢いよく吸い込むようにぐいぐい麺をすする。

 青いラーメンはここでしか食べられそうもない一品で、りんごを切ったものが上に乗っている。冷やし中華で言う、すいかが乗っているような感じだ。たしかに冷やし中華の上のすいかは中華に合う。ラーメンの麺の中にりんご果汁が入っているとはなんと手が込んでいるのだろう。そのさっぱり感があっさりとした味わいを醸し出すのかもしれない。

「ベースは醤油なのね。一見、合いそうもないりんごとラーメンという組み合わせが素敵だわね」
「一見合わないと思われるものでも、相性がばっちりというパターンもあるのですよ」
「あなた、面白いわね。他にどんなメニューがあるの?」

「変わり種だと、魅惑のレモンラーメンに小豆たっぷりのおしるこラーメン、草原をイメージした麺にほうれん草を練り込んだ緑色スープが鮮やかな森林ラーメン、あとは、ピンクのスープの魅惑のメルヘンラーメンっていうのもあります。フルーツが練り込まれていて、女性に人気なんですよ。メニューを考えるときはモチーフをまずイメージして考えるんです。たとえば、りんごラーメンは白雪姫をイメージしていたり、ですかね」

「面白いじゃない。また来るわ」

「チャレンジャーなお客さんだな。結構色を見て、尻込みするパターンが多いんだけどね」

「おしゃれなラーメン、個性的なラーメンはこれからの時代に合っていると思うの。多様性でしょ」

「お客さん、話がわかるね」

「実は、ここのお店の特集をテレビで見て、あなたのことを知ったの。メニューの考案で苦労した話やお客さんの反応を見ながら改良を重ねているという特集を見てここに来たのよ」

「そうなんですか。俺、テレビって全く見ないから。実は取材を受けた放送すらも見てないんですよ」

「ラーメンのことばっかりなのね。じゃあ、私が何の仕事しているかもわからない?」

「すみません。ちょっとわかんないですね。マスコミ関係の方ですかね?」

「……そんなところよ。あなた、独身でしょ。彼女もいないでしょ。これは、ラーメン職人で俗にいうラーメン馬鹿だと思うから」
 クスリと女優は笑う。

「まぁ、その通り彼女もいないです。この通り、ラーメン馬鹿なので」

 困ったように自分を指さし店主は笑う。

「あなたの職人気質な様子を知って、ひとめぼれしたって今日は言いに来たんだけど。ラーメンにかけて自己紹介してみるね。深海から来た人魚姫またはりんごラーメン好きな白雪姫だと思ってもらってもいいわよ」

「お客さん、またまたご冗談を」

 少し困った様子の店長。頬が赤い。

「本気よ。私と付き合いなさい」

 女優は強迫する。でも、店長はまんざらでもなさそうだ。

「……はい。俺、ラーメンのことばっかりだし、つまんない男だけど」

「私、こういう仕事をしている者よ」
 写真集とドラマの撮影インタビューの記事を持参で自己紹介する。

「これって……女優さん? 芸能人なんですか?」
 驚いた店主は少々腰を抜かしそうになる。

 告白して即OKってそんなことあるの? 私の方がずっと彼のことを前から好きだったし、お店の常連なのに、今日初めて来た人に取られちゃうの? 目の前で両思いになるのを見てるだけなんて――そんな!! いくら女優だからって。でも、店長は女優だということを知らないでOKしたみたいだし。私は、彼に話しかけることすらできないで、ただ店にいただけだ。ラーメン馬鹿に想いが通じるわけがない。あれくらいストレートに想いをぶつけられたら――私も彼と付き合うことができたのだろうか?

「あんたなら、どんな味のラーメンでも味見してくれそうだし、どんな仕事だとしても受け入れようと思っていたんだ。俺、無難な味ばっかり選ぶ人間は苦手なんだ。俺自体が珍味な人間だからな」

「これは、秘密よ。事務所やファンに知られると色々面倒だから」
 店主に向かって女優は笑いかける。そして、私の方にもウィンクする。これは、秘密の恋を共有した傍観者。でも、彼を想うのならば、秘密に協力するしかない。こみあげてくる涙を必死に抑える。本気の恋だったのに――。

 二人の視線が重なり合う。お似合いの美男美女だ。今、二人は両思いになってしまった。しかも私の目の前で――。何も言えないまま、私は失恋してしまった。